私はどうしても自分の努力を認められないタイプの人間です。
もともとそんなに人に褒めていただけるような者ではありません。ですが、たまに褒めていただくような貴重なチャンスがあっても、すぐに自己否定してしまいます。
「いえ、自分そんなんじゃないんで」という言葉が常に脳内で響いて居ているような状態です。
その中でもとりわけ「努力している」ということを認めることができません。確かに、世の中の多くの人々(特に成功している人々)は寝る間も惜しんで働いたり、努力したりしています。ですが、天下万民が全員そこまで努力しているかというと、そう言うわけでもありません。
ただ、努力を認められないということを、私がわざわざ問題視するのは、私の自己肯定感が低いからです。つまり、自信がないからです。
努力をしたことによって、「自分ってすごいじゃん!」と自分を認め、 自信を持ちたいと思っているのです。
もちろん、そういう形ではなく、あるがままの自分を受け入れるという方向性もあります。(自己受容という考え方です)
もちろん、あるがままの自分を受け入れる大事です。足元を固めるためにはまず真っ先にやっていくべきことでしょう。
ただ、自己受容をしようと思うならばこそ、今自分のしている努力を受け入れて、認めることも大事だと思います。
今日は、自分の努力を受け入れられないのか、考えてみたいと思います。
成果が出ていない
まず1つ目の理由としては成果が実感できるほどないということが考えられます。
私が成果を実感できることがあるとすれば(集客に精を出さなくとも)
- 収益が発生する
- ブログの読者が増える
- ブログのアクセスが増える
- ツイッターのフォロワーが増える
- サイトノベルが多くの人に評価される
- イラストにいいねやリツイートがたくさんつく
(イラストの投稿がツイッター中心なので)
といったことが挙げられます。
他の方のツイッターやブログを見ていると、自分よりもはるかに成果を出されています。凄まじい絵ではなくとも、高評価やファンがついている方もたくさんいらっしゃいます。もちろん、そういう方の絵は(すさまじいわけではなくとも)光る魅力があり、私もその魅力に魅せられて応援している絵師さんは居ます。
そういう方を見ていると、どうしても、悔しくて、どうして自分は全然評価されないのかと泣きたい気持ちになったりもします。
私の技量不足であることはわかっています。ただ、つい「自分と相手の差はそんなにはないはず」と思ってしまうのですよね。
プロの方に対しては「そこまで差はない」とは思わないのですが、相手がまだまだマイナーな方だと追送思ってしまいます。 ある意味、権威主義的というか、よくない考えではあると自覚しつつ、辞められないでいます。
他人と比較せず、あくまで自分頑張っていること、今までできていなかったこととが出来た、というだけでも結構すごいことだと思ってもいいとは思います。
大切なのは誰かと争うことではなく、自分自身に負けないこと。
今まで自分ができなかったことができたのならば、どんな些細なことでも認めてあげようという気持ちが、大事なのかもしれません。
目標が高い
先ほどまでの話は、他人と比べて、の話でした。今度は自分の中での話です。
自分で言うのもなんですが、目標はそれなりに高いところに設定されています。
- 30歳までに2000万円を貯金する
- 小説家としてデビューする
この3つの辺りが、私の人生にとって1つの大きな目標です。
2000万円の貯金と資産運用により、労働時間を短縮し、好きなことや勉強のために時間を使いたいと考えています。
大きいといった割には大して大きくはないかもしれません。ただ、この目標をほぼ常時、意識して、無意識に刷り込まれているレベルなのは事実です。
意識が高いことは良いことです。別にそれを他人に強要したり、自慢したりしているわけでもないですから、好きにやっていいと思います。
ですが、高い目標を掲げていて、それが一瞬で叶うわけがないと知りながらも、その途中の一歩を認められないというのは悲しいものです。
「今自分は成功に向かって歩いているんだ」と自分に声をかけるとすぐに「でもその方法であってるの?」という言葉が返ってきます。
確かに、ブログのことに限っていっても、
目標を遠ざけたがる
謙虚なのかどうかはわかりませんが、自分で立てた目標でも、達成直前になると、その目標をさらに遠いところに置こうとする癖があります。
先ほどは目標が遠いとことにあるという話をしました。今度は、それを少しずつブレイクダウン(小さくした)目標についての話です。
例えば、このブログについては「100記事を目指す」ということを目標の一つにしていました。
ところが、100記事が近づいてきたとき(90記事ぐらい)から、読者数・アクセス数・収益が少ないということが気になり始めました。
そもそも、アクセスや収益のことをあまり気にせず、自分の心情整理と記事数を優先してブログを運営してきたことは事実です。
なので、目標の一つが達成されそうになると、他のことについても視野が広がってくるのは自然なことだとは思います。
ただ、自分で建てた目標を1つ達成できたことは事実です。努力を認めて、少しだけでも余韻に浸るのも悪くないはずです。
ただ、私の場合は、どんどん次の目標が出てきて、目標達成の努力を認めたり喜んだりする時間が全くと言っていいほどありません。
確かに、小さい目標が大きな目標の達成のためのプロセスの一つに過ぎない以上、そこで喜んで足を止めてはだめです。
ただ、喜ぶことと、足を止めることは別のことだと思います。今まで自分がやってきたことを振り返ってモチベーションを高めるために足を止めるのもいいですし、足を止めないながらも喜ぶことはできるはずです。
ただ、自分で立てた目標が達成できそうになると、「いや、大した目標じゃないですから」といつものように自分の中で反論してしまい、喜べないのだと思います。
以上のことを踏まえると、私は小さな目標の達成が大きな目標達成のプロセスの1つにすぎないと認識できているわけです。だからこそ、小さな目標1つを達成したことで気が緩んだりするどころか、目標が変化するのです。
そういう視点を持つと、目標が遠のいていく私のスタンスというのは存外に悪くないもののように感じられます。
さらにこの考えを定着させていけば、失敗も大きな目標達成の1つだと認識して、失敗を恐れないということもできるような気がします。
(この「失敗は成功のためのプロセスに過ぎない」というのはGACKTさんの考えです)
終わりに
自分の中で自分がすごいということに、自分ですぐ否定の言葉を投げかけてしまう。それが、一番の問題のようです。
常に、(というほどではないかもしれませんが)自己否定に近い言葉を自分に欠けてしまっているというのは考え物だと思いました。
これについては、他の様々な方法を用いて、解消していければな、と思っています。
結局、私はいつもゴールからの距離で物事を見てしまっています。ですが、スタートからどれだけ走ってきたのかを振り返ることも、自分を大切にするという意味では、大事なことなのではないかな、と思いました。