遊戯王Vrainsが9月をもって最終回となりました。gx以降、切れ目なく続いてきたアニメ遊戯王が事実上打ち切りという形で終わったのには私も驚きを隠せませんでした。
とはいえ、arc-Vの評判が良くなかったこと、Vrains自体も盛り上がりに欠けることは私自身感じていました。
リンク召喚という新ルールで多くのプレーヤーが離れたことより、Vrains自体の魅力の問題だったようにも感じます。
Vrainsが全くおもしろくなかったと言うつもりはありません。ですが、既存の遊戯王シリーズが持っていた魅力を上手に引き継げなかったことに問題があったのだと思います。
今回はVrainsやArc-Vが上手に引き継げなかった遊戯王シリーズの魅力について語りたいと思います。
世界観の大きさと過去作との距離感
いずれも世界観に関する問題だと思っています。
異なった世界観と、毎回やたら壮大なスケールで話が進むのが遊戯王です。
カードゲームの前身が古代エジプトなのは序の口で、本物の神のカードがあったり、そもそも、世界が一枚のカードから始まったというぶっ飛んだ話もあります。
毎回、アニメ版の設定はデカいスケールの割に、毎回脈絡なく、まったく新しい世界になっています。前作と設定的なつながりはほとんどありません。
そう考えないと、作品をまたいだ瞬間に矛盾がバカスカ現れるからです。
前作とは根幹の設定が異なっているのに対して、ファンサービス的な、要素は脈々と継承されてきました。
「第一話で主人公は攻撃力3000のモンスターを倒す」というのも伝統です。
他にも、初代遊戯王に登場した海馬コーポレーションは、5D'sまで、チラッと随所で名前を出していました。
カードゲームが始まる前の最初期の第一話に登場した「牛尾哲」はVrains以外のすべての作品に(外見の一致~サブキャラまで振れ幅はある物の)登場しています。
新しい世界観の「全く新しいシリーズ」でありながら、根底やお約束を守る、というのは、ある意味で前作に対して程よいリスペクトをしてきていたということの表れだったのでしょう。
Arc-Vでもさりげないファンサービスが、我々を楽しませてくれることはありました。過去作の登場人物と真っ向勝負を挑むという展開は、私も興奮をしました。
しかし、Vrainsでは完全にその路線を捨てたと言ってもいいでしょう。世界観は、しょせん、バーチャル世界どまり。宇宙や人類よりもカードが先に誕生というぶっ飛んだ世界観を経験済みの私には地味でした。
ライバルキャラは、過去の伝統を重んじたビジュアルで、初代に登場した(今となってはほぼ使われていない)カードを使った時には、盛り上がりました。
しかし、過去作との接点はほぼ皆無で、細かなところにファンサービスをねじ込んでくる余裕も感じられませんでした。
個性の強い使い捨てサブキャラ
私はキャラクターの個性が強いことを好むので、「こいつまたか」と思われるかもしれません。
(キャラの濃さについてとうとうと語っているのはHELLSINGレビューで体験してください)
とはいえ、一発ネタで、その後もほとんど出番のないゲストキャラクターの個性はかなり強い。おかげで、一回しか出番がないのにファンがついたり、有名なネタになったりもする。
無難な強さより対戦相手が驚くようなコンボを重視するgxの椿一角。あげく彼は死神と契約したりデッキを信じて驚くべき行動に出たりと話題に事欠きません。
5d'sからは、レアカードのないデッキと手作り装備で世界大会に出場する農家の息子たち『チーム太陽』(出番自体は何度かありました)
宮野守によるノリノリな「ン熱血指導ゥ」で有名な片桐プロが登場したのはZexalでした。
ほぼ使い捨てのキャラクターのアグレッシブな個性は遊戯王の人気の1つだったようにも感じます。
arc-Vになると使い捨てキャラはほとんどいなくなります。Vrainsに至っては少人数制アニメといっても過言ではなかったでしょう。
この原因はやはり資金の問題でしょう。
遊戯王は、キャラクターのデザインに加えて、モンスターのデザイン(外見・効果)も考えなくてはいけません。
使い捨てキャラは本人のデザインに加えて、オリジナルカードのデザインも必要になります。それはビジュアルのデザインもそうですが、効果のデザインもあります。
ビジュアルのコストという観点では一度、作ったcgを使い回す方がコストもかかりません。5D'sで一部バイクシーンがcgになり、ゼアル以降、メインキャラの主力のモンスターはフルCGになってきています。
モンスターの作画コストを考えれば、順当ともいえます。しかし、これは使い回せば使い回すほど、CG作成費の投資効率が上がりますから、登場回数も増えると言うことになるでしょう。
別に同じモンスターの登場回数が増えることに問題はないと思います。gx時代から、主人公のエースモンスターは初登場以降ほぼ欠席なしのはずです。
GX時代はアニメに出てもカード化されない、不遇のモンスターたちも居ました。今では、「アニメで広めてカードで稼ぐ」というようなビジネススキームの関係上、アニメに出したモンスターは片っ端からカードにする(だってすでに宣伝されているようなものだから)というようなスタンスの様にも感じます。
ただ、使い捨てだからこそ、「ハジケられた」のであり、主人公がいきなりハジケても、キャラ崩壊でますますアニメとして混迷を極めることになってしまうでしょう。
カードゲームとして難しくなりすぎた
遊戯王=ルールが多い、複雑という命題が真になっています。そうでなくとも、難しいものだ、という噂や話は聞いている人も多いでしょうし、ルールを知っている、ファンの私ですら、難しいということを認めます。(最近よくはなってきました)
モンスターを場に出す方法が複数の種類がある上に、それをもはや何の疑問もなく使うアニメキャラクターを見て、ルールを知らない人には追いつける気はしないでしょう。
そうなってくると、10~30代の若くてアニメもよく見るであろう層からの流入がなくなってくるでしょう。
古参層は既存シリーズと比較して文句を言いますが、新規層はそれに比べればまだ静かかもしれません。
そうなってくると、ますます古参の「昔はよかった」という潮流に歯止めが利かなくなってしまうようにも考えられます。
なんだかんだ言って、私だって、「昔はよかった」懐古っぽいことをこの記事の中で言い続けています。
Arc-Vは余りの評判の悪さから、ほとんど見られていません。Vrainsは8割ぐらいは見ていますが、(甘い評価かも知れませんが)決して悪いアニメだという感じはしませんでした。
ストーリ全体の進みは少しゆっくりでしたが、前半部は特に、ちゃんとした筋書きを感じさせる手堅い進行に期待を高まらせていたものでした。
みょうちきりんな見た目も、最初は「変な奴」と思っていましたが、最終的にはかっこよさを感じるほどには慣れました。(慣れていいかは分かりませんが)
暴れてくれるキャラクターも(出番は少ないながら)ちゃんといましたし、ちゃんと頑張ってくれていたんだと思わせる出来でした。
おわりに
評判が激しく悪かったArc-V。事実上打ち切りと化したVrains。どちらにも光るポイントはあったのですが、結果的には過去の作品の良さを引き継げず、残念な結果に終わってしまいました。
しかし、アニメ遊戯王自体は終わらず、2020年の春から、また新シリーズをやるとのことです。
今度は過去作の良さを引き継ぐのか、それとも新たなる歴史を作ることに挑戦するのかは今は分かりません。ですが、いずれにしても新しい作品が、良い物であり、多くの人から高い評価を受けるものであってほしい一遊戯王ファンでした。