もぉ~だめだぁ~と言う気分
先日、大きめのミスをした。そのときは大層凹んで、ここ最近ブログを書いてなかった私にブログを書かせるほどの威力だった。
どこかに吐き出してなきゃやってられなかったのだけれど、今日もまた同じように立て続けに失敗していった。
先日失敗したのと同じようなネタでやっちまい、かなりの人数に影響を及ぼしてしまった。
自分がコロナに感染してちょっと頭の動きが鈍ったように感じることはあった。
こうなっちゃった理由みたいなことを考えてることはぶっちゃけどうでも良いと思ってる。
まずは立ち直ること。このショックで打たれた分、立ち直って強くなるぜと言う思いは必要だ。
しばらくは呪われるということにも覚悟が要るだろう。呪われる、というのは「失敗の繰り返しをおそれてしまうこと」であり「また失敗したらどうなっちゃうんだろう」というような恐怖にとらわれた精神状態のことだ。
幸いにして、懐のでかい関係者各位のおかげで説教されたりとか失敗をタトゥーにされるようなことはなかった。上司の機嫌は大いに損ねたと思うが、この際相手にどう思われてようと知ったこっちゃない。
立ち直ったと思ったタイミングでボコボコにされて立ち直れなくなる可能性もなきにしもあらず、だが。
ミスを繰り返しつつも何とか自分にできることをちょっとずつ拡張し、できることが増えたというのを外向きに言うのはおこがましいけれど、でも自分の中で振り返るとできることが増えてきたと思えるようになってきたところで、鼻っ柱を折られるような目にあった。
失敗を引きずってる時に失敗するともうボコボコになって鼻っ柱どころじゃないので、ここ最近はうまく行ってた方なのかもという考え方もある。
実際はここ数週間はできないことを突きつけられて思い悩んでた。
なんというのか、もう少し目の前のことを丁寧にやらなゃなぁって思うよ。
運気下がってる
こういう時、ほかにもちょっと嫌なことあると運気下がってる、って思っちゃう。
そういうこともあるだろうけど、運気という不定形のものに責任転嫁して、自省を怠る事になってるので、自分としてはこの考えが自然と浮かんでくるのが嫌いだ。もっと具体論で自分の行動を精査して失敗のポイントを洗い出す気概が必要だろ!と思う。
「疲れてたから」「忙しかったから」も同じレベルの具体性に欠ける理由だ。
今回は少なくとも事前の情報収集を怠り、仕様や留意点のチェックを怠ったというのがまずかった。そんな手間かけてられる余裕はなかった、というのはそうっちゃそうなんだけど、自分でどうしようもない部分の反省は正論だろうと意味がない。
頑張るしかないのよね
自分は集中力ない方だけど、他人と比べても圧倒的に大がかりにミスをするように思ってる。
全世界で同じレベルのミスをするのは自分だけで、他の人はもっとちゃんとしてると思ってるような感覚がある。少なくとも身の回り、勤め先で一番だめな奴くらいには思ってる。
その正誤はわかんないけどその感覚もちょっとおかしくて、失敗する人、というものへの認識・距離感が狂ってるのもミスとうまくつきあい、飼い慣らすことができない原因なのかなってのも思う。