ドムストの雑記帳

全然器用に生きられない私の真面目な事、勉強の事、お楽しみの事を書くために開設したブログです。

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辛いときも嬉しいときも書き残せる物を

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生きていれば、嬉しいことも辛いことも経験しているでしょう。中には辛い事ばかりで、何もいいことがないと思っている人もいるかもしれません。

 

私も就職直後は、とことん辛い思いをしていました。そんなときに、私を助けてくれたのが他でもない、書き残せる物、つまり、日記でした。

 

日記なんて単純すぎますし、そんなに継続してできる訳がないと思われる方も多いかも知れません。しかし、実際には、日記にはとてつもない力が秘められているのです。 

 

 

日記を付けることで「忘れる」


辛い事なんか、日記に書いたら、辛いことを思い出してますます辛くなってしまうと思うかもしれません。

しかし、そんなことはありません。少し話はずれますが、「メモを取ることで、そのことについてもう意識しなくてよくなる」という考え方もあります。

president.jp

忘れたくないことを同じメモに書くようにしておけば、仮に忘れてしまったも大丈夫です。なぜなら、とりあえず、そのメモさえ見ればいいからです。
メモと言っても紙のメモや予定帖に限らず、スマホやPC・タブレットのメモ機能を使うことも十分に考えられます。私は何か思いついたときにはGoogle keepを使っています。

 

 メモをしておけば、そのことをすっぱりと忘れて、次のことに集中できてしまいます。「つい、あの事が気になってしまう」なんて悩みともすっぱりおさらばと言う訳です。気になってしまうことがあればあるほど、それは仕事の邪魔になります。そこから逃れるために、メモをしてしまおうという訳です。


このように、書くということで、心に整理をつけることができます。
書くという動作を行うことによって、「辛い思いを弔う儀式」というように考えてもいいかもしれません。

 

嬉しいことも日記に着ける意味

忘れたいことを日記に書くのならば、嬉しいことは書かない方がいいと思われたかもしれません。

しかし、嬉しいことを書き記す意味もちゃんとあります。

 

嬉しいことがあった時もつけるという意図としては、後で見返した時に、自分の人生には波があったことを分からせるためです。

 

辛い事ばかり書いていると、日記を見返した時、自分の人生が悲惨な事ばかりだったと思うようになってしまいます。ですが、その時、実際のあなたは、些細なことに幸せを見出して、自分をなぐさめたり、強く生きようとしていたことがどこかであるはずです。

 

嬉しい事・楽しい事に一切触れないということは、ずっとずっと毎日毎日辛いことがあったということばかり書いていることになります。

そんなことばかり可視化していると、自分の人生は本当に悲惨な物だと思うようになってしまいます。そうなってしまうと、精神面で非常に危険な状態になってしまいます。

 

なので、そんな辛い事ばかりを集めるような陰湿な日記ではなく、嬉しいことも書いてある日記にもちゃんと意味はあるのです。

 

 

日記にはすべてを打ち明けられる

日記なんて他人に見せるものではありません。まして、デジタルデータの日記ならば、簡単にパスワードなどで守ることができます。物理的なものと違って、鍵を買ってくる必要もありません。

 

なので、正直な気持ちを書くことができます。私などは、結構ブログで言いたい放題言っていますが、それでも、言えないような思いはたくさんしています。

些細なことから感じた他人に対するわだかまりや、悲しみなど、いくらでも生まれてきます。逆に、ごく些細な嬉しかったこともあるでしょう。

 

 

私は、特に日記を会社でつけています。内容もほぼ会社内での出来事です。その名も「会社日記」です。(どこぞの未来を教えてくれる日記のような名前です

業務日記とも少し違います。内容では確かに、日々の業務にも触れていますが、それだけの内容ではありません。

 

内容では

  • 出社に手間取って普段より到着が遅れた
  • 誰かの冗談が面白かった
  • 誰かの行動に腹が立った
  • 誰かに怒られててしまった
  • 仕事が、上手く行かなくて、周りに迷惑をかけてしまって申し訳なかった、もっと頑張りたい
  • 自分はこういうことが苦手なのかもしれない
  • お昼に食べたラーメンがおいしかった

 そんなようなことを書いています。

 

こんなこと、一々事細かに他人に話そうにも、聞いてくれる人などいる訳もありません。

 

 

この日記をわざわざ会社でつけているのにも意味があります。別に残業代をかっぱらってやろうという理由ではありません。そこまで長時間書いてはいません。

 

それは、職場に行く気力を保つためです。職場では大変な事、辛いことがたくさんあります(楽しいこともあるにはあります)。なので、職場に行くこと自体にビビってしまうことも何度もありました。

 

ですが、その悩みを聞いてくれる人のような存在として、日記を会社でつけていました。会社と言う「真っ暗闇」の中で、日記と言うかすかな光に頼っていました。

もしこれが、自宅でつけていたら、会社にいたくなくなり、自宅に引き籠ったり、さっさと家に帰りたいという思いで頭がいっぱいになっていたでしょう。

 

その時の気分としては、職場に一人、何でも悩みを聞いてくれる気の置けない友人を得ている様なものでした。

 

この友人の存在と言うのは実は重要な事です。職場に仲の良い友人がいると、仕事の成果が上がりやすいという報告もあります。

www.cosmopolitan.com

 

私自身は、職場ではある程度冗談を言えるような間柄の人は存在します。しかし、そんな人たちにも、言えないことはたくさんあります。

 

失敗を指摘されれば悲しくなりますし、業務が認められると嬉しくなります。こういった感情の起伏を一々誰かに話していては、仕事になりません。なにより、指摘されて悲しかったなんて上司に言ったところで、じゃあ頑張れと言われるのが落ちです。

 

 

そんな、「誰にも言えないけれど、思ったこと」というのは、日々の生活の中で必ず生まれてくるものでしょう。忘れられないような気持、捨てきれないような気持を、人間と言うのは、共感を求めて、人に話すのです。

しかし、人に言えないのならば、日記という最大の友人に書くことによって、伝えるという行為と同じようなことをするのです。

 

 
今までごく自然に「日記が友人代わり」と言ってきましたが、日記を友人代わりにするというとものすごく根暗な人に思えるかもしれません。字面だけだとものすごく危なそうな人です。

 

ですが、この現代社会は人間関係が希薄だとか、プライバシーの権利だとか、言われるような世界です。

人生丸ごと預けられるような友人や師匠が見つかるわけがありません。死の間際に名言はなってくれる良き先達に会えることもないでしょう。それだけ濃い人間関係を他人に求め、努力することも可能ではあるでしょう。(実現するかは不明ですが

それでも、一人だけ、どんな時も自分の人生についてきてくれる存在がいます。自分です。

その自分がいる証拠として、日記を付けるのです。

愚痴を言うと他人を巻き込んで不快な思いにさせたりもしますが、日記の中ならば言いたい放題です。
他人に中々言えない、胸の内と言うのもあるでしょう。ネガティブなイメージだけではなく、ポジティブな思いもです。

 

普段接している家族に、わざわざお礼を言うのは恥ずかしい物ですが、いつか言わなければと思うほど言えなくなります。

そう言った物をため込んでいくのも、日記の役目ではないかと思います。

 

 

 おわりに

 

日記なんて、大した手間にはなりません。なのに、自分の心の中のわだかまりを解いたり、自分を支える自信になってくれたり、その効力はかなり大きい物になります。

 

私も毎日簡単ではありますが、日記をつけ、自分の思いを書き記しています。