「ブログに書くネタが無い」という悩みを、度々耳にします。
それは、専門的な、特化ブログ、メディアブログの話です。私のような何でもありの雑記ブログでは、そう言った悩みはありません。むしろ、書きかけのストックや、書きたいネタがたまっていくばかりです。
(記事の執筆を途中で止めてしまうのに問題があるとは思いますが)
気がつけば、自分のPC内の書きかけの記事を納めるフォルダには、100ものファイルが入っていて、はてなブログの下書きには10個ほど記事があります。
数を見て自分でも驚いたのですが、書きかけの方が、アップロードした記事よりも多いのだから酷い物です。しかも、書いたはいいけど、3年前から一切更新していない記事もありました。さすがに、少し整理しようと思います。
話がわき道にそれてしまいましたが、これで、これだけ記事をため込んでしまうタイプなのか十分によく理解していただけたかと思います。
とはいえ、なんでそんなことになってしまうのか、考えないのも問題なので、今回はそのことについて考えてい見ようと思います。
そもそも移り気
私は色々なことにちょっとずつ手を出してしまうタイプです。そのせいで、記事を書いている途中で、他の記事を書きだしたりしてしまいます。
そうなってくると、書きかけの記事はそのまま放っておかれて、どんどん積もって行ってしまいます。
勢いがついて一気に書ける記事もあります。そう言う記事は、ふとした瞬間に得られた気付きを一気に書き上げることで完成してしまいます。
ただ、大半の記事はそう言うことにならず、一度、執筆が保留されます。そして、保留された内容や分量次第では、そのまま書き進めることができず、どんどん時の流れに取り残されてしまいます。
そうして、ストックが積みあがって行ってしまうのです。
自分のことで頭がいっぱい
1つ目の理由は自分の性質が原因というところでしたが、こちらは、どちらかというと今の状況が原因です。
ここ最近は、ずっと、仕事上のことで精神的に追い詰められっぱなしでした。
勤務時間中は緊張や体のこわばり、改善しない状況の中で、悶々としていて、他のことを考えている脳の余裕が、無くなってきたのでした。
そのことを指摘されるまで気づかないほど、他のことを考えている余裕が無くなってきていたのです。
そんな中で、私が真剣に考えられて、記事に起こせたのは「自分自身の事」でした。悩みや思い、問題や課題を整理して吐き出すように記事を書くことは比較的簡単に出来ました。
さらに、そう言った記事を書くことで、問題点が明確になったり、少し気分が貼れたりするご利益もあったので、こういった記事はここ最近、勢いをつけて書きまくっています。
ただ、役立つ記事になりそうなネタがたくさんバックに控えているにも関わらず、自分のことばかり書いていることに対しては少し複雑な感情もあります。
「役立たない記事ばっかり書いてる」ということに対する負い目に加えて、「それだけでは収益にならない」という実益的な意味でも、もっと他の記事も書いていきたいとは思っています。
ただ、そのためには、自分自身の精神状態が落ち着いて、すっきり思考できる状態になるのが大事なのかな、と思っています。
論説文が書けない
ここ最近、記事を毎日書いていますが、どれも思うがままに書き散らしたものです。
整合性とか、論理的に適切な流れとか、そういうものは考えていません。
そこまで考える脳のメモリーが足りていないと言う感じです。常に他のことに脳が圧迫されていて、まともな文章の書き方が思い出せないような気分です。
なお、こつこつ書いているものに小説もありますが、あれも論説文とは書き方が異なります。
- 時間の流れに沿って、物事が動いていく小説など
- 1つの論点に対して飛躍や矛盾が無いように書く論説文など
では気にすべき部分が違います。
小学校の作文と小論文は違う、などというのは文章術の本では良く出てくるワードでしょう。
この原因としては、「これ!」といった伝えたいことの軸がないのが問題だとは思っています。何事にも無限に着目するポイントがあります。
漫画のレビューをするにしても、コマワリ・画風・ストーリー・キャラクターデザインなどなど。それぞれの中でもどういう側面に着目するかということで際限なく着眼点は増えてきます。
そのすべてを網羅的に1つの記事で書くことは不可能です。なので、筆者が、不要必要を自己判断し、いくつかの軸や着眼点を持って、記事を書いていきます。
その時に、軸や着眼点があまりにもぶれていたりすると、読者は困ります。結局、そのことがいいのか悪いのか、それがはっきりしないと、商品や漫画を買ったらいいのか買わない方がいいのか分からないです。
だからと言って「いい!」「悪い!」のどっちかさえ書いておけばいいのかというわけでもなく、理由は必要ですし、その理由にも納得感が必要です。
激辛好きの人が「この料理いい!」といっても、「激辛だからいい!」と書いておかないと、辛いものが苦手な人が食べにっても瀕死になるだけです。
そういうことを考えながら記事を書くことが、本当は必要なのですが、私はそういうのが今、全然できません。そもそもそんなに得意ではないのですが、輪をかけて、今、そういったことができる脳の状態ではありません。
それは、先述した通りです。本当に、ただ、脳内にある情報を整理するでもなく、垂れ流している状態になってしまっているのです。
そもそも、論理的な長めの文章を書くことは苦手です。それが、ますます状況によって悪化させられてしてしまっています。そして、きちんとした内容ならば、きちんとした文章で表現したい、と思います。なのに、それができないから、きちんとした内容の記事を書くことに対して後ろ向きになってしまっているのだと思います。
終わりに
以上、ネタはあってもなかなか記事を書けないという理由でした。結局のところは、自分のメンタル・フィジカルを整えることが何よりも大切で、それがないと何も始まらないのかな、というところです。
ただ、それとは別に、普通に文章の訓練はした方がいいとは思っています。仕事上でも「文章書けない」という評定を下されてしまっており、それを打破しない事には、状況も改善できないからです。(正直、今は仕事の最中にそんなことを考えて居られるような余裕もない状態ではありますが)
そのためには、スクールに通ったり、講座で勉強したり、校閲ツールを使うなどと言ったことも、必要なのかな、と思い始めました。
これからも頑張っていこうと思います。