少し前のことになりますが、脳内での処理領域が狭くて、色々な判断が正常にできてない、という話をブログに掲載しました。
勉強をしようと思って本を読んでみても、文字が脳を素通りしていくかのような感覚があって、内容がよく理解できないのです。
ここまでくると心や脳に異常を来しているということがはっきりしているような感じがしてきます。
立派に患っているという感じがします。
本を読む持久力が無い
本を読めなくなってきたと感じる理由の一つがこれです。
集中力や持久力と言ったものが極端に書けてきている感じがするのです。本を読もうと思っても、すぐに他のことをしたくなったり、本を読むのを止めてしまいます。
読書と言うのは自然に出来るものでした。もちろん、それは、児童書を読んでいたから、内容が簡単だったからと言う理由もあるかもしれません。
ですが、中には結構手こずる本もありました。『ファンタジーの女王』とも称される英国作家『ダイアナ・ウィン・ジョーンズ』の作品は大変でした。前半はなんだかよくわからず、結構苦しい展開で進んでいきます。その後、後半に入ると前半はなんだったのかと思うほどの急展開・面白さになりました。
だから、前半は結構頑張りながら、我慢して読み、後半のワクワク感を得たりしていました。
ただ、最近はあまり本を読むことも少なくなってしまい、そうまでして頑張って本を読むということも全くしていません。
ここ最近はそう言ったこともしていません。ほとんどは無料で読めるWeb漫画やYoutube、アマプラでのアニメなどに費やしています。
こういう生活をしているというと、何とも現代っ子だという感じがします。
小もな一発ネタの動画を何個も見るくらいなら、本でも読んでいた方がマシとは思うのですが、なかなかそう言った時間の使い方はできていません。
せめて、同じネットで何かを読むにしても、Web小説のような、大きい枠で話が進んでいく物語を見ていた方がいい気がするのですが、Web小説発掘みたいなことも出来ていません。
このことについては後日また、色々考えてみようと思います。
面白いと言って良いのかはわかりませんが、ブログを書くことはできるのに本は読めていません。アウトプットよりもインプットの方が簡単そうに思えるのにです。
実際、私もこれは謎なのですが、おそらく、現在アウトプットしている内容に広がりが無いからだと思われます。
今、私はブログの記事を書くとき、自分の頭の中にある情報だけをアウトプットしています。決して自分の知らない情報についても興味を持って調べて、初めて知った情報をまとめて組み立てて、という知的な行動はありません。ただ、自分の知っていること・思ったことだけをこうして書き綴っているだけです。
だから、自分の「外」にある情報とは無縁でいるからこそ、内容に広がりが無く、一方で、ブログを書く方が読書よりも楽なのだと思います。
ネット感覚で本を読んではいけない
私はここ最近ずっと本よりもインターネットの記事や漫画をたくさん読んできました。だから、脳はどちらかと言うと、ネットの記事を読む形に成形されている気がします。
ただ、読書をインターネットの記事感覚で行おうとすると、大変な目に遭います。まず、情報量が桁違いに違います。書籍の方が
その一方で、書籍の方が情報の密度が少ないです。
こういう言い方をすると、「じゃあネットでいいじゃん」ということになるのですが、書籍はロジックが詰まっています。ロジック、つまり論理の流れを吸収できるというメリットも書籍にはあります。
論理の流れを吸収するためには、脳内で情報を留め置いて、後から出てきた情報と結びつける行為が必要となります。
この
- 情報を脳内に留め置く
- 脳内の情報と後から出てきた情報の関連性を見出す
ことが最も大事なことだと考えています。
この2つをいかに短時間で、いかに量が多くこなせるかが頭の良さになってくると思います。
場合によっては、脳内の情報はその場で出てきたものだけでなく、他の場所から入手した知識ということもあるかもしれません。
他の場所で手に入れた一見関係なくみえる知識を別の情報と結び付けられるようになると、それだけで一段と頭が良いように見えてきます。というと見栄えだけの問題に聞こえるかもしれませんが、現実として、一段と頭を良く使えている状態となります。
ブログを書く上でも、小説を書く上でもインプットは大事です。
そもそも、現状の生活が上手くいっていないという強迫観念から最近は自己啓発本を購入することが増えてきています。
これを読んで、何とか生活を良い方向にもっていきたい。何とか心が落ち着いていられる生活に戻りたいという気持ちが強くなっています。
そう言った思いは、「やって効果が出る」本つまり、自己啓発本に私を引き寄せていきました。
身になるかならないかでいえば、どちらかと言うとならないけれど、積み上げていくことで教養と言う深みをもたらしてくれる良書と言う者に触れる機会はめっきり触れました。
昔は、歴史書などを読んだりもしていましたが、最近はそう言う機械もめっきり減っています。コロナ禍と言う中、書店に行く機会も無くなり、とりあえず買ってみるか、ということで読み始める本も少なくなってきました。
読書は自分の調子を知る機会になる
自分自身を「チューニングする」と言う言葉を私が知ったのは『PSYCO-PASS』と言うアニメからでした。
『PSYCO-PASS』第一期に登場する敵役『槙島』と言う人物は、徹底した管理社会において、自由を志す思想犯的な人物であり、技術を駆使して他人を唆し、犯罪行為を行わせたり、自ら手を下すこともある残忍な人物です。
一方で、近未来社会では珍しい「本は紙」派であり、数多の名著を読んでおり、問答においては常に有名な著作物を引用しながら、他人の矛盾や批判を行う知的な人物として描かれています。
そんな彼が自分自身のチューニングとして用いているというのが「紙の本を読むこと」です。
ページの触感を確認しながら、少しずつ文章を読んでいき、その内容が頭にどのくらいはいっていくかで自分の調子を確かめる。そのために紙で読書をすることを勧めています。
槙島は何かというと対面する人物と相反するような他人の著作を引き合いに出し、のらりくらりと議論を躱したり、他人を挑発したり、小ばかにする人物ではありますが、ある種のカリスマも備えており、超多量の読書がそのカリスマのバックボーンにあります。
とはいえ、読書をチューニングや自分の調子の理解に使うというのは結構大変です。これは、ある程度、読書を自然にできることのレベルにまでやりこんできた槙島だからできることと言えるでしょう。
毎日していることならば、昨日や一昨日にできていたことができなくなっていれば、何かおかしいと気づくでしょう。
ただ、私はこのレベルで読書をするということには憧れます。
ミーハーではありませんが、学生時代にかじった社会学を学び直そうと『権力と支配(マックス・ウェーバー著)』を購入したりもしました。
ただ、この本の購入は、素人さんにはお勧めできません。
古い本なので、一文一文がかなり長く、ロジックの展開も複雑なので、本を読み慣れていない人にとってはこれほどクソ本はないでしょう。
私は時々、暇なときにめくっては、一つ一つ丹念に言葉を脳内で翻訳しながら、ロジックを確かめながら読み進めています。おかげで、買ったはいい物の、数十ページしか読み切れていません。
終わりに
なんだか論があっちこっちに行ってしまい、話にまとまりが無い記事になってしまいました。
ただ、要はもっと本を読みたいというのが本心です。
それを、「早く成功しなければ」と言う思いが邪魔してしまっているというのが今の状態です。
目標を忘れないでそこに向けた行動を取ろうとするのは悪い事ではないのですが、焦りを生み、周りの物事に目をやれなくなるのでは本も子もありません。
落ち着いて、ゆっくり目標に近づいて行こうと思います。