気が小さいので、今日もびくびくしながら仕事をしていました。
仕事に一区切りがついたら、少し気分もすっきりするかもしれないとも思っていました。
しかし、終わらせてみると、今度は「後から何か言われるんじゃないか」と思い、気が気でなくなり、心臓がバクバク行っていました。
本日は結構な回数の動悸を潜り抜けて仕事をしてまいりました。おかげで、無駄に体力や精神力を使ってしまい、神経をすり減らし、体力を消耗してしまいました。
気が小さいと損だなぁ
今日も猛烈に神経を削って仕事をしてきました。何か一つ成すたびに、ホッとする代わりにドキドキする、体が変な熱を持って嫌な汗が噴き出す。そんな感じでした。
それを乗り越えて何とか目の前のタスクをコツコツこなしていこうと頑張っていったんですから、自分も大分踏みとどまれるようになったとは思います。
おおよそ社会人として必要とされるレベルに達している気がしないので、あまり手放しでほめちぎることはできないのですが、恐怖に抗おうとする意志があるのは紛れもない事実です。
ただ、些細なタスク1つに対して、作業中もドキドキして、作業後もドキドキしていて、本当に気が小さいと感じます。
仕事するうえで、多少は図太いくらいがちょうどいいんじゃないかと思うようになってきました。ついつい悪い方に勘ぐって、神経すり減らしてしまうより、ある程度何も気づかないで生きて居られた方が恵まれているような気がしたのです。
ただ、図太かったのは過去の私です。周りの目を気にせず、やりたいようにやっていたのが過去の私でした。それが、会社に就職し、優しくも厳しい上司と巡り会って、些細なところまで意識を向けるようになったため、今の様に神経すり減らして生きています。
どちらがいいかと言うと、正直、元の自分に戻りたいとは思いません。そそっかしさや考えの足りなさがゆえに他人の機嫌を損ねてしまうというのに戻りたいわけがありません。
あまりにも子供じみている情けない自分に戻りたいとは一抹も思いません。
自分に関わる人すべてが幸せになってほしい
できることなら、自分に関わる人が全て幸せになってほしいと思います。そんなこと言っても、無茶だと言われるのがオチです。何度もそう言われてきました。「現に体現できていない」と痛烈に批判されたこともあります。
実際、最近はそもそも精神的・肉体的な余裕がないせいで、他人のことになんて気を遣っていられないほど疲れ切ってしまうこともあります。そんなときに、他人のことを慮れるほど聖人ではありません。
それでも、この望みは捨てきれないです。
ただ、それだけ高い望みを抱いているからこそ、現実と理想がすり合わせられなくて苦しんでいるのかもしれないとも思いました。
目先の仕事を、目先の損得だけで考えて動けば、それはそれで楽に生きられるかもしれません。ただ、それだと周囲の人を不幸に陥れたり、他人に仕事を押し付けるような生き方になってしまいます。
そんなことをしていると、回りまわって将来的にに自分が損をするという打算的な考えもあります。
ただ、せっかく生まれてきたのに、ただ、飯を食い、糞を垂れ流す人糞製造機になっては勿体ないと思っています。足し引きした結果、世の中に与えたいい影響の方が勝っているようになりたいと思っています。
とはいえ今は目の前の恐怖と戦うしかない
どんな高邁な理想を持っていたとしても、私がやっているのはごく普通の会社の、ごく普通の事務作業です。資料整理したり、上司に承認依頼出したり、オンライン会議のセットアップしたり。決して特別なことではありません。
なので、高邁な理想を言い訳に、ごく普通の会社の日常業務ができないなどと言うことはできません。
なので、結局は、今、目の前にある恐怖から目をそらさず、戦いながら、工夫して、仕事をし続けていくしかありません。
目を逸らせば逸らすほど、恐怖は大きくなってしまい、自分の中でトラウマだけが育っていくことになります。
入社と異動。2度もチャンスを貰っておいて、更にここから逃げる訳には行きません。それに、今の環境では恐怖はあっても逃げ出したい、死にたいと思ったことはありません。
少し前まで天を仰いで嘆くことしかできなかった私も、心臓をバクバク言わせて若干恐怖で頭が真っ白になりつつも、なんとか与えられた役割を果たすことができそうな状態です。
正直、仕事のことを思い返すだけでも、嫌な汗が噴き出てくるんですが、それでも、ギリギリ何とかやれています。
だから、まだ行けるんだろうと思います。戦い続けて、戦い続けて、それが日常だと理解すれば、それになじんでも来ると思います。なじみ切ってしまえば、こっちの勝ちです。
終わりに
今日は疲れ切ってしまい、文章も内容もかなりてんでバラバラになってしまいました。それでも毎日更新してやるという意地だけで、何とか記事を更新しています。
低品質な記事数だけ無駄に増えているというのは、あまりよろしい事ではないのですが、自分の心の安定のためにも、もう少しブログを使わせてもらおうと思います。