間違いを認めるというのは、難しいことです。
私は何度も同じ失敗を繰り返しました。そのたびに、言われた言葉を覚えきれず、次にやるときには、そのことをぽろっと忘れて、同じ失敗を繰り返したりもしました。
本を読んでも、インターネットから情報を得ても、知識としては分かっているのにも関わらず、間違っているということからは目を背けてきてしまったことは一度ではありません。
そう言った私の経験を少し回顧してみようと思いました。
間違い続けているときほど認められない
無知の知という有名な言葉があります。有名すぎて、聞いたことのない人の方が少ないと思います。
自己啓発のブログには絶対この言葉が1回は使われているでしょう。
ただ、この言葉を言葉として知っていても、それを実体験として、実感をもっている人は少ないと思います。
さらに、実際に自分が何を知らないのかを具体的に知っている人は非常に少ないと思います。
自分自身の欲求や我慢の限界、これらを正確に把握している人なんて、ごくわずかだと思います。
我慢の限界を知っているだけで、その状況に遭遇したとき、心構えができるので、急にキレたり怒鳴り散らしたりすることはなくなります。
と、私がどれほど無知の知について説いても、おそらく、あなたが今まで読んできたほかの啓発ブログと同じ様に、「ふ~ん」で終わってしまうと思います。
ただ、あなたがもし少しでも、ストレスを感じて、それをリフレッシュしきれていないのならば、あなたはどこかで自分の欲求を抑え込んでいます。
その欲求を抑え込みすぎてしまうと、鬱といった精神病にかかることになると思います。
自分の間違い、無知の知について、私はこれだけ重大に受け止め、認識しています。
それでも、私が自分の間違いを修正して、正しい軌道に乗れないのには、理由があります。
その理由とは、人は間違い続けているときほど、自分の間違いを修正することを恐れてしまうということです。
今までの自分から変わろうとすることは、多くの人がポジティブに受け止めることだと思います。ですが苦しい人、つらい人ほど、内心では、変化を恐れています。
次なる自分へ移行しようとすると、辛い今という瞬間に、さらに自己否定の辛さ、脱出するための努力の辛さが上乗せになるからです。
こうなると「いつまでも被害者意識にへばりついている」と言われるようになってしまいます。つらい人ほど、助けの手を払いのけてしまうというのも、助けの手を受け取ることで、「自分は自分一人で復帰もできない」という認識を持ってしまうことを恐れているからです。助けてもらう=その人に迷惑をかけてしまう、というように考えると、ますます思考は悪循環に向かっていきます。
私は、それを理解していても、目先の恐怖に折れて、きちんと行動できていない時期がありました。
長期的に正しいことよりも、今、この瞬間だけでも自分の痛みを回避する方を選んでいました。 長期的に正しいことと思っていても「本当にそれが正しいのか?」という疑念が常に付きまとっていました。それは自分の判断能力に対する自信もそうですし、周囲がどう反応するかが読めず、困惑していたというのもあると思います。
そんな私の過去の状況こそ、まさに間違い続けて、自分の間違いを認められず(むしろ気づかず)同じことを繰り返してしまっていました。
間違いを認めないと学べない
でも、自分にはそういう性質がある、といったことを意識しないと変えることはできません。自分の中でこびりついてしまったものは、気づくのもの難しいですし、気づいた後に直すのも難しいです。
心理学上では「信念」と言ったりもするそうです。「信念」というとなんだかいいイメージもありますが、間違った信念はあなたを苦しめることになりますから、気を付けなければいけません。
良い信念は環境とかみ合い、好循環を生み出していきます。でも、少し環境が変わると、それがよくないことを起こしたりもします。
「微細な点まで気づく」ことは仕事の上ではミスを防ぎ、役立つことも多いと思います。一方で、日常生活でのちょっとした変化に過剰に反応して、イライラしてしまうという側面もあります。
でも、本人にとっては「微細な点に気づく」という性質は当たり前のことであり、それを直す・直さない以前に気付いてすらいないことがあります。
間違いという言葉を避けてみる
間違いという言葉を使い続けていると、間違っている自分が悪の存在のような気がしてしまいます。ですが、間違いや失敗は、誰にでもある物です。
ミュージシャンGACKTO曰く「失敗は成功の反対ではなく、失敗の続きに成功がある」とのことです。
間違いというと、やっぱり気が滅入るのも事実です。だから、思い切って、間違いという言葉を使うのを止めてみるのもありかと思います。
そもそも、間違っているか・正しいかという判断自体が難しい事です。短期的・長期的など見方を変えることで、正しい・間違いはクルリと入れ替わってしまいます。
なので、間違いかどうかということを常に判断し続けることを止めてしまうのも一つの手だと考えられます。
自分のしてきたことが正しいか間違いか、間違っているならすぐ様にでも改めたいと思うのは当然のことですが、正しいことはだれにもわかりません。
間違っていると思い込んでいる性質によって出来ることもあるかもしれません。もちろん、目下の状況に対処するためには、今自分のどういう性質が原因でこういった事態を引き起こしてしまっているのかを把握するのかは大事なことです。
ただ、その性質を過度に「間違いだ」「直さなくてはいけない」と思うと、ますますドツボにハマってしまうことがあります。なので、まずは「直す」「直さない」と言う話をなしにして、「自分にはこういう性質がある」ということを認知するだけでも十分です。
それに対して正誤を一々尋ねていると、本当にますます辛くなります。なので、自分のやることなすことに一々「正しいか否か」を突きつけない様にして挙げてください。仮にそれが「間違い」だとしても、です。
そうすると、少しだけ気持ちが楽になっていきやすくなることもありますから。
終わりに
今回は自分の間違いを認めるということについて書いてみました。
実際のところ、根深い間違い程、人間の無意識は目をそむけてしまいますし、アドバイスを拒否したがります。そう言ったことを乗り越えて、段々と自分を知り、受け入れて、やがて、強い自分を手に入れていくものです。
なので、諦めずに、もう少しだけ、自分の事を、自分の間違いを認めてみてください。
そして、何よりも大事なのは、間違いを認めても、自らの身に危険が及ばない環境に居ることかもしれませんね。