先週まで、風邪をひいていた。そして、今週、おおむね良好な体調とはいえ、喉の違和感はぬぐい切れず、何か間違えればそれだけでもう風邪ひき状態に戻るという緊張感はあった。
だから、マスクをしたり、風邪薬飲んだりと、ささやかな抵抗は続けた。
一方で、仕事の方は苛烈極まる状態で、かなりの仕事に対処することに追われている。
ちょっと前も忙しい時期はあった。けども、今は、ちょっとした手続きの相談に即レスできないくらい切羽詰まっている。
ただ、業務量が多いわりに、割と心持自体は平穏ではある。これは割とありがたい。
仕事の成果に対する裁量はかなり大きいものが割り当てられているので、ある程度、成果品の質を下げて何とか乗り切る、という選択肢があるのはありがたい。
とはいえ、この手は何度も乱発できるものでもないし、そういう仕事の仕方が染みついてしまうと、「薄っぺらな成果を作るだけの人」になってしまう。私の目指すところは「本質の追求」であり「自分の手出しできるところから行う巨大な問題の解決」だ。
巨大な問題はいくつでもあるけれど、それに対して、自分の担当分野からアプローチする。それが私の理想なのだ。
なので、今の「とりあえず済ませました」方式はヤバいなと思っている。
その一方で、普段から全く何も考えていないというわけではない。少し考えたうえで、とれる手段がないので、期限も近づいているので仕方なく、とりあえず済ませている。
なので、少しやり方を変えた方が良いのかもしれない。
昨日、試験を終え、Youtubeを観ながら、ぼーっとしていた時、かの桜井政博の動画で日報を着けているという話を観た。
これも本質的な問題解決の手段ではないんだけども、少し俯瞰して自分の業務を眺めるためには、ちょうどいいのかもしれない。
いや、日報をつけることは、目の前のタスクの消化に対して何ら貢献しない、むしろ、やること増やしてるやん、という突っ込みはある。
ただ、何らかの形でやり方を変えたい、ということと、アウトプットに対する課題感はある。
現状、職場では日報・州法の類は求められておらず、月の頭に「これやりま~す」くらいの軽い報告くらいしかしない。だから、仕事で成果を出す以外にサブアウトプットはない。
だから、これを作ってもいいかもなと思ったのが1点。
そして、もう一つ、アウトプットに対する課題感ということについては、アウトプットしたいけど、うまくできていないということだ。
仕事のことは、秘密も多いし、べらべらしゃべるわけにもいかない。だけど、何かを出力したいという気持ちはある。
この辺を、うまく帳尻を合わせるという意味で、日報を着けることは良いんじゃないかなぁと思っている。
実際、色々な考えが出てきて、ブログに書いてみよかなと思ったりもするけど、意外とその労を惜しむのだ。おそらく個人的な活動にかなり労を惜しむタイプだ。動機づけは基本外付けの人間だ。情けないけども。
だから、日報をつけて、共有するということをすることで、なんかうまくいかないかな~というわけだ。
ただ、そんなことしてる余裕もねぇだろ!バカ言ってないでさっさと働け!という状況なのも事実。
こういう時、正解は降って湧いてこないので、馬鹿なこと言ってでも、何とかしようと取り組み続ける必要がある。
明日からの1週間、当然、やるべきことは壮絶に多いんだけど、それをしっかりやっていくために、どうすべきか、少し時間を取って考えたい。