ドムストの雑記帳

全然器用に生きられない私の真面目な事、勉強の事、お楽しみの事を書くために開設したブログです。

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仕事は早いと言われたが

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本日もありがたいことに、無事仕事をこなせました。

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一時は仕事ができないほどにメンタルをやられていたのですが、それに比べると、大分良くなりました。といっても、隣にいる先輩に声をかけるのもためらってしまうほどの小心さは相変わらずです。そのせいで、数十分くらい同じところをグルグル見直していました。

 

そんな中、今日、「仕事が早いね」と言われました。これは普通に受け取ると褒め言葉だと思えますが、私としてはどうにも褒め言葉として受け取ることはできませんでした。

 

今日はこのことについて深掘りして、良いところは自分で認めて、褒め言葉として受け入れられない理由になっている悪いところは直す様に努力しようと思います。

 

 

仕事が早いと言われても嬉しくなかったのは

 

仕事が早いと言われても嬉しくなかったのは、主に、「仕事は早いけど精度が甘い」と言われたことがあるからでしょう。

 

本日一緒に仕事をしていた先輩にも、「急がなくていいから精度良く仕事をしてほしい」と言われたこともあります。その時の、何ともいえない落胆したような態度を思い出すだけでも、身の毛がよだつと言いますか、不快感を感じます。

 

www.domustox.com

 (そのときに書いた記事がこちらです

 

 

その仕事の精度が甘い事については3つほど理由が考えられます。

 

不注意この上ない

 

まず第一に、私自身は不注意で些細なミスを見逃しがちな人間です。それによってけがをしたことはないのですが、仕事をする上では、細かいところを詰めきれず、イマイチうまくいかないということも多々経験してきました。

 

 

注意力が散漫で、何をするにしても何かが抜けてしまう。それが私です。ほんの些細なタスクでも、やり慣れていないと何かが間違ってしまいます。

 

なぜかくも注意力不足なのかと言うと、集中力が散漫な方だからだと思われます。これは性格のかなり根深いところにある物だと思います。

昔っから、テストや授業などで問題を解いているとき、一度答えを書ききってしまうと、その後で見返すということが嫌いでした。見返すときになると、途端に集中力が切れてしまい、ただ字面をなぞっているだけで、自分で書いた回答が頭の中に全く入ってきませんでした。

 

また、ブログや小説も、書きはするのですが、それを自己添削しようと読み返すのが苦手です。読み返そうとするだけで、なんだか嫌な気分になります。

 

これはおそらく、『完璧主義』的なところやプライドが邪魔をしてしまっているのだと思います。一度自分が作った物を見直して修正するということは、自分自身の作品を貶すということ、それは、自分が作った物が「完成されたものではない」と決めてしまうことだから、それが嫌で、自分の作った物を見返すのが苦手なのだと思います。

 

人間生きていれば間違いも犯しますし、それを自分で気づけない方が恥ずかしいとも考えられます。でも、今の自分は一度でも作った物を見返すのが嫌で嫌で仕方ないのです。内心では、「どこかに間違いがあるんだろう」と薄々は気づいているのです。ですが、その間違いを見つけたとしても、それを直す方法が分からないなら、間違いを見なかった振りをしてしまった方が気が楽なのだと思って本能的に自分の作った物を注視しない様に仕向けているのだと思います。

 

「方法が分からないから何もしない」と言うのは私の中では往々にしてよくあることで、トライ・アンド・エラーで何度も試すだとか、他人に相談するだとか、そう言う癖が無く、何でも自己解決しようとして、自己解決できない物は諦めるというのが当たり前だったので、そう言う癖がついてしまったのだと思います。

 

緊張嫌い

 

もう一つ、仕事の精度を高めることの妨げになっているのが、緊張嫌いです。集中して何かを行おうと意識をすると、体が緊張状態になります。緊張状態になるのはある意味当たり前のことではあります。

ただ、少し前まで仕事ができないほどのメンタルになっていた時、緊張状態がパニックに近い状態になってしまい、それがとても嫌なこととして染みついてしまいました。

 

そのせいで、ちょっとでも緊張することが嫌いになってしまい、必然的に、意識的に集中して緊張することも嫌になってしまったのです。

 

程よい緊張感は仕事において必須です。在宅で勤務している時には、程よい緊張感が無い事から、かなり作業効率が落ちてしまっています。ある程度〆切に追い込まれていれば、在宅でもキッチリ仕事をこなしますが、私の現在の仕事では〆切がある方が少ないので、ユルユルやっても文句を言われないことがほとんどなのです。

 

集中と緊張はコインの裏表のようなものです。ただ、私は過去の経験から、緊張から逃げるようになってしまい、その結果、集中力の方も低下してしまっている気がします。

 

昔は緊張もある程度好きでした。中学の頃は演劇部で、毎度舞台直前に緊張していましたが、その緊張を楽しんでいました。しかし、一度追い込まれたことで、緊張に対する苦手意識を持ってしまい、それ以来、緊張に対して耐性がからっきしなくなってしまいました。

 

新鮮味の無い事をすぐ辞める

 

私は飽き症です。何かを始めた直後は、その新鮮さで色々なことを吸収できるのですが、しばらくすると、その新鮮味が失せてしまい、すぐ放り出したくなってしまいます。

 

これが、見返すのが嫌になってしまう理由にもなっています。

 

一度やったことをもう一度やり直すことなんて、新鮮味が欠ける事この上ありません。そう思ってしまうから、見直しが嫌いで、見直しをしようとしても、頭の中でうわっ滑ってしまうのです。

 

仕事の精度を上げるには

 

そして、こういった「早いけど精度がイマイチ」ということが、「仕事が早い」と言われてもあまり嬉しくない最大の原因だと考えられます。

 

ここ最近は、あまり文句を言われない程度の精度を出せるようになってきました。(あるいは、文句を言われて持ちこたえられるだけのタフさを身に着けた

 

あるいは逆に、アドバイスをしてもらうことでより大きな失敗を防ぐという、当たり前の心構えがやっと身に沁み込んできたのかもしれないとも考えています。

 

ただ、いずれにしても、今は良くとも、今後、自立して仕事をしていく上では、自分一人でもやれる仕事の精度を高めていくことが必要になると思います。そうすると、必然的に自己点検・自己添削は必須であると考えられます。

 

まずはブログの自己点検から、と言いたいところなのですが、ブログは結構時間がカツカツの中で、毎日何とか時間をひねり出して書いています。なので、添削している時間はないし、ブログくらいせめて気楽に文章を書きたいと思ってしまいます。

 

ブログに対する甘えともいえるのですが、これはこれで現状は仕方ないことかもしれないと思っています。

それに、少なくとも今は、「ブログは1記事4000字を目指す」ことを目標に書いています。(最近は全然到達できていませんが

 

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少し話がわき道にそれてしまいました。

 

それ以上に、大切なことを考えなければなりません。自分のミスを自分がどの程度許容するのかと言うところから始めなければなりません。

 

今の私は自分が自分でもわかる程度のミスをしていることを許容できない状態にあります。まずはここから、少しずつ、自分のミスや失敗を許容し、自分から見つけていく癖を身に付けなくてはなりません。

 

あくまで、見直しをしたりするのは、その方法の一つに過ぎないと思います。自分の心を少しずつ自分の失敗に慣らしていくことが大事です。

いきなり自分に対して自分の大きな失敗を突きつけていると、再び心が折れてしまうと思います。

 

終わりに

 

なんだか少しまとまりのない記事になってしまったような気はしますが、自分が次に何をするべきかは見えてきたような気がします。

 

過去に感じた感情に対して分析的になるのもいいのですが、それ以上に大切なのは、次に何をするべきか考えることだと思うようになってきました。

 

今回は、きっかけは感情の分析でしたが、最終的な記事の内容は殆ど次になすべきことになりました。

 

この調子で何とか頑張っていこうと思います。