頑張ってるけど、報われていない気がする。だから、報われる努力をしたいと思っている。
そんな記事を数日前に書きました。
その一方で、努力以前に時間を浪費してしまっているという自覚もあります。
睡眠とYoutube
一番時間の浪費として心当たりがあるのが、Youtubeと睡眠です。
仕事終わりに息抜きやホッとするひと時を過ごすためと称して、Youtubeで適当に動画を見ているのが日課になっています。
その後、少しやる気になってブログでも書こうと思っても、今度は適当なBGMがないかとYoutube巡りを始めてしまい、それによって、結局時間を浪費してしまいます。
最近はある程度作業用BGMも固定されてきているので、わざわざYotubeでBGM巡りをする必要もないのですが、ついついBGM巡りをしてしまいます。Youtubeが成功したのも、ひとえに「おすすめ動画」の精度が高く、ついつい動画巡りをしてしまう構造になっているからでしょう。
私もめでたくその罠にはまってしまって時間を浪費しているというわけです。
睡眠で言うと、ここ最近はかなり生活のリズムが狂ってきています。そのせいで、二度寝・昼寝を繰り返し、夕方になってやっとエンジンがかかり始めると言った始末です。
無理やりにでも始める気力があればいいのですが、それが無いせいで、ちょっとでも眠くなると、そのまますぐベッドに入って寝てしまうようになりました。もともと精神力がそんなに強くない方で、誘惑に弱いのですが、ここ最近、ますます誘惑に弱くなってきている気がします。
大きな声では言えないのですが、とりわけ、在宅勤務ともなると現状、それなりに業務にも余裕があることからついついサボって眠りこけてしまうことも数回と言ったところではありません。
人生は死ぬまでのカウントダウンと言う人生観
私の人生観は突き詰めるとここにたどり着きます。
生きるということは死ぬまでの暇つぶしと言う感覚です。でも、人生が面倒だしだからと言って、今すぐ死ぬ勇気もないので、ただひたすら生き続けているという感じです。
ただ寿命で死ぬのを待つためだけに生きているという感じです。何かで大きく成功したこともありませんし、何か守らなくてはならない物もありません。自分が死んでも親が悲しむくらいで、私が守らなくてはいけないものは何もありません。
いわゆる子供部屋おじさん、あるいは、パラサイトシングルと言う奴の実家暮らしの会社員なので、ますます自分の人生に対して切迫した物がありません。
同期の多くはお金をやりくりして、家賃や生活費を払って暮らしていますが、私はそう言う切迫した状況にはありません。しいて言うなら、貯金面での目標で常に自分の首を絞め上げ続けているというところでしょうか。
それだって、決して日々の食事を削ったりしてまで節約に励んで貯金しているわけでもないので、切迫していません。
そう言うわけですから、何かを壮絶に強いられている人生ではないわけで、人生に対してどちらかと言うと無気力側な人生観なのかもしれません。
夢もありますし、目標もあります。なのに、それが遠すぎるから、夢を抱えているだけで精いっぱいで、実現に向けた行動を続けられないというのが実情です。
人生においてもっとも色々強いられた時期は丁度今までの1年間と言ったところでしょう。
ただ、その時私は、強いられているものの大きさに耐えかねてしまい、結局、その部署を去ることにしてしまいました。
今の部署はどちらかと言うと業務内容は緩い方です。そのことに迷いを感じることもありますが、それでも、この1年間のことを考えれば、出来ることがあって、何かを任されるだけ良いくらいに思っています。
それでも、この会社の、この部署でこの先40年間生き続けられるかと言うと、非常に難しいと感じています。それは、私自身の能力の不足がどこかで突きつけられてしまい、ある一定の年齢で、昇進できないのであれば去れ、と言われてしまう気がしているからです。
技術職で入ったものの、気づけば事務職の方に転がり込んでおり、キャリアアップだとか、スキルアップと言ったものから遠い世界に来てしまった私は、現状のままでは人生100年の逃げ切りは不可能だと考え、不安を抱いていることが多いです。
人生はカウントダウンと言っておきながら、逃げ切り出来るかできないかと言う不安を抱えている。
そのくせ、夢や目標は捨てきれず、ただ、「いつか叶うだろう」「いつか叶えられる時が来るだろう」と思いながら、時間を浪費してしまっているのが現実です。
極端なこと言うと、昼間寝てしまうのも、この人生観が根底にあるかのような気がしています。寝てしまうことで、あっという間に時間が過ぎ去って、「あ、もう一日が終わる」みたいな感じだと、カウントダウンの針を進められたような気分になるのです。
寝てしまうなら、もっと他のことをやる、せめて好きな事・小説を書くなどに時間を当てられればいいのですが、そう言うこともできないままに、ただ、時間を浪費するこ戸自体が快感かのように感じることも多々ある生活を送っております。
勉強する時間はないけど無駄遣いする時間はある
人間と言うのは不思議なもので、将来のために頑張る時間と言うのはなかなか捻出できないくせして、時間の無駄遣いは幾らでもしてしまうんですよね。
集中して何かをやっていて「あ、もうこんな時間なのか」と言う経験も最近はありません。そういう経験が積み重なっていけば、睡眠なんかよりよっぽど効率的にカウントダウンの針を進められるでしょう。
ただ、ここ最近は、あれほど大好きだった小説でさえ、Web上に公開することで、想像以上に反響が無い事に落ち込んでしまい、筆が止まってしまっています。4月中はずっと更新を続けていた小説『防衛圏のクルス』でさえも、今となっては完全休止な状態です。
最近は、夜にブログを書くのだけが集中して何かに没頭している時間です。といっても、生産しているブログの文章はいつも通りの駄文で、どうしようもないものなのですが。
読書でも、何でもできる様になればいいと思いながら、結局は何にも没頭できずにいます。
何かに没頭できないのは、自分の中で数多くの不安を生み出してしまっているのだろうとは思っています。何かに集中しようとしていても「それで本当にいいの?」という言葉が自分の内側から湧いてしまい、それに邪魔されてしまうのだと思います。
つまりは、最終的には自分との戦いなのだと思います。戦いと言うと大げさですし、力まないといけない気がして、あまり使いたくないのですが、それ以外にあまり適当な言葉も思いつかなかったので、戦いと言うことにさせていただきます。
自分を喜ばせるようなことがあれば、それは自然と没頭できることになるはずだとは思います。
ただ、一体何をすれば自分が喜ぶのかは自分にもわかりません。少し前には旧友と久しぶりに連絡を取り合えるかもしれないという期待が私を駆り立て、その時には仕事さえ、その連絡が来るまでの時間の暇つぶしと思えるほど充実していた瞬間がありました。
ただ、それも結局長続きはせず、いまだに私はその旧友と連絡が取れず、興奮も随分冷めてきてしまいました。
もっと前のことを言うと、おそらく『呪術廻戦』を見ている時には「喜んでいた」のだと思います。『呪術廻戦』は色々なところが綺麗にかみ合っていて、見ていてまるで飽きが来ませんでした。
このブログでもアニメの1話ごとの感想を書き始めたのも、ひとえに『呪術廻戦』のおかげと言うところもあります。
今シーズンは面白いアニメはあるものの、『呪術廻戦』ほど興奮を駆り立てる作品が無く、個人的には少し残念です。
かなり前の話にはなりますが、FP2級の勉強にはかなり没頭できました。と言っても一緒にアニメも見たりしながら勉強していたので、今思えば大分気楽なものです。
それでも、生産的なおことに没頭できたというのは事実で、自分にとっては一つの成功体験と言えるかもしれません。
自分を喜ばせることを見つけ、それに没頭する。それができる様になれば、時間を浪費してしまうことも無くなるのかもしれないと思いました。
終わりに
ここ最近は同じような悩みのことでグルグルしてしまっているような気がしています。ただ、ここで自分のことについて突き詰めるのを止めてしまうと、せっかく得た貴重なチャンスをふいにしてしまう気がしてしまいます。
いつまでもうじうじしていても仕方ありませんが、何とか頑張って自分のポジティブな部分について目を向けていければと思っています。