今日は今までに比べ、突如として忙しくなりました。
こなさなければいけない仕事も増え、自分自身で判断せざるを得ないことも増え、両方一気に来て、大変な目にあいました。本音を言えば、どちらか片方ずつにしてほしかったというところですが、世の中そううまくは行きません。
しかも、微妙に体がだるく、調子も悪かったので、なおの事大変に感じました。
一方で、こういう時こそ自分がレベルアップするチャンスだとも思い、何とか頑張ってみました。
一方で、常に自分を苛んでいたのが「精一杯やっていても、それだけで評価されるわけじゃない」と言うことでした。
自分の頑張りだけではどうにもならない
本日の仕事では、判断を要する瞬間も多く、また、他の人とやり取りする機会も今までの比にならないくらい増えました。
今までならば、先輩に尋ねていたことでも、自分が引き受けてしまった仕事であるから、先輩に尋ねても意味がないということが多々あったためです。聞けば何か教えてくれたのかもしれませんが、自分の心の中で「聞きすぎるのも悪い」というような気持が芽生えるようになり、ドンドン質問してやろうという気にならなかったのも一つ、原因として考えられます。
そうして、他人を当てにできない状況で、自分一人で他部署の人と連絡を取るというのは、私としてはかなり重労働です。
丁度1年くらい前、(思い出すだけでも嫌な話ではあるのですが)私の出したメールによって、色々な人に迷惑をかけ、それが発端で、私は1年近く休職に近い状態でした。
それ以来、自分の判断力に対して不安を感じるようになり、特に、他人とやり取りする時には悪いことを想像してしまいがちです。自分の作ったメールが何らかの失礼になっているんじゃないかと思うと、鳥肌が立ちます。
特に、今日は他人とのやり取りの回数が今までの比にならないくらい多く、とにかく大変でした。そんな中で、私としては精いっぱいやったつもりでした。
結果として、今のところ、誰かから文句を言われたりしたわけではありません。ただ、それでも、精一杯やっている中でも、私の頭の中では「背一杯やっているという言葉はいいわけにもならない」と言うようなことが駆け巡っていました。
精一杯やるのは当たり前のことで、それによって、他人の機嫌を損ね、仕事がうまくいかなくなるようでは、いけないのです。
失敗と機嫌を損ねることを恐れて仕事している
一度失敗すれば、それだけで仕事が立ち行かなくなるような緊張感で仕事をしています。私の異動前の上司は、細かい所にも気の着く方で、私の些細なミスを指摘して、アドバイスをしてくれました。
その時には、私が(悪意はなくとも)失礼な言い回しをしてしまっているときについて良く指導を受けました。
休職状態になったきっかけも、そう言う背景があってのことでした。
実際に私が書いたメールで機嫌を損ねたりという人は直接的にはいませんでした。ただ、深読みする上司から見ると、返信の温度感から、相手の機嫌を損ねたかどうかが把握でき、それを逐一私に教えてくれました。
それがかえって私の精神衛生上は良くなかったのかもしれないとは思います。ただ、上司としても、私の成長を願ってのことであり、相手の機嫌を知ることで、私がより慎重に、自衛の姿勢をとれるようにとの親心あってのことだと思っています。
当時の上司が嫌がらせをしようとか、そういうことを思っていたとは微塵も思ってはいません。ただ、噛み合わせが悪かったのかな、とは思います。
だから、今日もたかがメールの返信をするだけで、吐き気を催すような緊張感の中で仕事をしていました。
社内手続きであり、ハッキリ言ってどうにでもなるようなメールのやり取り一つにここまで心を蝕まれていて、本当に仕事をきっちりこなせるようになるのかと言う気持ちの方が強いです。
幸いにして、今日は文句を言われることはありませんでしたが、明日は言われるかもしれない、明日に先延ばしした物のせいで何かが上手くいかなくなるのではないかと言う思いを抱えています。
ひとまず、今日を乗り切ることはできましたが、任された仕事を全て完璧にこなしたわけではありません。返信を待って、その上で作業しなければならないことも多いので、待ちの状態で結構苦しい思いを抱えています。
精一杯やっている自分を認められない
精一杯やっている自分のことを認めて挙げられればいいのですが、自分にはまだできることがあるとか、まだなすべきことを完全にこなせていない、と言う思いが強いです。
実際、まだまだ経験不足で、足手まといに近い状態です。そんな自分を変えたいと思いながらも、変える手段を見いだせないまま、ここまで来てしまいました。
精一杯やっていると言いつつ、それでもまだ「やり切れていない感覚」が残っています。「まだできたことは他にもあったんじゃないか」という気持ちは若干晴れずに残っています。
だからと言って、精一杯やっても、結局他人を頼ることになり、他人を頼れば、それだけ後味の悪い物が残るのも事実です。助けを借りることは「自分一人では何もできない」ということを認めてしまうことになるからです。
そのことを認めたくないせいで、他人に助けを求められず、ドツボにハマってしまった過去があるのも事実です。
どちらも自分の過去です。だから、どちらにも倒れられないという思いが強くあります。
終わりに
非常に辛く苦しい心境ではあります。ただ、今の判断を形作っているのが自分の過去だと思うと、それはそれで、少しは自分のことを受け入れやすくなるような気もしました。
そもそも自分を受け入れているのだから、自分の過去に苦しめられているのだ、というような論の展開になります。
それだけで状況が良くなるものでもないのですが、多少は気が楽になるのも事実です。
また、昔、少し仕事が一段落したとき、ものすごくホッとしたことを覚えています。
今はまだ、自分が抱えている仕事に決着がついていないので、仕事の顛末を思って気がかりなのも仕方ないとは思います。
なので、また気が楽になる瞬間が訪れると信じて、精一杯やっていこうと思います。