ドムストの雑記帳

全然器用に生きられない私の真面目な事、勉強の事、お楽しみの事を書くために開設したブログです。

MENU

日曜夜の憂鬱の理由

スポンサーリンク

日曜日の夕方あたりから、突然、体が強張り始め、憂鬱を感じるようになります。

 

そうなってくると、何かをする気力が失せ、思考力が落ち、ブログや小説、勉強が思うように進められなくなります。

 

なんでこんなに日曜の夜になると気分がざわつくのか、自分自身の感情や内面に目を向け、理由を考えて、とりあえず、知るだけでも知っておこうと思います。

 

f:id:domustoX:20210117225506j:plain

 


仕事がそれほどに嫌だ


仕事が嫌というのは、単純に仕事に対して無条件で恐怖を感じることもあります。結局、今でも私は無力なままで、他の人が立派に仕事をしているのを見ると、それだけで心が痛むような状態です。

 

だからといって、前向きに業務に食いついていけるだけの気力もありません。気力のあるなしで会社の仕事をやる・やらないと言った話をさせてくれるだけ、甘やかされた環境であることは間違いではありません。

 

ただ、やっぱり、会社での仕事と言うだけでもかなり精神的に重い物がありますし、神経をすり減らしているのも事実です。

 

この神経のすり減らしをなんとか軽減して、前向きに物事に取り組めるようになると良いのですが、まだどうしても、難しいようです。

 

会社の仕事に対して、自分がどう思っているかについての理解はまだまだ、きちんとはできていないようです。

 

少なくとも、現状は、

  • 出来ない事が多い
  • 自分で考える事が多い
  • 上司への恐怖

といったことの積み上げで、改善が進まず、将来への不安が強くなっているということを原因の一つとして認識しています。

 

おそらく、それを理解していてもまだ、緊張してしまうのでまだ別の理由があるのだと思います。そこは、もっと深掘りしながら、自分がいまだに気づけていない原因を探っていけたらと思います。

 

自信を打ち砕かれるのが嫌


週末は、それなりに色々な活動に精を出しました。さらに、人と話す機会があり、「雰囲気が明るくなった」「しっかりやれてると思う」など、褒めていただく機会もありました。

 そう言った意味で、今の自分は、自分を認められる状態です。

 

ただ、やはり仕事がうまくいかないというのは、自信を打ち砕いてきます。一日7時間、ずっと自分の無力を直視させられている(あるいはそこから目を逸らそうとしている)精神的負担は大きく、それによって、せっかくの自信はドンドンすり減っていってしまいます。


今の私は自分だけで自信を支えられるほどではありません。周りの声に大きく影響されてしまいます。幸いにして、こんな私でも、才能や実力・魅力を感じてくださっている人はいてくれます。

 

ただ、会社の仕事をしているときは、そう言った優しい方々の声よりも、自分の中の厳しい声の方が大きくなってしまいます。

 

 

かりそめとはいえ、周りからの応援を受けてせっかく積み上げた自信が、あっという間に崩れ去ってしまうのは悲しい事です。

 

特に、「頑張ったのに無駄になってしまった」ということが嫌いな私には、積み上げた自信が崩れるのが嫌です。もう一度やり直してやるという気力を回復させるのに、どうしても時間がかかってしまいます。

 

人生には波があり、一度上昇しても、その後に下降してしまうこともあります。私は、その上昇の時と下降の時の感情の落差で、大きくモチベーションを下げてしまいます。

 

成功体験・失敗体験、どちらもサンプルが少なく、こういった事態の変化に対する心構えがあまりできていないのが原因なのだろうということは理解しています。

 

ただ、「数をこなせ」などといまさら言われたくはありません。

 

思っていたほど成果を残せなかったことへの悔い


毎週思っているにも関わらず、相変わらず、成果を残すことができないまま、週末が終わってしまうことへの悔いを感じているからこそ、週末が終わるのが辛いのだと思います。


ここで言う成果とは、実際に収益やアクセスと言った成果ではなく、もっと小さいものです。例えば、ブログの記事や小説のストックをするだとか、Webデザインの勉強を進めるだとか、そういったことです。


金曜日に仕事が終わるといつも「よし、週末だからやってやるぞ!」という気持ちになっています。


しかし、いざ週末になると、結局、「何か少しやる気が足りないなぁ」という気持ちになってしまいます。そして、youtube巡りで時間を潰してしまったり、上手に時間を使うことができないままに、週末が終わる時間に気付いてしまうということを繰り返しています。


自分の中でもう少し「自分は頑張れた」と思える成果があれば、平日でももう少し自信をもって物事に取り組めるのかもしれません。
そして、自信があり、迷いが無ければ、目の前のことに集中することができたのかもしれません。

気力がある時とない時では、作業を始める時の難しさが段違いに違うということは最近になってやっとわかってきました。

 

メモやタスク管理を駆使しながら、何とか自分の理想の休日を実現しようとは思っています。ただ、本日はさっそく二度寝からの11時起床という乱れまくったことをやってしまいました。

 

気力だなんだという前に、早寝して、生活のリズムを整えることに注力した方がいいのかもしれません。

 

人としての性質的な問題

人間は夕方になればどんな人間でも多少はおセンチになります。それは、ホルモンの関係です。もちろん、そのホルモンの影響を大きく受ける人もいれば、影響が小さい人もいます。

 

私だって、その日の気分や体調によって気分に変化はあります。日曜日は、上述したような理由から、特にそう言った気分に陥りやすい状況です。そこにさらに、生理現象という理由も加わって、憂鬱になるのかもしれません。

 

これは、私の思考の癖というより、生理現象、自然な出来事だとしてしまう考え方です。

今の私としては、どちらかというと、自信の内面に目を向けてやることを重視しているので、あまり自然現象のせいにしてしまうのも良くないとは思っています。それをやると思考停止になってしまう可能性もあるからです。

 

ただ、すべてが全て、自分のせいだといって、自分を責めてしまうよりは、ある程度環境のせいなんだ、自分のせいじゃないんだ、と思うのもありかとは思います。

 

何事についても100%誰か一人の責任というわけには行きませんからね。

 

なので、憂鬱だからといって、すべてが自分の思考のせいだというわけでもなく、環境や人間の自然な生理現象である、という受け止め方でもいいのかな、とは思います。

 

 

終わりに

というわけで、日曜日の夜に気分が憂鬱になってしまったので、そのことについて、まとめて考えてみました。

 

こうやってじっくりと文字に起こしながら考えていると、「これもかな?」「あれもかな?」と、新しい気付きを得ることができ、今回もその気付きを得ることができました。

 

今後も、しばらくはこのブログを自省のツールとして活用していこうと思います。

 

考えてみると、朝寝坊したことも、精神的な負担と関係しているのかな、とも思いました。というのも、朝起きた時、体が強張っていたのも事実です。だから、二度寝しましたし、朝起きる時には、深呼吸して、体の緊張をときほぐしたりもしました。