ここ数週間は割と順調に保てていた私のメンタルですが、ちょっとした「うまくいかなかった事」の積み重ねで、またも不安と悩みのスパイラルにハマってしまいした。
もともと精神的に不安定な人間であり、決して精神的に落ち着いている人間ではないので、ちょっとしたことで不安や悩みがぶり返してしまうのは、仕方ない事だと割り切っています。だから、今までに比べると、悩んでしまう自分・不安を感じてしまう自分のことを前向きに受け止められています。
それでも、少し「悩み」が「続いている」ことは結構のっぴきならない事だと思うので、少しそのことについて考えてみます。
悩み続けてしまっている
何となくふとした一瞬でも、悩みが頭をよぎってしまうことが多々あります。
在宅で仕事をする機会も増えてきたのですが、その時は、まるで集中できず、不安や悩みが頭をよぎることが多々あります。
会社の面で言えば、異動する前は自分に出来る仕事がないことばかり頭にありました。異動した後は、キャリアのことで悩み始めました。
それ以外の面では、自分の目標や友人づきあいなどが不安要素として挙げられます。そのせいで、結構夢でうなされることも増えてきて、なかなか気疲れしてしまいます。
自分がうまくいっていない、自分がダメだと思っているからこそ、悩みというものは生じるそうです。
そして、悩みを抱え、自罰的であることが、うまくいっていない現状に対する自分なりの脱出方法だと人間は錯覚してしまうのです。
悩むというのは結局堂々巡りをして結論を出せずにいることです。何かを決断するのとはまた違った時間の使い方です。
結局、悩むというのは脳の要領の無駄遣いをしていることであり、もともと脳機能がしっかりしている方ではない私が無駄遣いをしてしまっては、普通の人間でもできるようなことができなくなってしまうのも当たり前のことかもしれません。
ワークがうまくいってこそのライフ
世の中、ワークライフバランスという言葉があります。私が会社で仕事ができない状態にあった時も、会社には在籍させてもらっていました。おかげで、給料は普通に受け取りつつ、残業はしてはいけないという状態で、ある意味ワークライフバランスはとれている状態でした。
ただ、ワークの側からメンタルを恐ろしくむしばまれ、ライフの方も決して順当とは言い難い状態でした。むしろ、メンタルをむしばまれて、正常な状態ではありませんでした。
その時には、薬の力でメンタルの不調を抑え込んでいましたが、それでも完全に抑え込むことはできていませんでした。
おかげで、部署を異動することになり、落ち着いて仕事ができる環境は整えてもらえるようになりました。
ただ、それでも、うまくいかないことは多く、自分で仕事を上手くマネジメントできていない自覚があるがために、それによって落ち込んでしまうという部分があります。
私はある程度社会的集団にきちんと所属できていると自覚することで安心を得られる人間です。ですが、今の状況では自分の会社の一員としてきちんと利益に貢献できているわけではないという思いから、どうしても、会社の一員として所属できているという自覚が得られず、不安なままです。
仕事は仕事として割り切って、とにかくやっていくことのできる人もいますが、私は仕事だからと割り切ることができず、自分の感情の方を優先してしまうことも多いです。それが許容される環境であったからこそ、仕事ができないというわがままが許されたともいえるのですが。
大分話が長くなってしまいましたが、何が言いたいかと言うと、仕事がある程度順調に進んでいないと、どれだけ福利厚生や環境が安定していても、ライフの部分で楽しみがあったとしても、精神的には辛く苦しい状況に陥ってしまうということです。
何しろ、約8時間、一日の3割は仕事に充てられるわけですから、その部分での悩みが多ければ、当然残りの時間を蝕んでくるようになります。
なので、まずは仕事の部分から悩みを切除したいと思っています。
悩みの連鎖は断ち切らなくてはならない
「人は成功するから幸せなのではなく、幸せだから成功する」という言葉があります。このことは科学的な調査も行われており、そこそこ信ぴょう性の高い言葉として扱われています。(とはいえ人間の心理と行動は表裏一体なのでその逆もまた正しい可能性もあるのですが)
ただ、少なくとも悩み続けている状態は幸せな状態ではありません。
悩んでいると、何かを判断・決断するための脳の容量が圧迫されて、結局良い考えが思い浮かばないということになってしまいます。そう考えると幸せな状態、特に雑念のない状態で何かを考えられるのであれば、自分の脳を目いっぱい使えるので、そちらの方が効率的に物事を考えられるのは当然だと思います。
私の脳は悩みや緊張、失敗への恐怖でいっぱいになっています。それらにたいして1つ1つどう向き合えばいいのかもよくわかりません。どう向き合って、どう対処したらいいのかわからないからいつまでたっても悩みが悩みのままです。
結局、どれほど安心できるような環境であったとしても、すぐに悩みが頭をもたげてくることがあり、自分のメンタルの癖として「悩むこと」が癖づいてしまっているのかもしれないとも思うようになりました。
幸いにして、うつ病と言うほど深刻でもなく、割と軽く構えて居られると言えばそうなのですが、それでも薬を貰って精神を落ち着けているのも事実です。
何かに思い切り没頭しているときは悩むこともないのですが、なかなか没頭できる時間が多くないのも事実です。
最近では、没頭できることと言うと、「寝る事」か「ゲームすること」あるいは「会社で仕事すること」のどれかです。
ただ、この「寝る事」というのがまた疫病神のようなものです。「寝ること」で何もかもから目を背けられることもあるのですが、逆に、眠ることでうなされて酷い目にあったりもします。
さらに、寝るというのは完全に逃避行動であり、「いやなことがあったら目を背ける」と言う癖が心理的についてしまうと、何事にも及び腰になってしまいます。
今の私はまさに及び腰・逃げ腰な状態であり、何事にも消極的です。
なので、この悩みから目をそらすための選択肢から「寝る」を消去したいのですが、これが中々うまくいかずに、数年以上たっているような気がします。
「眠気」と言うのは生理的欲求なので、これに理性で逆らうのは結構大変で、カフェインを投入したりすることでやっと対抗できたりします。
ところが、私はカフェインにも弱いので、カフェインを過剰に摂取すると、吐き気で起きているどころではなくなり、結局、横になって休まざるを得ない(でも吐き気で眠れない)と言う結構悲惨な目にあいます。
もう一個の「ゲームする」というのもあまり良い選択肢とは言い難いです。ここ最近は、新しくNintendo Switchを購入した影響で、余っている時間のほとんどをゲームに費やしています。
ゲーム自体は悪い事ではないのですが、ゲームに時間を費やし過ぎてしまっている、入れ込み過ぎてしまっている自分に対して嫌気がさすことなどが、問題として挙げられます。
悩みには直球で向き合うしかない
最終的には、悩みの根本に体当たりしていくしかないのかな、と思いました。「逃げがダメだ」というならば、直球でぶつかっていくしかなく、悩みの原因を根本から取り除いていくしかないのかな、と思いました。
それができれば苦労はしないのですが、そもそも苦労しないで悩みが解決すると思っているのが間違いで、誰だって苦労しながら悩みの解決に向かっていっています。
最終的には、苦労したあげく、何の成果も得られないかもしれません。ただ、努力が無駄になることを恐れて今からビビっていても仕方なく、とにかく何らかの行動をすべきだと感じました。
なにしろ、何か苦労をしている間は、とりあえず、悩みから自分を遠ざけられる時間になるはずです。「没頭している」ほどに至らずとも、とにかく何かをしていることで、悩みから頭を遠ざけられるのは実は実感済みです。
それは、この「ブログを書いている」ときです。ブログを書いているときは、最近ではもはや誰に読まれることもないだろうという気持ちも出てきており、無心になって言葉を書き連ねています。
昔あれほど好きだった小説を書くことも、読まれることを意識することで筆が止まってしまうようになってしまいました。
絵を描くことも同様で、最近は自分の絵の下手さにどうにも辟易してしまって、落書き以上に手の込んだ絵を描こうという気が起きなくなってしまいました。
下手の横好きでも続けられるものがあるというのはいいことで、今の私にとっては、それがブログになっています。
だから、ひとまずいろいろ苦労して、苦労してからその後どうするかを考えてみようと思いました。
終わりに
最初は心が締め付けられ、苦しい思いで書き始めた記事でしたが、なんだかんだで明るい結論に持っていくことができました。
最近は、「行動しよう!」という結びで記事を終えられるようになってきて、自分の中でも少し気持ちの整理がついてきたのかなと思うようになりました。
ただ、それを実行に移せているわけではなく、むしろ、行動は全くと言っていいほど出来ておりません。
だから、もっと頑張って苦労して、何とか事態を改善していく必要があるのだろうと思っております。
まだまだ人生これからですから、あまり打ちのめされずに、生きていこうと思います。