最近は「自分も頑張れてる」と言い聞かせて、何とか乗り切っているようにしています。
そうはいっても本心はグラグラで、今までになく精神的に不安定な状況です。
世に目を向ければ、深田恭子さんしかり、大阪直美さんしかり、色々な人が不安を抱えて暮らしており、不安を抱えているのは私だけではないのだと思うようになれます。
一方で、私の抱えている不安が自分の思い描く「明るい未来」「目標」と言ったものと、現在の自分が遠くに位置していることから来るものだというものも自分では分かっています。
頑張り切れていない
そんな単純なことも重々承知しています。
少し前に「自分を喜ばせる」ことの大切さを知り、それによって仕事に対する気持ちが前向きになりました。
ただ、その一方で、「自分を喜ばせる」ことを注視するばかりに、本当に必要な「頑張る」と言うことがおざなりになっているのも事実です。
ここ最近は、ブログを4000字を目安として書くことを目標にやっています。
ただ、今自分が頑張れているというのはそのくらいのことで、それ以外のことは「自分を喜ばせる」方に時間を使ってしまっています。
これは、自分の中では浪費ともまたちょっと違う感覚でいます。浪費よりももう少しだけ前向きな感覚でいます。
とはいっても、結局、目標に到達することの為に時間を使えていないならば、それは浪費と同じことと言う意見もあります。ただ疲れるだけが仕事じゃない。成果を出してはじめて仕事になります。
つまり、今の私は成果が出せていないので仕事をしていないということになります。
ここで、「仕事をしていない」と精神的に負荷をかけてしまうのもどうかとは思ったのですが、私自身がより強くなるためにはこのことをしっかりと意識しなければならないと思いました。
最初の時点では「そういう意見もある」ぐらいの書きぶりにしようと思ったのですが、それではだめだと思い、自分を叩き直す覚悟を持って「成果が無ければ仕事で無し」と言う風に書きました。
疲れて、自分は頑張ったんだなぁと自覚することも大事だとは思います。ただ、それを積み重ねて、さらにその上を目指し、成果を出すことが、今の私には求められているのだと思います。
頑張れていないことは強く実感している
ここ最近のブログの投稿を見てみると、自分が頑張れていないと思っているからこそ出てくる言葉がタイトルに並ぶ記事がたくさんありました。
これだけ並べ立てても、やっぱりまだ自分は努力を出来ていないと思っています。
一番それを痛感するのは「お金」です。
30歳で2000万円を貯金するという目標を今更になって計算し直してみると、とてつもなく過酷な貯金額が求められていることを知り、今更になって唖然としています。
昔の自分は、「きっとそれくらい頑張れる」と思っていましたし、それに向けて頑張ろうと息巻いていました。ですが、私は結局、頑張り切れず、仕事で失敗を繰り返し、精神的に参ってしまいました。
有名人で精神的に参ってしまうのと、無名の一般人で精神的に参ってしまうのと、苦痛は同じだと思います。ただ、私の中では、既に実績を持っている人々にとっては、こうした挫折など、私の挫折に比べれば取るに足らない物なんじゃないかと思ってしまいます。
客観的に見ると逆で、著名人が抱える気持ちと言うのは、何百万人と言う他人の気持ちに晒されているので、私の状況よりよっぽど過酷です。
ただ、既に社会的に一定の成功を収めているんだから、もういいじゃん、と思ってしまうのが、私の心の狭さです。
私は毎月20万円の収入があればそれで人間生きていけると思って居る所があります。なので、1億円以上貯金がある人は、それ以上稼ぐ必要はないと思ってしまうこともあります。
ただ、実際には、多くのお金を稼げる人は、その周りの人も稼がせているという側面があり、一度稼ぎ始めてしまうと、引っ込みがつかなくなってしまい、自分のキャパを越えてしまうのだろうと思います。
だから、本心では「もう十分貯金もあるし、引退してゆっくり暮らしたい」と思っていても、それが叶わないのだと思います。
それに、顔を売る商売上、その辺で適当に暮らすということも出来ず、ある程度自分の身を守ることの為にもお金を使わなければならず、私のような「20万あれば暮らせるでしょ」というのは非常に無神経な発言と言うことになります。
少し話が脱線してしまいましたが、今の私を苦しめているのは
- 30歳で2000万円を貯金するという目標
- 仕事がこの先ずっとやれるのかと言う不安
- 旧友からの連絡が来ないという不安
の2つです。
そのどちらも、死に物狂いで頑張れば何とかなるのかは分かりません。だから、出来るのであれば死に物狂いで頑張りたくない私は死に物狂いで頑張っていないのです。
ただ、それを認めることで少しだけ楽になることも事実でした。
強要される環境も悪くない物かもしれない
漫画の神様・手塚治虫は「周りに強いられたからこそあれだけの作品を世に送り出せた」と言っています。
自分一人では、私と同じで投げ出してしまったのかもしれません。あるいは逆に、締め切りが無いならと完璧な1作を追い求め続けて必死で何かを書き続けていたのかもしれません。
どちらなのかはわかりませんが、いずれにしても、ある程度、強要される環境と言うのはそれはそれで素晴らしい物なんじゃないかと思うようになりました。
特に、ここ最近は在宅勤務で行う仕事が増えたことや、小説の執筆がとど凝っていることでそのことを強く実感するようになりました。
とはいえ、そもそも、私が仕事をできなくなったのは細かいところまで様々なことを強要されてのことであり、自分のキャパを超えない程度の強要を求めるというのはつくづく甘えん坊だという感じがします。
だからこそ、自分の手綱は自分で握れるようになることが大事なのかもしれないとも思うようになりました。そのためにと、自分を喜ばせることを重視して見たのですが、かえって裏目に出ています。
浪費していた時間、創作に充てていた時間をまるごと『ゲーム』に費やすことになってしまったのです。
ゲーム自体を否定するわけではありませんが、私は結構ゲームにドはまりしやすいタイプで、一度やり始めてしまうと止まらなくなってしまいます。
それもあって、さすがにゲームにタイマーを着けようかな、と思うようになりました。
これも、何かを強要する行為の一環だと思っています。
終わりに
結局、いいたいことをただ書き並べるだけのいつも通りのブログになってしまいました。論理もへったくれもあったもんじゃありません。
ただ、自分の不安の源になっている3つの事柄について認めることで、急に心が楽になったような気がするのも事実です。
散々身の回りの人には相談してみてはいたのですが、その時は、かえってそのことを考えていることで感じる不安が増大しているような気がしました。
ただ、今は少しでも何とか改善をしようと思っているからか、気が楽になりました。
様々な方面で、色々なアプローチをかけることで、この問題に取り組んでいこうと思います。