いろんな立場の人が居て、いろんな思考の人がいる
— ドムスト@マルチクリエイター (@domustoX) 2021年2月24日
そんな当たり前が人を救うこともあるんだと気づくことのできた日でした
いろんな立場のいろんな性格の人が居て、いろんな意見がある。
— ドムスト@マルチクリエイター (@domustoX) 2021年2月25日
でも最後にそれを引き受けるのは自分なわけで、耳を貸さないのも、受け入れるのも、実践するのも、どれを選択するのも自分が引き受けなきゃいけない
そんなことを二日連続でつぶやいていました。ドムストです。
今までずっと、課長という上司とほぼマンツーマンで話をし、課長の意向が私にとっての全てでした。
しかし、部長と面談をする機会があり、その時に、色々話してみると、課長の意見が全てではないということが理解できました。
一方で、部長の意見は生易しいということに対して、課長は私にくぎを刺す場面もあり、はっきり言ってどっちが正しいのか、私は非常に迷いを感じています。
もちろん、どちらも正しくて、どちらも間違っている部分もあるというのが真実です。
ですが、どこが受け入れられて、どこが受け入れきれないのか、そういったことをちょっとずつ整理していこうと思いました。
課長と部長で全然違う
今まで部長とは、まったくと言っていいほど話をするタイミングがありませんでした。
やや特殊な部門体制のおかげで、私の仕事は課長のとマンツーマンでした。仮にほかの人と組むような場合でも、私の課長の意向に大きく左右されることになるため、基本的には、課長が絶対な体制でした。
絶対というのはさすがに言いすぎなのですが、新入社員の時からずっと、その上司からの指示を受け続けていれば、課長が絶対と思うようになってしまうのは仕方のないことだったと思います。
ところが、部長と話してみて驚いたことは部長と課長はスタンス・性格・思考がかなり異なっていたということでした。
別人なので当たり前と言えば当たり前ではあります。ただ、課長=会社の方針というような課長絶対体制の中で、他の人の意見を聞くことができる機会というのは貴重な機会でした。
部長は温厚で人当たりの良い人物でした。どちらかというと時間がかかってもいいから、しっかりと出来ることをやっていける環境を整えていくということを優先して考えてくださっているようでした。
今まで、私が自習という形で会社に在籍することができていたのも、部長がそのことを許容していたからでした。
一方、課長はというともう少しシビアな方です。その厳しさはやさしさが故と理解してはいるのですが、非常に細かいところにまで言及されるので、とても緊張してしまいます。
「課長に緊張する」ということを認めるだけでも随分と時間がかかったものです。なにしろ、課長以外の人と仕事をする機会がないので、「仕事=課長とすること」でした。
なので、部長と話して「仕事=課長」ではないことに気づいた時には少し安心をしました。何しろ、日曜日から体がこわばったり、憂鬱になったりするほど緊張を抱えながら、とても生きづらく暮らしてきたこともあるほどだったからです。
また、部長からは移動の話も出てきました。部長は、私と話していて、そこまで大きな問題を感じる要素はないと感じたとのことでした。なので、今の部署のような閉鎖空間から解き放たれて、少し(部署の)外の空気を吸うことで、後は少しずつ勉強していけば、しっかり社員としてやっていけるという 意見をお持ちでした。そして、そのためにはまず、安心して、できることのある、部署に異動するというのが一番ではないかと言ってくださいました。
以前に、課長の口からも「異動」に関する話は出てきたことがあります。ただ、それでも、課長は私の能力不足を(私以上に不安視していたため)異動して何かが変えられるわけではないということを、常に言及していました。
それもごもっともな意見で、逃げ腰な性格やミスコミュニケーションというのは私自身の問題です。異動した先で私が急にそういった性格を矯正できるわけでもありません。
課長は、(部長の言うような)ソフトな部署ではなく、もっとハードな部署でとにかく目の前にあることをやらざるを得ない状況で、失敗して失敗して失敗して、やっと少し成長して、というような部署の方がいいのではないかとのお考えのようでした。
課長と部長の視座の高さ
ある意味で、課長と部長は仕事としてなすべきことの視座の高さが違うとも感じました。
課長にとって仕事とは金を稼ぐことです。そして、仕事とは、ただ数字の計算や解析をすることではなく、人とコミュニケーションをして、相手を納得させることです。
むしろ、計算や解析だけできても、それを説明する能力がなければ意味がない、役に立たないぐらいに考えている方でした。
一方で部長は、数字の計算や解析を主な仕事としてきました。もちろん、それを人に説明する状況はあったはずです。ただ、説明を行う状況も相手も全く異なっていたのだと思います。
部長のやってきた仕事は、計算をして、定型の文章を使って、一定の知識のある人物に対して説明をするという仕事だったのだと思われます。
課長は、計算というよりも明確な正解のない世界で、まったく知識のない人物を相手に、ありとあらゆるコミュニケーション手段を使って説明をする仕事をしてきた人です。
言って伝わらなければ書く、書いて伝わらなければ図化する、図化してダメならパワポを作る、パワポでもダメなら別のパワポを作り直す、というように、話がスッとは通じない相手にどうするのか、工夫し続けてきた人です。
そして、課長は、部長の言うような安心して働ける部署に行くことで、ぬるま湯につかってしまい、同期で入社した仲間たちと、大きく差を付けられてしまうことには注意しろ、と言いました。
すでに、同期たちは仕事をする中で、様々な経験を積み、苦しい思いをして、自分の今までの常識や甘さを捨て、社会や会社に適合する努力をしてきたはずです。
その努力を
どちらの意見が正しいのか
正しいか正しくないか、というのは本当はそもそも正しい問いではありません。
ただ、自分の中で課長と部長という二人の人間からもらった意見に対する意見を、自分の中で整理したくて、この記事を書いています。
どちらかというと、正しさでいえば、課長の方が正しいと思います。課長の方が現実主義であり、(ひょっとするとシビアすぎるのかもしれませんが)細かいところも考えていますし、切れ者です。
ですが、私はその課長の考えやシビアさに押しつぶされてしまって、仕事ができなくなり、精神科に通い、薬を飲んでいます。
何もすべてにおいて課長が悪いというつもりはありません。受け止める側の私にも問題があったことは、言わずもがなだと感じています。もっと早くに自分の気持ちに気づいて、対策をしてあげていれば、こんなことにはならなかったのかもしれません。そこは、自分にも責任があるとは思っています。
ですが、課長の考えを全て受け止めて、受け入れて、実践しようとすると、おそらく私は壊れてしまいます。だからと言ってミスコミュニケーションを起こしてしまうような言語能力のままであったり、思考能力が低くて話についていけないという私自身の能力では、ダメだということは、痛感しています。
ただ、それでも、考えが自分の頭にスッと馴染むかという観点で、部長の意見を聞いていたいです。
それがまたダメなのかもしれません。ダメな人間のダメな思考に合致する部長の意見の方がダメなのかもしれません。そういう意見におもねり続けてきたからこそ、今こう言う状況になっているのかもしれません。
もっと、前の段階で課長のような思考に出会い、それを身に着けることができていれば、もっと成功できていたのかもしれません。
今ここで、課長の思考から目を逸らすことは、よくないことなのかもしれません。
ただ、結局のところ、課長は、私の停滞した時間をどうすることもできないままでした。半年間、私に「自分で何とかしろ」と言い、細かいところや大筋での指導はしてくれたものの、私が求める中間での粒度での指導はしてくれませんでした。具体的に何をどうすれば、課長の言う技術が身につくのか、結局は課長にも分からなかったのでしょう。
だから、どれだけ正論を言っても課長の意見に耳を貸さないというのも、一つありなのかもしれないと思いました。
終わりに
結局のところ、今の私は(あえて極端に言うと)部長のことを受け入れたく、課長の意見は受け入れがたい正論と感じているのだと思いました。
この記事を書くことで、その矛盾を解消できればと思いましたが、まだそこには至らないようでした。
ここについては、改めてほかの人の意見を聞きながら、また考え直してみたいと思います。