ドムストの雑記帳

全然器用に生きられない私の真面目な事、勉強の事、お楽しみの事を書くために開設したブログです。

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雑記カテゴリについての解説

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雑記カテゴリは、私自身が思い悩んでいる内容をひたすらに書き連ねているカテゴリです。


私としては、本当はこのブログがサイトノベルや様々な人たちにとって役立つ情報を発信するメディアであってほしいと考えています。


雑記カテゴリは、その望みに根本的に反しているカテゴリです。いつまでもフラフラと往ったり来たりする悩みや、解決策の分からない苦悶、最終的には自分自身を責めてみたり甘やかしてみたり。役に立たなければ、一貫性もありません。

 

私自身、雑記カテゴリは他人にとって意味がないカテゴリであることは、大いに理解しております。

 

しかし、わざわざ、この雑記カテゴリというもを存在させている理由について、あえてすこし解説させていただきたいと思います。

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また、この記事に関連して、昨日投降した、ブログで大切にしたい事も、雑記ブログの存在に関する悩みと、私なりの答えの1つの形です。よろしければ、こちらも読んでくださると幸いです。

 

www.domustox.com

 

 

 

 

雑記カテゴリに含まれる記事

雑記カテゴリに含まれている記事は、他のカテゴリには入れられないようなことが入っています。主に私的な悩みに関する記事が中心になっています。 

 

About Meというカテゴリもあります。そのカテゴリは、前向きであったり、目標に対する経過を記録するものになっています。

 

一方で、雑記カテゴリに含まれるのは、悩み・迷いがほとんどです。今日言ってることが数日前に言ってたことと違うなんてありふれています。

会社に残りたい - 不器用人間の思考勉強お楽しみ

仕事猛烈辞めたい - 不器用人間の思考勉強お楽しみ

これは、私自身の気持ちが安定せず、不安定になっていて、振り子の様に揺れ動いていたりするからです。

 

雑記カテゴリの中では「この間と言ってること違う!」と目くじらを立てるのではなく、今の感情に目を向けて、そう思う理由や自分自身の感情に目を向けることを優先しています。

 

だから、フラフラしていることを見直してみるという記事を書いたりもします。 

悩み悩んで進まなくて - 不器用人間の思考勉強お楽しみ

ここまでくると、いかに自分がどうしようもない状況に陥っているか、よくわかります。

 

 

雑記カテゴリの記事は、考えながら書いているので、筋道だった論の展開というものもありません。文を書いていることで、新しい考えがでてきたりします。構成を事前に考えるということもしていません。最低限、文章は一度見直して、修正してはいますが、そのくらいです。

 

ただ、記事を書いている中で、自分の中で、気付きを得られたら、それはすごくうれしい事だと思っています。

「あ、自分ってこういうことがしたかったのか!」というような気付きですね。

 

それによって、少しずつ自分の行いを改めたり、自分の心の中に眠っていた願望に光を当ててやることができれば、最高です。

 

辛い思いや悲しい思いは、自分の内なる思いと行動が矛盾しているときに、心が発する危険信号のようなものだと思っています。なので、その原因をきちんと解明していくことが、記事を書くことを通じて出来れば最高だと考えるわけです。

 

雑記カテゴリのあゆみ


いきなり歴史について語られてもと思われるかもしれません。ですが、雑記カテゴリについて理解していただくには、その歴史(あゆみ)を知っていただくのが良いと思い、まとめてみました。

 

かつては、私も「ブログに自分のことなんか書いても意味ない」派の人間でした。他者の役に立たない記事などサーバーの容量の無駄遣い、ぐらいに考えていました。

 

内容が面白おかしいのなら自分のことを書く意味もあるとはおもいます。とはいえ、雑記の中で、書き綴っているのは、自分の事、しかも自分の内面や愚痴に近いことです。

 

この雑記を書き始めた時も、「自ら矜持を捨てる」という記事を書いたほどでした。その時、矜持を捨てた代わりに、毎日更新をするという決意を固めたのでした。

 

 

www.domustox.com

 (今見るとYoutuberみたいな題名ですね


上述の記事では、私が矜持を捨てて毎日記事を更新しようとおもったきっかけとなったnote記事について触れています。


その方は、挑戦的な日々を送り、その出来事を毎日note記事を執筆されています。私の様に、ただ悶々として毎日を空費しているような者とはわけが違います。


ただ、その方の

ひとつだけ決めていることは、毎日書くということ。

どれだけ内容がなくても、短くても、疲れていても、毎日書くことだけは続けてみようと思ってます。

 

という言葉に惹かれて、どんなことでもいいから書いてやろうと思ったのでした。


その方は、「文章は伝えるためのツールに過ぎない」ということを認識し、読者に「伝わる文章を書く」事に苦心されています。

私は、ただ書くことだけ、自分の頭の中にあることを吐き出すだけで精一杯になっています。思考の整理だって追いついているか怪しいところです。

 

なので、あの数文だけを抜き書きして、「憧れて同じことをしている!」というのは浅はかでひどい驕りだとは自覚しています。

 

ただ、その後、色々とショックなこともあり、毎日更新は良く途絶えました。ショックのあまり、書く気力すら奪われたことも数回ではありません。

それでも、結局、数日(場合によっては数週間)すると、その辛さを振り返って、記事を書き始め、気がついたらここまで来ることができました。

 

見てもらう文字にすることの力

 

文字にして、何かについて突き詰めて考えていくということには、思いのほか力があります。それによって、苦痛に満ちた生活の中で、わずかに安寧を得てきました。

 

「お前の悩みはお前の日記にでも書き込んでおけ」という意見をインフルエンサーの方が仰っているのを目にしたこともあります。

私自身も過去にはそのように考えていました。

 

ですが、ブログとして記事にして、公開して、誰かに見てもらうくらいの記事にするのは、自分の日記にかき込むのとは違う力があると思います。

 

ブログを書く以前には、google keepメモにひたすら現状の悩みをかき込んでいました。そこには、「もう駄目だ」「辞めるしかないのか」「どうしてこんなに出来ないのか」といった言葉が綴られています。

 

 布団の中でガタガタ震えながら、体をこわばらせて、泣きそうになりながらつづったあの言葉たちが無意味だったとは思いません。(思いたくありません

 でも、結局、それによって、心の安寧や達成感が得られたかというと、そうではありませんでした。

 

積もっていった言葉は、過去の自分を慰めてやるのには役立つかもしれませんが、その瞬間の自分の心に安寧をもたらすのには役立ちませんでした。

 

ブログで、誰が見ているかもわからない、読んでもらえるほどの文でもない(むしろ読みづらい文)ながらも、書き綴って、積み重ねて、記事の1つとしてアクセスを稼いでくれる、糧になってくれているというのは、私自身の自己肯定感を高めるのにも役立ってくれています。

 

勿論、ここでは実名を伏せたり状況をぼかしたりしています。

本によっては、誰にも見せない前提で実名をかき込んで鬱憤を晴らしてやる方がいいという人もいます。

ただ、私の場合は、大切なのは他人ではなく、自分自身の内面なので、あまり他人の実名とか、そう言うのにはこだわらなくていいと思っています。

 

なので、こうやって、見てもらう文を書くということの方が、私にとっては、安心につながる物なのです。

 

終わりに

 

見るに堪えない雑記の中で、どうして雑記を書くのかの記事まで見てくださってありがとうございます。

 

何人もの方が「暗いことをブログに書くな」といい、精神汚染をまき散らしているかのように言う方もいらっしゃいます。

確かに収益をあげる上では、他人を尊重することが大事です。ですが、ブログは私自身のために運営されている物です。そのブログにもたらしてもらいたいのが、安寧なのか富なのか。それを考えた時、私の場合は安寧をとりました。

 

だから、こうして、雑記というカテゴリで、今日も悩みを書き記しています。