不器用人間の思考勉強お楽しみ

全然器用に生きられない私の真面目な事、勉強の事、お楽しみの事を書くために開設したブログです。

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自分と向き合うことは恥ずかしい事ではない

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私はなぜか、自分と向き合うことが、恥ずかしいと考えるような人間でした。今はそこから徐々に脱却しつつあるところです。

 

一時期、思いつめて、辛い時期がありました。その時には「自分で自分のことが分からない」ということで自分を責めていました。

それなのに、自分がどういう人間なのかとか、自分の思考がどういう物なのかとか、自分の欲望や願望はどういう物なのかということを一切無視していました。

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「人間の負の感情は、自分でも気づかぬ願望が発する叫び声」という言葉を他人には言っておきながら、自分でそれを実践していなかったんですね。

 


自分がそんなに好きじゃなかった

おそらく、それだけ、自分から目を背けていたのは、自分がそれだけ嫌いだったからだと思います。

それは、自分が自分の思い描く理想の自分からかけ離れていることも、周りから肯定してもらえなかったことによる影響の2つがあると思います。

 

自分の中には、自分でも思っていたよりも強く理想像が描かれていたんだと思います。その理想像については、また、ゆっくりと考えていこうと思います。

 

ただ、その理想の中では、私は今の自分よりも強くて、ある程度のことを何でもそつなくこなすことのできる人間でした。しかし、実際には(特に会社の仕事では)何もできない、無力な人間でした。

 

自分の弱さを認めることができないが、自分の理想を捨てることもできない。そうしたことが積み重なって、とうとう自分は本当に辛くなり、他人に悲しみや辛さをわめくほどに追い込まれてしまいました。

 

ただ、逆にそこまで追い込まれて、なりふり構わず、自分のことを(上司に含めた)周囲に話すことで、少しだけ、自分の弱みを見つけ、認めることができるようになりました。

 

また、周囲から肯定してもらえなかったということについては、色々と思うところがあります。他人を助けても、そのことを覚えてもらうことすらなかった。ただ、友人として認めてほしかっただけなのに、そのことすら認めてもらえず、孤立していたという感覚をずっと味わいつづけてきました。

 

もちろん、親友といえる友人とも出会えましたし、誰もが私のことを否定してきたわけではありません。ただ、小学校、中学校、大学と計13年間で刻み込まれた私の低い自己評価は、そうそう簡単に払しょくできるものではなくなっていました。

幸い高校時代は特に楽しかったのです。ただ、その時には、自己評価とか、自分の内面だとか、そう言うことを考えるのには若すぎたのか、内省することはほとんどありませんでした。

 

自分から目を背けていたからアドバイスがつらかった


自分が自分から目を背けていた一方で、私の上司は私から目を背けていませんでした。もちろん、そのほかの事を見て、頭の片隅で私のことを分析していたのでしょう。しかし、それでも、私が自分で認識している以上の私自身のことを理解しておいででした。

 

仕事で行き詰まりを感じ始めた当初は上司の言葉を聞くたび、私は自分の胸を抉られるような気持ちになっていました。上司の指摘やアドバイスを受け入れることができず、ただ、上司やそれ以外の方々のアドバイスに対して拒否反応を示していました。

 

アドバイスを目にするたび、ドキッとして、体が強張るような状態に陥っていました。そんな状態では、冷静にアドバイスの内容を受け入れる事はできませんでした。

 

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その頃には、失敗すれば上司に指摘を受け、指摘を受ければ恐怖を感じるようになっていました。だから、失敗が恐ろしかったですし、失敗をするような挑戦をすること自体が恐ろしくなっていました。


現在は、多少はそう言ったことも克服して、他人のアドバイスを受け入れられる部分も出てきました。

 

当時は「アドバイスは自己否定じゃない」と自分に言い聞かせたりしていました。迷う中で、必死で編み出した方法なので、あまり責めてはいけませんが、正しい方法ではなかったと思います。


今は、自分が嫌だと感じるアドバイスを聞いたときには、自分の中の考えに目を向け、自分の中で譲れない部分を確認する。自分の気持ちと実利を釣り合わせて、どれくらいなら我慢できるのかを、考えてその次の行動を決める。


そうして、1つ1つ自分の嫌だと思ったことに折り合いをつけていくだけでも、少しずつ気は楽になってくるんですよね。

 

自分はまだまだ理想を追いたい


ただ、それでもやっぱり現状に変化を起こせるほどには至っていません。


私の本心は、私が抱く理想に近づくことを切望しています。現状と自分の気持ちに折り合いをつけて安心しただけでは、ダメだと思っているのです。


そう考えると、自分は今でも現実よりも理想の方を重んじて折り合いをつけようとする、夢を追う側の人間なんだな、と思いました。

 

大人は、自分の理想を叶う者ではないと言い聞かせて、今の生活に自分を押し込めようとする人が多いと思います。少なくとも、つい最近までは、大人になるというのはそう言うことだと言われてきたものだと思います。

 

ただ、私は自分が今いる会社でしっかり仕事をすることもできていません。私には多くの他人から見て「当たり前」ができていません。そのため、私が抱く理想は他の多くの人にとっては「当たり前」に過ぎない事なんだと思います。

 

私の場合は、他の人より大きな裁量を与えられ、自由に時間を使うことができたから、「当たり前」は実現のために努力しなければいけないことになったのかもしれません。多くの人は、椅子に縛り付けられて、やることを強いられて、逃げ場なく「当たり前」をこなしているのでしょう。

 

そう考えれば、私は恵まれている環境に居ると言ってもいいでしょう。

 

ただ、そもそも、私の理想はもとから、当たり前である、ことではありませんでした。理想については、いずれ、別のページで書いて行こうと思います。

 

ただ、以下に示すやりたいことリストをすべて実現できるような、時間的・金銭的余裕がある人生というのが私にとっての理想です。

 

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終わりに

 

自分と向き合うことについてのことについて内省的な記事となりました。

 

おそらく、どうやったら自分の内面と向き合うことができるのか、ということについての具体的な方法については悩んでいる方も多くいらっしゃると思います。そこについては、今後、研究を重ねて、記事にしてまいりたいと思います。

 

また、この記事を書いている中で、改めて、自分は「夢を追いかけている人間だ」と感じることができました。

会社での仕事が追いつめられていたことから、webデザインやブログは金の為、食つなぐため、100年生きるまでの間に辛い目に遭うことを回避するための道具にしかすぎないと考えているようになっていました。

 

でも、実は、それは、私の壮大な夢の第一歩であり、今も理想に向けて頑張っているのだということを、再認識することができました。

 

自分と向き合うことは恥ずかしくないですし、自分と向き合ったからこそ、このことに気付けたのだと思います。