不器用人間の思考勉強お楽しみ

全然器用に生きられない私の真面目な事、勉強の事、お楽しみの事を書くために開設したブログです。

称賛に飢えている私

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先日、こんな記事を書きました。

 

少し頑張ると評価されたくなる弱い自分を反省する - 不器用人間の思考勉強お楽しみ


その中で、私自身が称賛に飢えていると感じました。

  • 他人から認めてもらいたい
  • 自分の才能は素晴らしいと言って貰いたい
  • 存在する価値があると他人から思われたい

そんな思いを抱えてずっと生きてきました。

 

なぜ私はそのように思うのか。どうすればいいのか。

少し考えてみました。

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親からはあまり褒められずに生きてきた

親からの称賛は子供の自己肯定感につながると言われています。

私の子供時代は、決して冷遇された物ではありませんでした。ただ、褒めてもらえた記憶はほとんどありません。
試験の結果は、常に低い点数の方を指摘されました。高い方の点数には一言も言及されずに生きてきました。

そもそも努力が不足していたといえばそうかも知れません。努力が不足していて、親の求める水準に到達できていなかったのでしょう。

私の子供時代は、褒めてもらうことなく過ぎて行ってしまいました。

親は「本気で何かをやれ」と常々言っていました。それを実践できなかったのは私に落ち度があります。

その結果、大学受験は失敗。一浪の末に転がり込んだのは決して人様に自慢できるような学校ではありませんでした。

親からは「辛い現実から目を背けて逃げ出した」という視線を向けられていました。紆余曲折の果てに、そこは何とか乗り越えることはでき、今はまぁまぁ普通の親子関係を維持しています。

 

返礼の法則とは何だよと思うほどの学生生活

 

返礼の法則とは、親切された人間はお返しをしたくなる、というものです。

ただ、私の場合、新設をしてもお返しをしたくなるほどの価値すらない人間だったようです。

 

私はそれでも大学生の頃には比較的真面目に勉強しておりました。おかげでエントリーシートの学生時代力を入れたこと、の欄に勉強と書いたくらいです。

授業もまじめに聞いていたので、しっかりノートも執り、復習もしていたので、かなり真面目でした。なので、試験前には作った資料や過去問の回答を配ったり、相談や質問に答えたりもしていました。

自分で言うのもなんですが、学科の大半の人間が進級できたのは私の影響があると言っても過言じゃありません。

 

ところが、誰も私のことを覚えてなかったです。その時は感謝されても、その後は何もない。

別に見返りが欲しかったわけではありません。皆が幸せになるんならその方がいいし、そのうちまわりまわっていいことあるだろ、ぐらいに構えていました。

 

しかし、色々なことをしてあげたにもかかわらず、そのすべてを忘れられているというのはかなりつらい出来事でした。

 

色々と親切をしたのに、そのことを覚えておらず、ひどい場合には「あんた誰」扱いです。

 

別に勉強ができるから評価されたかったというわけではありません。クラスの女性陣からモテまくるという願望もありませんでした。評価はされたかったかもしれませんが、別に崇め奉られたかったわけでもありません。

 

ただ、信頼されたかったです。アイツに頼めば何とかなるだろうとい信頼が欲しかったです。

まぁ、それだって結局は微塵に砕かれ、何もかも忘れられたみじめな大学生でしたが。

 

 

努力不足で怠惰な人間

 

おそらく、私はそう言う風になってしまったのだと思います。だから、周りからは称賛もされず、信頼もされず、

プレッシャーに弱く、目を背けがちだった私は、学生時代でもその困難を乗り越えることを厭いました。

 

今思うと、そこで本気で何かに取り組み、乗り越える経験をしておけばよかったのかもしれません。ただ、当時の私にそんなことを言っても、通じなかったとは思います。

 

なにしろ、今の自分だって、緊張感のない生活を送ってしまっているのですから。

人に好かれたい、称賛されたいという思いを抱えつつも、それがまるで実らないのは、私が努力できない人間だと見抜かれているからかもしれません。

 

学生時代は勉強に真面目に取り組んだと言いました。しかし、それだって骨身を削って必死で取り組んだわけではありません。ただ、授業を真面目に聞いて、帰ってからは少し復習するという簡単な事です。

 

「ぼーっとしている」というのは、なんとなく気づかれてしまう物とも言われます。それは、私自身が「お前ボーっとしてるね」と言われたわけではなく、一般的な話として、ということではありますが。

努力している人間は、体の芯から努力していることが伝わるのかもしれません。

そのために、私はあまり他人から好かれることのない人間になってしまったのかもしれません。

逆に、努力不足が他人から見えていると無意識で思っているからこそ、少しの努力で他人から認められたいと思ってしまうのかもしれません。

 

だからこそ、今から、必死で生きなくてはいけないのだと思います。

 

何をするにしても、必死で、限界を追い求めて、突き詰めて、何とか生きようとする。それが、今私にとって必要な事なのかもしれません。 

 

 終わりに

 

本当は称賛に飢えている根源は何で、それに対して建設的にどうするか、という記事にするつもりでした。

 

文字面だけ見ると、そうなっているかもしれません。ただ、私の心境としては、過去の辛い思い出をほじくり返して、悲嘆にくれる後ろ向きな感情が残ってしまいました。

 

どうやら、文章の整理の仕方に問題があったようです。

 

とはいえ、どんどん努力していかなくてはならないのも事実。なんとか、努力できるよう、工夫をしてまいりたいと思います。

 

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