ドムストの雑記帳

全然器用に生きられない私の真面目な事、勉強の事、お楽しみの事を書くために開設したブログです。

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過去のつらい思い出と折り合いをつける「自分の人生のif二次創作」

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私にも多少なりともつらい過去はあります。

いじめられたり、テストの点が良くなくて親から怒鳴られたり、失恋したり、仕事がうまく行かなくて上司に腫物扱いされ続けたり、色々あります。

思い出すだけでむかっ腹が立ったり、心の中の棘のようなものを感じたりします。

 

そういうことと折り合いをつけようとぼーっと考えていた時に思いついたのが、「自分の人生のif二次創作」です。

あくまで自分で思いついてちょっとやってみていい気分になれたというだけの話なのですが、もしこれを見てみて、やってみて、うまく行ったり、逆に落ち込んでしまったりしたら、乾燥いただければと思います。

 

やり方

「自分の人生のif二次創作」をするだけです。何かに書いても、ぼーっと妄想するだけでもいいです。

 

例えば、私が上述した辛い思い出に対してifストーリーを作って例に挙げてみると

  • 失恋した
    • (if)失恋しなかった:デートでもっといろいろなところ(海外など)にも行けた
  • テストの点で怒鳴られた
    • (if)テストでいい点とった:ほめられた
    • (if)怒鳴られず励まされた:次も頑張ろうと思えた
  • いじめられた
    • (if)いじめられなかった:平穏無事に暮らせた
    • (if)いじめっ子から告白された:それによっていじめもなくなり恋愛も楽しめた

の様になります。

 

この時、ifとして設定するのは、「幸せな現実」であって、「自分の行動」である必要はないです。

むしろ「テストでいい点とれるくらい必死で勉強してたら怒鳴られずに済んでたのかなぁ」ではなく、「何でか知らんけどテストでいい点とってたら怒鳴られずに済んだなぁ」と、幸せに直結できるできるくらいのifでいいと思います。

 

アニメや漫画に詳しい人やSNSを見ている人などだと分かると思うのですが、if二次創作って本編からどうしてそうなるのかなんて正直どうでもいいけど、そのシーンが見たいから作られている作品というのも多いです。

原作では死別した二人だけど、生きていた世界線で楽しく暮らしてるif二次創作、とか原作がつらいほど、現実を無視した設定の二次創作の味わいが深まります。

 

二次創作ではないですが「もし徳川家康が総理大臣になったら」なんて作品がありますが、あれはあくまで大事なのは徳川家康が総理大臣になった後のドタバタであって、「どうして徳川家康が現代によみがえるんですか」という部分は正直どうでもいい。

 

 

そんな感じで、自分が楽しく感じられるような部分に前提を置いて、自分の過去を二次創作すればいいという方法です。

「すごく激しく辛く勉強したらテストでいい点とれただろう」という風になればいいのですが「すごく激しく辛く勉強したらテストでいい点とれたかもしれないけど、取れなかったかもしれない」という風に思うのなら「何でか知らんけどテストでいい点とれた」でいいんです。そこより前はまぁ、適当でいいや、と。

そこから始めて後は楽しい部分だけ見て終わればいいです。

 

だから、私なんかは急に「いじめっ子として記憶に嫌な残り方をしている女子からガチ恋されて急に付き合う」みたいな突拍子もない設定のifで妄想をはじめ、ろくに行ったこともない原宿の竹下通りに中学生で行って、ソフトクリームおごってもらうところまで想像して楽しんでました。

 

 

ただ、想像を続けていくうちに、だんだんノイズみたいなものも多くなってきます。

ifが積み重なれば、どこかで自分の人生の思い出の大切なポイントと衝突してきます。

 

例として、中学校でいじめっ子と付き合って、幸せな中学校生活を送っている想像をし続けていると、果たして自分が通った高校に行ってただろうか、もっと別の高校に行ってたんじゃないか、と思いました。

私の場合は高校時代はすごく楽しく、今の親友とも出会いました。

もし、中学生で誰かと付き合っていて、その相手にあわせる形で別の高校に行っていたら、きっとあのいい思い出の数々も消えて行ってしまうんだろうな、と。

そう思うと、なんだか今の人生も悪くないような気がしてきたのでした。

 

高校時代が全て黄金色かというとそうではなく、気の合わない同級生にイライラさせられたり、フラれたり、やっぱり勉強がへたくそで浪人したり、色々な目に遭ってきました。正直、自分の青春は灰色の青春だぜと思って暮らしてました。

でも、別の人生を歩んでいたら失ってしまうような、でも失いたくないものもあるんだなぁと思いました。

 

なので、嫌なことがあったとしても、自分の人生、全てページを引きちぎってないことにしようと思うとちょっと寂しいな、と思うくらいにはいいこともあったんだ、という風にも思えました。

 

逆に、ifの自分のストーリーを描いて、人生を上書きしようとしたとき、どこか手の止まるポイントを探していくというのも、この想像のメリットなのかもしれません。

 

 

終わりに

そもそもこの方法を思いついたのは、「過去は変えようがない以上、自分の過去ですらドラマのようなもの。ドラマの様な距離感で自分の過去と接すればいい」と思っていたところ思いついたことでした。

 

自分の人生をどこかで枝分かれさせて、全く別の人生を歩んでいたら、少なくとも、今ここにいる自分とは全く別の人生で、手に入れるものは多かったかもしれないけれど、今手に入れたものはすべて失ってしまう。

 

果たして、自分でこの想像をしてみていい気分になることはできたのですが、それが万人に当てはまるのか、つらい過去を背負って、今なお辛い思いをしている人にとってはかえって残酷な方法であって、ただ単純に今が幸せな人間がもっと幸せになるためだけの方法なのかもしれません。

 

もし、これが何らかの役に立ったら幸いです。