ここ最近、私が根底で考えていることは大して変わっていません
- 仕事辞めるか辞めないか
- 安心していたい
このことばかり考えています。
仕事の不安が大きくなれば、仕事を辞めたいと思い
仕事の不安が小さくなれば、今の仕事を続けたいと思い
仕事のことを考えないでいるときには、安心していたいと思う。
そんなことの連続です。
上の図は、頭の中をぐるぐるとしているその3つのことを図式化しようとして、うまくいかなかった図です。
ただ、
- 気持ちが安定していないときには会社を辞めたくなり
- 気持ちが安定しているときには会社を辞めたくなくなり
- どういう状態でもとにかく安心していたい
ということは何となくご理解いただけると思います。
仕事を辞める辞めないの話
仕事を辞めるか辞めないかという話は常に私の頭の中で渦巻いています。
というのも、ほぼ常に、私の脳内は仕事に関する不安でいっぱいだからです。だから、どれだけ寝ても、疲れが取れてすっきりしたという感覚もありません。朝起きた瞬間から体がこわばっていています。
しかも、何らかの理由があるというよりは、本当に、ただ、自動反応的に、そのようになってしまっているのです。
でも、会社に勤めることには、様々なメリットがあることも理解しています。それは、単純に安定して給料がもらえるということではなく、私自身の社会貢献欲求を満たせるということ、やりがいということも含めての話です。
だからこんな、相反する2つの記事を書いたわけです。
そのうえで、さらにその二つの間で揺れ動いている感情について吐き出したのが以下の記事です。
正直吐き出さなくちゃやっていられませんでした。本当はすぐにでもやめてやると泣きながら逃げたい気分でした。
ただ、一方で、それが感情的な判断であり、理性的な判断ではないということも理解していました。
ただ、理性的な判断で辞めるといえなかったというよりは、、目の前の恐怖に抗いきれずに、辞めるという勇気がなかったというのが事実です。
私はまたしても恐怖に屈したのです。
この記事を書いたのが、昨年の8月下旬ですから、4か月前と何も変わっていないということになるでしょう。
この記事を今読み返してみると、比較的前向きに、何とかしようという意思が見て取れます。
対策を考え、事態を打破しようという努力が見られます。このころは毎日のようにブログを更新していました。それによって、自分に自信が乗ってきていたのかもしれません。
ただ、いずれにしても私は、目先の安心の方に飛びついて、長期的なメリット、理性的な判断を放棄してしまっているというのは事実です。
安心していたい
目先の恐怖から目をそらすのはとにかく、安心したいという思いが強いからです。
都合の悪いことは忘れて安心したい。都合の悪いことを考えていても、解決策は見当たらないまま、自分がむしばまれるだけだ。そういう感覚が強く刷り込まれてしまっているのだと思います。
もともと、そういう風な、都合の悪いことからは目を背けがちな性格だったといえなくもないです。自覚はあります。
他人のアドバイスを真摯に受け取れず、それ以前と同じようなことを繰り返す。高校時代に、進路の面談で言われたことをまるで真に受けずに暮らしていた結果、浪人し、さらには、あまり良い大学に入ることもできず、無念の大学入試となりました。
その先で出会った様々なことの全てを否定するわけではありませんが、私は、自分の第一志望であった「筑波大学」をあきらめ、夢破れてすごすごと大学入試の戦いから身を引きました。
もう一つ、ここ最近でさらにそれが加速したのは、さんざん失敗してきて、何かを自分がやったところで、うまくいくはずなんかないと思っているからです。
失敗から学んで、何とか次につなげようという行いは、ここ最近、心掛けるようになりました。失敗を直視し、目をそらさず、とにかく、見つめる。見つめるだけでいいから、実践したり、無理に丸暗記したりしなくていいから、まずは、ひとまず、最低限、失敗とアドバイスを見つめよう。
そう思っていました。
それでも、結局、すぐに別の問題がやり玉にあげられ、叩きのめされ、やる気をうしなってしまいました。
自己肯定感が欲しいということにつながってきます。このことは、色々な人に話を聞いていく中で、皆さんおっしゃります。
その方々は、何か1つ成果を出せれば、きっとそこからいろいろなことができるようになってくると、おっしゃってくださっています。
私が話を聞いた皆さんはありがたいことに、ポジティブな方ですし、私の才能を認めてくださっています。「自分なんかより全然すごい」といってくださる方多数です。(お世辞込みかもしれませんが)
ただ、私はそういったことを額面通りに受け取って、自信を持つということが苦手です。ある意味でそれは、他人の言葉に対して慎重であるということはできるでしょう。交渉には向いているかもしれません。
ただ、それすらも、今の職場では通用していません。こう書いてしまうと、「慎重である」と自分の個性を認めようとした矢先に、自分でそのことを否定してしまいました。
ある意味で、この「自分にも才能がある」ということも、失敗と同じ様に、直視して、見つめるだけでもいいから、頭の中にゆっくり刻み込んでいく必要があるのかもしれません。
ただ、その才能も、行動に移さなければ意味がないということも刻み込んでおく必要があると思います。私自身が、才能に胡坐をかいて、努力を怠っている可能性があるからです。
終わりに
ここ最近の悩みの総まとめ的な記事になってまいりました。これだけ大掛かりな記事になってきたということはある程度、自分の中で整理がついてきたのかというと、そうではありません。
確かに、自分がなすべきこと「失敗も才能も直視し、努力を続ける」のは大事なことだとは思います。
ただ、会社では、もっと素早く成果や結論を出すことが求められている状況です。
それ自体が、プレッシャーやストレスになり、理性的判断や、現実を直視する妨げになっていることも事実です。
何とか折り合いをつけて、上手に辞職できるよう、それまで何とか頑張ってまいりたいと思います。