ここ最近、何とか頑張って気持ちを立て直そうと努力しています。おかげで、最低限、自分の中で折り合いをつけて、落ち着けて暮らすことはできています。
少し前までは、完全なパニック状態で、まともじゃない状態でした。まともに眠ることもできませんでした。しかし、今は多少、落ち着いています。
主に先日の記事でご紹介したようなテクニックを使ってはいます。
さらに、スモールステップの目標と自分の努力を認める合わせ技をつかって、自分をちょっとは認められるようになり、何とかやっています。
今日はその方法について解説したいと思います。
辛い時にはスモールステップ
辛くて辛くて、どうしようもなくて、何をする気力もなくなり、嫌になってしまう。そんなときはあると思います。
そんなときには、スモールステップの目標を立てて実践しましょう。
スモールステップとは、とにかく低い目標を立てて、それを実行することです。とにかく低くて、小さい目標で構いません。
例えば、一度部屋が汚くなると、もうどこから手を着けて良いのかわからなくなり、掃除をする気が失せたりします。(私も身に覚えがあります)
その時、掃除をする=すべてを完璧に綺麗になるまでやりきる、という考えているからこそ、気が乗らなくなるのです。
なので、まずは、机の上だけは片付けるとか、部屋に散らばった物をとりあえず箱に詰めるとか、そのくらいから始めるということです。
机の上からとりあえず物を下ろして、視界から外しただけで、部屋全体はまるで改善していない。むしろ、机の上に乗っていたモノの分、床に置かれた者が増えたということもありました。
ただ、それでも、視界からゴミが消えたことで、少しだけすっきりして、片付けに気が入るようになったのも事実です。
もう一つ、私の例を挙げます。私は、出社するときに、寄り道をしたくなります。それだけ出社が嫌なのです。いつも出社時間には余裕があって、寄り道をしても遅刻にならないのです。出社時間ぎりぎりを狙って会社に到着したくなるのです。
なので、乗換駅をグルグルして無駄に時間を潰したりしていました。
ただ、ある日、それじゃ良くないな、と思ったので、とりあえず、会社に直行しました。ただ、それだけです。
確かに、出社して上司の顔を見るのは少し怖かったです。でも、その恐怖に抗っているということを実感できるだけでも、大分励みになりました。
もはや他人どころか、自分から見ても、些細すぎる努力です。「寄り道しないで会社に行くなんて当たり前の事」と多くの人が思うでしょう。
「え?そんな低レベルな事でいいの?」と思うかもしれません。私でも思いました。
ただ、少しでも感情がざわつく時点で、それはすでに自分にとっては難しい事、挑戦的な事です。
他人から見た努力でなくていい
この努力というのは実に些細なことでいいと思います。
辛くなって落ち込んで鬱になって、という人は、とにかく、今自分が自分に求めている物が自分の能力よりもはるかに高い物だということを自覚できていないことが多いです。
「こんなこともできないのか」と言われれば当然凹むでしょう。もう駄目だ、終わりだと思うかもしれません。
自分で自覚して高い目標を掲げることは良い事です。ただ、無意識のうちに自分の力量を越えた基準を設けていると危険です。
よくこういうのは筋トレにたとえられますが、筋トレで重すぎるウェイトでやると、怪我したり、体を壊したりします。かといって軽すぎるウェイトでは、筋トレとしての意味がありません。
ちょっと重すぎるぐらいがちょうどいいんです。
筋トレの場合、物にもよりますが、重すぎると全く動かないので、「こりゃ無理だ」というのが分かりやすいです。しかし、日常生活や仕事で「こりゃ無理だ」ということに気付くというのは難しい物です。
さらに、「こりゃ無理だ」と思っていても、強いられてやらされることもあります。それによって、思わぬ成果を出すこともできる人もいれば、心が折れてもう駄目だ、と思う人もいます。
ただ、多くの人は、現状やろうといしていることが自分の能力よりも高い物であるということに気づけません。
自分の能力が思っていたよりも低いということを認めるのは屈辱的なことかもしれません。ただ、受け入れてしまった方が実は生きるのが簡単になります。
周囲の期待が高いほど、自分の能力が引くということを認めるのも大変になります。ですが、だからこそ、自分だ絵は、自分の実力をきちんと認識してあげないと、本当に大変なことになります。
自分が頭の中で思っている「当たり前」は自分の能力と比較してみると、当たり前とは程遠いものすごいキツいノルマかも知れません。
そのことに気付くだけでも、少し気が楽になることがあります。何が自分にとって高すぎるハードルなのかよくわからなくて苦しいということもあると思います。思い悩んでも、全然心当たりがないのはとても苦しいと思います。
それを洗い出すためには、自分の心がどういう時に動いたのかを記録することが役に立ちます。
周りの期待からは一歩身を引く
周りから期待されている、周りから「これができて当然」と言われると、自分もそれができて当然と思い込むようになってしまいます。
でも、実はそのことができないでいると、苦しくなります。自分ではできるはずと思っていることができないと、人間はとてもイライラします。
人によっては、落ち込んで、自分は無価値な人間と思うようになるかもしれません。
いずれにしても、良い精神状態とは言い難い状態です。
しかも、自分ができないことができると思い込んでいると、出来ないから努力しようという気持ちも無くなってしまいます。要は、実力が伴っていないのに、天狗になっている状態です。
そうなれば、すぐに現実と本当の実力の差が分かる出来事が起きて、本当に恐ろしい目に遭います。
また、これができなければいけないという義務感に囚われていると、それに釣り合わない自分の能力が嫌になります。
そうならないために、どんな状況であっても、他人の要求事項に100%応えようとする必要はありません。
自分の能力と照らし合わせて、それが簡単すぎる内容であれば、何の問題もありません。ただ、自分の能力を超えているかもしれない要求に対しては、これはできないかもしれない、と最初から思っておくぐらいの勇気が必要です。
その方が、精神衛生を保つ上では、ずっと大切なことです。
終わりに
他人から見て大変かどうかではなく、自分から見て大変なことなのかどうか。そして、その大変な事というのは、実は自分で思っているよりも低レベルなことかもしれない。
この2つを守って、自分の精神を守れるようにしてください。
何よりも優先すべきは命と心です。