ブログを書き続けて半年以上になりました。
ところが、このブログは相変わらずの零細ブログです。それもそのはずで、書いている内容のほとんどが私自身の悩みなどだからです。
悩みやすい人のブログは共感を得やすいなんて言われますが、それは悩みを解決した人だからこそ、役立つ記事だからこそと言う側面があります。そうでない、ただ悩みを垂れ流しているだけだと、それこそ「チラシの裏にでも書いて置け」と言われるような世界です。
ただ、ブログを書くことで気持ちが整理されたりするので、自身の内面的なことだけで言えば、こうしてブログを書き続けていることに不満はありません。時々やる気を失って、もう何も書く気が起きないという時もありますが(今日です) 、そういう時は適当に下書きにストックしてある記事に書き足しをしながらアップロードをしていきます。
とはいえ、いつまでもこのままじゃダメだなと思うのも事実。ブログでドカドカ稼ぎたいという思いもあるので、色々考えてみました。
自分の中にある物をただ出すだけではだめ
このことについて真剣に向き合ってみようと思ったのは、とある西川貴教さんのインタビューを聞いたからです。
インタビューの中で、「自分の中にある負の感情をそのまま吐き出すのではなく、別の形に転化していきたい」という言葉が語られていました。
確かにその通りで、私は自分が経験してきたことをそのまま吐き出すかのように記事にしています。
西川貴教さんは、インタビュー動画の中で「感情をそのまま外に書き出すのは、拾ってきた野菜を出すようなもの」と、料理に例えていました。
実際、今の私は、拾ってきた野菜をそのまま出している状態です。ただ、それはそれで、まったく意味がないわけではありません。
拾ってしまったものが、自分にはどうしようもない癖の強い食材だった、料理しようがない、だからと言って手元に置きっぱなしでは腐ってしまう。だから、自分は食材が腐って、自分を不快な思いにさせる前に、それを外にとりあえず出すことで、自分の心の健康をギリギリのところで保ってきました。
唐突にたとえ話をしてしましたが、拾った野菜とは、私が直面したいろいろな出来事です。振り返ってみればピンチだったかもしれない、逆にチャンスだったかもしれない。でも、それをうまく他人に見せるための技術も気力も、その時の私にはなかったわけです。
だから、「雑記」というカテゴリを作り、自分の中に抱えている思いや悩み、答えの出せない事柄などを書き出してきたのでした。
ずっと仕事ができない私が上司に言っていた言葉があります。
それは、「自分が勉強したこと、知っていることが嬉しくて、それを自慢するだけのような仕事では意味がない」ということです。
自分が(無意識のうちに)大切だと思っていることを、強調したり説明の中心においてしまうのが私です。これはおそらく普通の人間なら誰だってそうでしょう。
ただ、それだといつまでたっても「誰かのためのブログ」にはなれません。誰かに媚びて居る必要はないとは思いますが、誰かの興味を引くことは、ブログを戦略的に運営する上では必要なことだと思います。
自分を満足させつつ、他人も満足させる
自分の為だけに何かをしていたら、いつまでも成功できないじゃん、というわけです。
将来の理想を考えたとき、自分がもし、同じような目にあったとき、どうしたいか。まず、きちんとそれに対処できるのは前提です。そのうえで、その経験を「ひでー目にあった」というだけではなく「じゃあ、他の人がこの危機を回避するためにはどうしたらいいんだ?」「この危機に陥りそうな人が検索するワードってなんだ?」「この危機に陥ってしまった人はどういうワードで検索する?」「回避できないなら手助けするためには具体的にはどうすればいい?」というようなことを考え、発信できるような人になっていたいです。
こうやって、毎日ブログを記していこうと思ったのは、とあるnoteの記事化がきっかけでした。
その人は通常の人では体験できないようなビッグプロジェクトに参加し、そこでの出来事や、そこで思ったことを綴っていました。
その辺りの下りについては以下の記事で詳しく触れています。
今思うと、彼女(そのnoteの作者)は巨大コミュニティに属し、その集団をバックの味方につけていたので、記事を書いたうえでの成果や反響を実感できたのかもしれません。言ってみれば、「とあるコミュニティの中でちやほやされていたから、あれだけ反響があった」のかもしれません。(多少言い方が良くない感じにはなりましたけど)
それに比べて、個人であり、このブログを誰かが応援してくれるわけでもない、私が、ただ、垂れ流しをするだけでは、収益にならないというのも当然のことでしょう。
そうなってくると、今のような自分の気持ちを整理できるような記事を書きつつも、それでいて誰かの役に立つような記事を書くことが大事になってくるのかもしれません。
本当は他人のために役立つ記事を書くことが大切かも知れません。ただ、他人の為だけと言うことを考えると、反響が無かった時にどうしても辛くなり投げ出してしまいたくなります。
そうなるのが嫌なので、自分自身を満足させつつ、他人も楽しませるという若干ハードルの高そうな事にチャレンジしたいのです。
とにかく行動してみる
最近はジッとしていることも多く、ジッとしているときに、悩みが浮かんできたりしてしまいます。
ただ、これも難しいところで、私は「とにかく行動するための時間と金が欲しい!」と思ったから、ブログ、Webデザインの勉強等を始めた人間です。
なので、それにさらに上乗せして「何かする」となるとさすがに倒れてしまいそうです。
ただ、ここ最近はブログの更新も不調気味です。
- ストックが尽きている
- アニメの感想記事で数を稼いでいる
- いつもその日のぎりぎりのタイミングで記事を書いている
というような状況ばかりです。
少し前までは多少ストックがあって、そのうえで、別の記事を書いたりもしていました。下書きに記事のネタがたまってはいるのですが、ほとんどが書きかけの記事になっています。
なので、どうしてもやる気が出ない時にその中途半端な下書きに書き足して記事を作るのはいいのですが、それもやっぱり他人のために書ける記事ではありません。
ただ、いきなり他人の為というのも無茶なので、とりあえず、記事の幅を広げてみたいと考えています。
最近はアニメか自分のことかばかりで、せっかく他のカテゴリがあるにもかかわらず、そのカテゴリの意味がなくなってしまっています。(これとかこれとか)
なので、急にそう言った記事は書けないまでも、色々行動して、記事の思い付きを増やしてみようと思っています。
先日、バカになって猛烈な勢いで疲れ果てるまで散歩してきたのですが、その時は、意外と記事のネタが思い浮かんできました。別にあたりの風景から着想を得たとかではなく、ただ、歩いていると「そういや、こういうことも記事にできるかもな」と思いつくようになっただけです。
そのネタ自体は、思いつこうと思えば、疲れ果てるまで歩かずとも思いつけたはずなのに、歩いたことによってなぜか脳の奥から引っ張り出されたという感じです。
そういう事を積み重ねていけば、そのうちもっと色々な記事も描けるようになるでしょう。まずは他人への価値がどうたらだとか、高尚なところから始めず、自分の活動領域をちょっとずつ増やしていくところから始めようと思います。
私の性にはそれがあっているので。
終わりに
カッコつけたタイトルの割に、なんだかけち臭いオチになってしまいました。
流石にカッコつけすぎたのかもしれないと少し反省しています。
ただ、散歩していて記事のネタを色々と思いついたというのを思い出せたのは収穫でした。(今思い出すとその散歩もすでに2週間前の話ですが)
ともかく何かを広げていってみよう。そう思った今日でした。