ついに、明日、私は部署を異動となります。
先日までは、その異動に対して不安を抱いていた者の、異動を目の前にした私が抱いた気持ちは、後悔でした。
今までお世話になった人たちに、背を向けて、逃げ去ることへの後悔をとても強く感じています。
自省の意味も込めて、ここにその後悔を書き記そうと思いました。
なぜ後悔を記すのか
なぜ後悔をこうして記すのかと言うと、私の中で大きく感情が動いたからです。大きく気持ちが動いたときに、それをブログに記し、気持ちを整理するのは、私が実践し、お勧めしているメンタルメソッドだからです。
とはいえ、実際には、それは、理由の一つに過ぎません。
確かに、あふれ出た気持ちを一人で抱えることができず、ブログと言う形で外に出さないと、自分の気持ちを保てないような気がして、おもわず、ブログの筆を執ったのは事実です。
これは理由のうち、感情的な側面です。
では、もう一つの側面、理性的な側面から考えた理由はと言うと、後悔したことを記憶しておこうと思ったからです。
私は、不安や緊張には弱い物の、後悔には割と耐性がある方です。「もっと勉強すればよかったのかな」「もっと頑張ればよかったのかな」と思ったことは人生で何度もありますが、結局、割とその後悔を忘れてすぐにケロッとできてきました。
私にとっては過去よりも未来の方が怖いんですね。(ある意味当たり前かもしれませんが)
そんな私が、今こうして、後悔を抱いているというのは、自分にとって、1つ大きな節目だと感じています。この後悔を忘れてしまえば、異動先でもまた同じ失敗を繰り返してしまうだろうと感じています。
後悔はしないに越したことは無い。けれど、後悔をしなければ、成長もできない。
今の私はそんな風に考えています。
だから、こうして、あえて、自分に痛みを刻み付けて、もう二度とこんな惨めな思いはしないぞと覚悟を決めて、新しい部署での仕事をこなしていこうと思っています。
そのために、こうして、ここに、今から、後悔していることを書き記そうと思っているのです。
異動前の後悔の内容
この3月にずっと感じていたのは、異動後の不安と、以前から感じていた上司への不安でした。そして、2つの部署の間で宙ぶらりんの状態で、引き継ぎ以外にすることもなかった私は、この3月をボーっと過ごしていました。
ボーっとしすぎていたせいで、孤独を感じ、落ち着いているけれど、壊滅的なメンタルの状態ではありました。
ただ、今日、ずっと在宅勤務で顔を合わせることもなかった上司と再会し、に最後の挨拶をすると、突然、私の中に後悔が湧いてきました。
「もっと頑張れば、この人を笑顔に出来たのかな」というのが、私の正直な感情でした。
今までの私にとって、上司は、その業務に対する妥協なき姿勢から、恐怖の対象でした。ミスや指摘を恐れて、上司と会話するだけでも、パニックになってしまい、仕事が憂鬱で、朝もすっきり起きられず、毎晩、うなされるような日々を送っておりました。
上司が優しい人物であるということも分かっていましたし、上司の指導が「行き過ぎたもの」でないことも理性では分かっていました。ただ、ミスや失敗を指摘されること、アドバイスを受けることを極端に苦手とする私にとって、細かな部分まで指摘する上司は極めつけに相性が悪かったのです。
実際に仕事をするということは、自分の苦手や不得手を乗り越えたり、我慢したり、自分の気持ちを押さえつけたりしながら、こなしていくことです。私はそこに折り合いをつけられず、上司の指導に心を折ってしまい、とうとう、仕事を半ば休職した状態で、半年以上を過ごすことになってしまったのです。
ただ、今、異動する瞬間になって、上司と話をすると、上司はやはり良い人であり、その上司の恩に報いることができなかったことに対する申し訳なさは、とても深い物だったということです。
常日頃から、(一応は)上司の恩に報いることができない、報いるだけの実力が無いことに対して、とてつもなく申し訳なさを感じてはいました。
ただ、一方で、恐怖心や怠け心、甘い見通しと言った感情が、行動を先送りにしてしまい、何もできずに終わってしまいました。
高い技術と行動力が求められる仕事ではあったため、私の実力でどうにかできたかは、分かりません。ただ、「やらなかった後悔」を抱いているのだと実感しています。
何カ月も何カ月もチャンスはあったのに、自分可愛さに何もせず、ただ、現状に甘んじていたという思いが大きいです。
「じゃあ異動は取り消し」と言われれば、委縮してしまって元通りかも知れません。ただ、それでも、やはり、取り返しのつかない状況になってしまったからこそ、後悔と言う感情は芽生えました。
上司は仕事には厳しい人でしたし、有能で、私が考えていることより数段上のことを考えて仕事をしていました。それを言い訳にして、自分にはできないと道を封じてしまったことを今では悔いています。
何度も何度も仕事の成果に指摘を受け、けちょんけちょんにされ、自信を失い、さらに、追い打ちをかけるように自信を失わせるような出来事があり、それによって、私は完全に打ちのめされてしまいました。
会社を辞めようと思ったことも数回ではありませんでした。
ただ、次第に、このみじめな状況に慣れ切って、会社のことから目を背け、他のことで成果を出そうとする気持ちが芽生えていたのも事実です。
Webデザインの勉強も、ブログも、小説も、どれも、会社のことから目を背けようとした結果、やり始めたことと言っていいでしょう。
でも、芯のところにある弱さを受け入れられないままだったため、どれについても成果は出せていませんし、成果を出す前に諦めようとすらしていました。
ここ最近は呆然としていることも多く、ただ何もせず、努力を諦め、呆然と時間を過ごしていました。
そこから自力で這い上がることはできず、外部の人間の力を借り、無理やり「異動」と言う形をとってもらうことで、リセットをしてもらえました。
もう一度、同じことになってしまうのではないかと言う心配がないわけではありません。つい昨日まで、異動後に対する不安は猛烈にありました。
ただ、今は、不安よりも後悔の方が強いです。
いつも笑顔でいようと努めてくれた上司の笑顔に報いることができなかった。それが、いまでは、とてつもなく悔しいことでした。
今からでもやり直せる
上司の思いに応えることはできませんでしたが、幸いにして、私は今でも同じ会社に留まらせてもらっています。きちんと実力を身に着けていけば、やがて、いつか、同じ上司の元に戻れるかもしれません。
パニックになりさえしなければ、私は今の上司の下でまた、働きたいと思っています。ここまでかけてくれた情けを、ここまであだで返すことになってしまったことに対する申し訳なさは、本当にあります。
それを、常日頃、抱え続けられなかったのは、ひとえに私の精神力の弱さだと思います。継続し続けることができなかったのだと、重々承知しています。
気持ちを持ち続けることの難しさは、誰よりも自分が良く知っています。大きな夢を心の中に描き続けることができても、それを、具体的にどうやって実現させていけばいいのかが分からないから、悶々と苦しんで、やがて情熱を失ってしまうのが、いつものパターンです。
「次こそは気持ちを絶やさない!」なんてことは言いません。それは、きっと無理だろうということが分かっているからです。でも、気持ちを絶やさなくても、ただ、目の前にあることに精いっぱい頑張っていこうと思います。(その気持ちも絶やさないようにするのが大変かもしれませんが)
終わりに
会社で働くということに対する問題。事の発端は7月に始まり、結局、9カ月かかって異動と言う結末に至ることになってしまいました。
上司の恩に応えることができなかったという後悔は、とても強いです。
「目の前の人間を助けられない人間が、世界を救えるか」という言葉から「目の前の人間を笑顔に出来ない人間が、小説で人を楽しませることができるか」という叱責が、自分の中から湧いてきます。
今更詫びてもどうにもなりませんが、上司には、詫びたい気持ちでいっぱいです。
この記事を書くにあたって、追いつめられた日々の気持ちを綴った記事をいくつも見てきました。
そこには、決して軽くないはずの1日の重みが、感じられました。
この記事の本筋から外れてしまいますが、私は、ずっと1日を軽んじて生きてきたような気がします。100記事の重みは、「利益を生み出さないから」と軽く見ていましたが、やはり、とても重い物だと感じました。
文字数や数だけでは測れない、本当の「重み」を理解していなかったのではないかとしみじみと感じます。
せめて、今日からは、この1日の重みを感じて、生きられるように、もう少し頑張ってみようと思いました。