文字通り、ブログのモチベーションが下がっています。どうしてそうなっちゃったのか、そういうことも素直に書きだして考える。それがこのブログの趣旨です。
というわけで、色々ぶつぶつネチネチ考えてみようと思います。
収益やアクセスといった成果
100記事を超えたというのは、自分の中でも頑張ったことだと思っています。とはいえ、だからといって、収益が上がったわけでも、アクセス数が上がったわけでもありませんでした。
今、ブログには(ストック含めて)約140記事あり、200記事も軽く達成できる気がしています。そういった意味では、ブログを書く基礎体力そのものがアップしているような気もしています。
それでも、この記事も、書いてもきっと収益につながらないんだろうなぁと思うと、気が乗りません。というか、少し気分が落ち込みます。
あくまでこの記事は自分自身の思考の整理のため、そして、もし運よく誰かに見てもらったとき、こうやって悶々としている人間がこの地球上に入るんだと思ってもらうために、書いているつもりです。
確かに、このブログでは自分の書きたいことを書くことを優先すると決めました。自分の気持ちを優先するとも決めました。
ただ、やっぱりそれでも、収益が出ないというのは少し不安なところもあります。収益以前に、アクセス数が伸びないというのは結構悩みの種です。
仮に記事に収益化できる能力があったとしても、アクセス数が少なくては、その能力を発揮できません。
なので、そういった不安もあり、どうしても、やる気が出ないのかな、と思ってしまったりもします。
役立つことを書こうとしているから
ブログでもっと役立つことを書き、みんなにバンバン見てもらい、ガンガン稼いでいきたい。そう思って、サイトの運営に関する記事も少しずつ書いてはいます。
稼げるブログの本質はある意味で「他人に媚びること」と言えるかもしれません。媚びるという言葉は言い過ぎかもしれませんが、私の中では「媚びる」というのが最もしっくりきます。
むしろ、「媚びる」という言い方をしたくなるところに私の心情が現れているのだと思います。サービス精神を持つことを「媚びる」ととらえてしまうのが今の私の考えなのだと思います。
もちろん、サービス精神を持つことは媚びることとは全然違うでしょう。しかし、今の私にとっては、その2つが結びついてしまっています。
「自分がいいと思うものを作る」の反対は「他人に媚びる」のだと思い込んでしまっているのだと思います。仮に多少媚びる要素があるのだとしても、実際には媚びるとまで言うと、語弊があるでしょう。
その自分の無意識化の語弊が、役立つ記事を書こうとする妨げになっているのかもしれないと感じました。
他人のために記事を書くということについて、自分の中で改めて、考え直す必要があるのかな、とも感じました。
また、役立つ記事では、「本当にその情報正しいのか?」という疑念がよぎってしまいます。
記事の内容は曲がりなりにも自分で考え、確かめた内容です。あまりにも根も葉もないことは書いていません。なので、まったくもって完全に間違っているとは思っていません。
むしろ、他人には書けないしっかりしたものを書いているのだと言ってもいいと思います。
ただ、それでも不安はぬぐえません。どうしても、どこか間違っているんじゃないかと思ってしまいます。サイト運営やSEOに関しては、真に正しい情報というのは難しすぎて、ありえないとは思います。
だからこそ、色々な情報を集め、自分で確かめたことを発信するしかないとも思っています。
なので、そこに不安を感じない程度に自分できっちりと調べ上げていくことを目指そうとも思いました。
と言っても、分析を進め続ける実力がないことも実感しているので、そこについても、しっかりと対策をしていこうと思いました。
文章力
少しずつ、検索流入が増えているような気がしています。そうなってくると今までこのブログを見てくれていなかった人たちにも、ブログを見てもらえていることになります。
そんな時、不安になるのは、結局一見さんで終わってしまっているのではないかということです。
その原因が、私自身の文章力のせいではないかという不安を常に感じています。可能な限り、分かりやすい表現を心掛けて書いています。
専門用語もできるだけ説明を怠らないようにしています。
それでも、文の流れ、文章の大局観がない私には、どうにも文章力に不安を感じてしまいます。
この文章くそだな、と思われることによって、他の記事に興味を持ってもらえない。そうなると、せっかく来てくださった方々がリピーターになってくれないという恐怖があります。
その恐怖に負けて、記事を書くのをやめてしまったらそれこそ、本末転倒なので、記事を書き続けることはあきらめないつもりです。
ですが、記事を書き続けていれば、文章力が上がるかというと、それだけでは無理です。それもよく理解しています。
本を読み、新聞を読み、ドリルをやってみたりしながら、文章力をたしょうましにしようと頑張ってはいますが、全然自信がありません。
分かりづらい文章で、何も良い影響を与えられずに終わってしまう記事を作っているかもしれないと思うと、やはりキーボードを打つ手が止まってしまいます。
WordPressの誘惑
私はすでに1つ別のサイトをWordPressで持っています。そちらは、ジャンルの選定など、色々良いことがかみ合ったおかげというのもあるのでしょうけれど、まったくと言い程手を付けていない割りに、収益を上げています。
はてなブログはGoogleとの相性やアクセス解析に難があったりと、どうにも信用ならん点がいくつかあります。
同じ内容でも、WordPRessだったらもっとアクセス数を稼げたんじゃないか、もっとなんとかなっていたんじゃないかという誘惑を感じています。
もちろん、スターや読者機能によって、アクセス数が保たれている側面も無きにしも非ずでしょう。
WordPressも、私が昔使っていたころと違って、noteのようなブロックエディタになっており、面白い見た目にしやすい形態になっています。(昔ははてなと同じようなただ、文字を入力するだけでした)
さらに、有料テンプレートを使えば、裏でのSEO周りは盤石の態勢となるでしょう。はてなにはそこまでSEOとしての優位性はないということを最近、薄々感じてきました。
そういった面で、こんなところで記事書いてないで、さっさとWordPressに移っちゃった方がいいんじゃないかとも思うようになってきました。
いつまでも不安は尽きない
ただ、今まで述べてきたことはすべて言い訳だということも理解しています。
結局のところ、今、この瞬間、いや、将来にわたっても、自分の願望が満たされていない限り、私はずっと不安を抱えて生き続けるでしょう。
物事の成果が出るのには時間がかかるということはわかっています。特に、天才的な技量を持っているわけでもない私は、とりわけ時間がかかってしまいます。
一方で、自分は絶対に出来るはずなんだ、という思いと、実際にはそうなっていないという思いがすり合わせることができず、いつも苦しんでいるというのが実情です。
自分で自分に期待している基準が高いから、自信がなくなる。もっと基準を低くしようとすると、「それじゃ成果が遠のくよ」とささやかれ、引っ込みがつかなくなる。
そんなことを繰り返して、ここまできてしまいました。不安というのはどれだけ潰しても出てきます。不安を消すために立てた目標を達成しても、結局、望んだ結果を生んでくれず、結局更なる不安と自己嫌悪に陥ってしまうこともありました。
それを乗り越えて、何とかここまで来たというのが本音です。
これから先、まだまだ、不安に襲われることもあると思います。それに対して具体的にどう対処すればいいのかわからないから、なおのこと不安にもなります。
そういったとき、師匠という存在が居てくれればと思うこともあります。
ただ、自分の感じていることに目を向けてやるだけでも、少しは気が楽になるので、そのことを怠らずに、やっていこうと思いました。
終わりに
少し久々に、自分の気持ちについて記事にしてみました。
私は自分の気持ちと向き合うのが下手なようで、こうして定期的にブログの記事にして、自分の心の中にサーチライトを当ててやらないと、すぐ気持ちがヘタってしまうようです。
いずれは、その頻度を下げられるようになりたいと思います。そのためには、普段から自分の気持ちというものにサーチライトを当ててあげて、自分の不満を掬い取ってあげることが大事なのだろうと思います。
そのきっかけの一つとして、この記事を書いたことには意味があるのかな、と思っています。
また、こうした気持ちを吐き出していると気持ち的にも楽になります。そして、こういった記事は書くペースがほかのジャンルの記事に比べて圧倒的に早いです。
なにしろ、正しい・間違いがないからです。すべては自分の感覚だからです。
なので、こういった記事を書き貯めた合間に、技術的、他の人にとって役立つ記事を書いていき、しっかりとしたブログにしていこうと思っています。
弊ブログはまだまだ発展途上。これから先は上しかない。そう思って、頑張ってまいりたいと思います。