私は色々な局面で、自分のやりたいことを優先してきました。正確に言うと、自分の気持ちが納得するようにやってきました。
社会人として、納得できないことには折り合いをつけ、妥協をして、「まぁ、仕方ないよな」と受け入れて、嫌なこともしていかなければならないと思っています。
ですが、私はそうやって折り合いをつけることがほとんどできない人間でした。自分の気持ちや納得感を優先してきました。
だから、自分が納得できることはやっていた一方で、そうでもないことはすぐやめたくなっていました。
実際、そうやって投げ出してしまったものはいくつもあります。
それでも、私はまだ自分への理解が甘いな、と思うことがあります。
それでも自分の声に気付いてない
自分の中にある自分の思いに、気づけていない部分はあると思います。
だからこそ、辛いし、ストレスやプレッシャーから逃れる事ばかりに目が行ってしまうのだと思います。
心の中にある本当の願いに殉じようとしても、それはそれでやっぱり嫌なことはあると思います。
小説を書くことは好きですが、プロとして活動する為には、構成や文面などについてアドバイスや指摘を受けることは多々あるでしょう。
しかも、現状では、小説を書くことへの思いよりも小説が評価されるかどうかの気持ちの方が大きくなってきています。そのせいで、何かを想像する・夢想する楽しみがイマイチ実感できなくなってきています。
ブログだって、今みたいに今すぐ書きたいことだけを書いていても収益は上がってきません。周りの人の役に立つことは何かを考える必要があると思います。
アドバイスや指摘を受けることも、周りの人の役に立つことを考えることも、私には苦手です。
私はあくまで自分本位で、自分の興味や感情にほいほいついていくタイプでしたから。
そして、つい昨日まで、私は旧友と(オンラインでとはいえ)再会できるのではないかと言う喜びに打ち震えていました。
おかげで副業の作業は手につかない一方で、他人から強いられているお仕事については、「待つまでの暇つぶし」としてうまく回していくことができました。
気分が高揚しているので、眠気に負けそうになるということもなく、仕事もかなり前向きに取り組むことができました。
その中で気づいたことは、自分で自分をしっかり喜ばせることができていなかったということです。
昔っから喜びの感情が薄いなと思っていたことはありました。
その時は「我慢をしていないから」みたいなことを言っていたのですが、実際にはネガティブな方向に目を向け過ぎていたのかもしれないとも思いました。
結局、今でも旧友との連絡は取れずじまいで、少し気分も落ち着いてきて、舞い上がっているような状態ではなくなりました。むしろ、たぶんこのまま連絡先が分からないまま、どうしようもない状態で結局この件はお流れになってしまうような気もしています。
ただ、それでも、今回、浮足立つくらい嬉しいことがあったというのは結構いい気分転換になりました。
おかげで、今まで見えてこなかったものが見えてき始めたような気がしています。具体的にそれが何なのかについてまでは分かってはいないのですが、少し気分が晴れ晴れとしているのも事実です。
面白い物で、長らく沈み切っていた気分が、ふとしたきっかけで持ち上がっちゃうこともあるんだと思いました。
自分を喜ばせることの大切さ
自分を喜ばせるのも大事なことだとこの件を通じて思い知ることになりました。
ところが、どうやったら自分を喜ばせられるのか、自分でもよくわかりません。よく考えてみると他人をどうやって喜ばせるのかということにも心当たりがありません。
独立して、フリーランスになろうとか、小説を書いて暮らしたいという人間ならば、他人や自分を喜ばせることについて多少は覚えがあった方がいいに決まってるでしょう。
というか、自分でも他人でも「喜ぶ」と言う感情に触れてこなかったからこそ、私は孤独っぽい生活を送ってくることになってしまったのかもしれません。
だから、まずは自分を「喜ばせる」ことを考え始めようと思います。そうはいってもとんでもない贅沢を続けるだとか、そう言う必要はないとは思っています。
つい最近感じた「喜び」をほんの些細な出来事の中に見出して、拾い出していくことで、それができるのではないかと思います。
人間「生きているだけでも幸せ」なんて思える人もいるくらいですし、その上で私は結構運が良い人間なので、そう言った意味でも、何とかなるだろうと思っています。
終わりに
さて、今回もちょっと短い感じにはなってしまいましたが、ここで締めくくりたいと思います。
大事なことは、自分が忘れていた「喜び」を思い出すことなのだと思います。そして、思い出した喜びを、日常の中で拾い集めていくことで、自分は幸せになり、幸せは成功につながって行くのだと思います。
これからもたくさん喜んでいこうと思います。