本日の内容は、上司に指摘された内容についてです。
とある文章を書いて、上司にお見せしたところ「一か所間違ってる」と指摘されました。とはいえ、大した間違いでもなくそれ自体は「ご愛敬」「失敗してもどうってことないさ」と水に流してはもらえました。
ただ、その裏で、私の能力について、タイトルの通り指摘を受けたのでした。
私が書いた文章はおそらく500字の文章でした。上司曰く「自分ならばこの程度の分量はメモリー内で1度に処理しきれる」とのことでした。
一方の私は、一文一文でメモリーの処理が途切れており、そのことが、些細なミスを見逃すことになってしまった、というのが上司の考えの様でした。
このことについては、私自身、大きな問題と考えたので、少し腰を据えて考えてみようと思ったのでした。
メモリー不足とはどういうことか
上司のいうところのメモリーとは、短期的な記憶に当たる部分です。
例えば、文章を読むときについて考えてみましょう。
文一つを抽出して成り立つ文章というのはそうそう存在しません。前後の分との関係があり、文脈があって、はじめてその文の真に意図するところが分かる物です。
なのに私はというと、1文1文で記憶が途切れて、今の文のことしか頭にないのです。
1文目を読んだら、1文目が頭に入っています。
2文目を読んだとき、1分目+2文目が頭に入っている状態が良いです。
さらに3文目を読んだとき、今まで読んできた3つの分が頭の中に入っているとよいでしょう。
そうなると、3つの文の前後関係を理解し、文章というものを正しく理解できるようになります。
このとき脳内では
- 1つ目の文の内容の記憶
- 2つ目の文の内容の記憶
- 3つ目の文の内容の記憶
- 1つ目の文と2つ目の文の関係性の考察
- 2つ目の文と3つ目の文の関係性の考察
- 1つ目の文と3つ目の文の関係性の考察
の6つのことを同時並行して行っているはずです。(考察という語がこの場で適切かは不安がありますが)
ところが、私の場合は、酷い時には2文目を読んだ瞬間に1文目の内容が頭から飛び出して行ってしまっているのだと思います。
そのせいで、前後の文脈を正確に把握できなかったり、一貫した論理の長い文章を書けないのだと思います。
この『メモリー』が一般的にどういう物に該当するかを『記憶』という言葉をベースに色々と調べてみました。
すると、おそらく『ワーキングメモリ―』と言われるところが前述した『メモリー』にに該当する一般的な概念だと思いました。
『ワーキングメモリ―』は
ワーキングメモリとは、ある情報を短い時間に心の中に保持しながら同時に処理する能力
だそうです。
例えば、手元にある本の内容を別ページに書き写すとき、すべてを一気に完璧に覚えて書き写すのは難しいでしょう。何度かめくって確認を繰り返しながら、ちょっとずつ書き写していくと思います。
このとき、一度に書き写せる量が多ければ多いほど、ワーキングメモリーが多いと言っていいでしょう。
私はおそらく、このワーキングメモリーの容量が少ないと言われたのです。これは、集中力と記憶力に関する問題といっていいでしょう。
この問題からは目を背けてきた
このことを指摘されてきて、ずっとこの問題を言い訳をして先送りしてきたことに気付きました。
仕事で読んだ文章の内容を覚えることや、要約すること、解説することができないときも
- 仕事のプレッシャーで脳が上手く回っていない
- 仕事のことはつい身が入らない
などなどとおもってきました。(仕事を言い訳にしていてはいけませんが)精神的に落ち着くことができれば、こういったことも多少は改善するだろうと思ってはいました。
ですが、メモリー不足は、ブログを書いているうえでも薄々感じていたことでした。ブログの記事の文章の一貫性が書いている自分にも感じられなかったからです。
- 前の段落ではAを説明したから、次の段落ではAについては説明を削っていい
- 冒頭と終わりあたりの論理関係についてしっかり見直しておこう
こういったことを考えず、ただ、書き散らしているというのが現状でした。
だから、ブログの記事は見出しで内容が大きく区切られている形になっています。一筋の論を主張するために、ぶれない様に全体の文章を管理するということが、私にはできないと諦めてしまっているからです。
昔のことに目を向けると、計算ミスや単純な間違いもよくやってしまっていました。それも、見直した時には全く気付かず、よく両親に怒られました。
本当の原因はわからない
今までさんざんワーキングメモリーの話をしましたが、本当にワーキングメモリーの問題なのかどうかは分かりません。
一度、前に、発達障害を疑って、精神科で試験を受けたことがあります。その際には、際立って低い項目はないと言われました。
ワーキングメモリーに関するような試験(言われた数字を復唱する)も行いましたが、そこの点数も平均ぐらいという結果でした。その結果をして、メンタルクリニックからは「発達障害というほどのことじゃない」というお墨付きをいただきました。
ただ、数字の復唱をしろと言われたときには「ゲッ、苦手そうなのが来た」と思ったのも事実です。
その試験の時は、その試験のことさえ考えていれば、良かったので、数字を覚えることだけに集中していました。なので、割と自分でも思っていた以上によい成果を出すことができたように感じました。
もし、通常の状態で同じことをしろと言われても、他のことが気になったりして、同じような成績を出すことはできなかったかもしれません。
そのため、ワーキングメモリーのみならず、私自身の集中力にも問題があるのかもしれません。ただ、いずれにしても、現段階では、まだ結論を出せる状況にはないかな、と思いました。
終わりに
この問題は、私にとっては非常に根深く、そして、広大な範囲で問題を引き起こしているように感じました。
本当はここで解決策を提示して、記事を締めくくろうとは思っていました。ただ、この問題は、集中力とワーキングメモリーの2つの要素が絡み合い、かつ、私一人で決断を下すのには、危ない内容のように感じました。
そのために、まずは、問題を整理して、自分の現状を見つめ直す記述のみに留めることにしました。
発達障害ではないとは言われつつも、記憶力や集中力には昔から極端に不安がある私が、今後、どうしていくべきかは、少し労力をかけて考えていこうと思います。
おそらく、これを解決することは、私の人生を大きく好転させる最も大きな好機となると思われるからです。