不器用人間の思考勉強お楽しみ

全然器用に生きられない私の真面目な事、勉強の事、お楽しみの事を書くために開設したブログです。

勉強ができる人は字が汚いの真偽

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勉強ができる人は字が汚い」なんて言葉は一度は聞いたことがあるでしょう。

私自身はさほど綺麗な字ではありませんが、逆に、他人に見せても読めないほどではありません。

 

そんな私が字を汚くすれば勉強はできるようになるのだろうか。私が勉強中に思った安易な発想から個人的に考えてみました。

 

このことを検証しようと思ったのはFPの勉強中のことでした。(逆に言うと人生で安気に必死に取り組んだ経験が、そこだけとも言えるのですが
私は100円ショップの安いノートを使い倒す、物量任せの勉強法です。そのせいもあって、かなり字を多く書き込んで行かなければなりません。

詳しい勉強法については、以下の記事を参考にしてください。

 

ある程度、キレに書こうと思って字を書いていたのですが、ふと「勉強ができる人ほど字が汚い」という風説ことを思い出し、試しに少しだけ字を汚く書く(というか、キレに書くことを意識するのを止めた)ようにしてみたのが検証でした。

 

 

結論:自分であとから読める程度の字で書けばいい

もったいつけたって仕方がないので、結論から言いました。ただ、このごく当たり前の結論に含まれる重要なエッセンスを抜いて考えると、ただ、字が汚くなるだけで何のメリットも得られないですから注意してください。


結局のところ、他人に見せるノートでもなければ、自分で読める程度で十分です。
綺麗な字を書くためには、相当神経を使います。極端な例ですが、学校でやった習字で、1時間かかっても、綺麗な字が書けなかった思い出はないでしょうか。

そうなってくると、本来の目的「勉強」から別の目的「字を綺麗に書く」に脳のリソースが割かれてしまいます。

勉強というのは頭の中に入っていればいいので、ノートも鉛筆も必要ないわけです。視覚化したり、手を動かした方が記憶の定着が良いので、ノートやペンを使っているだけです。

あなたが教科書を作っているなら話は別ですが、多くの場合、自分の勉強のためにノートを使っているでしょう。自分が見て混乱しないのであれば、ノートを斜めに使ったり、半分に折ったりしてもいいのです。

時間的な側面でも考えることができます。字を綺麗に書くためには、多少ゆっくり書く必要があるでしょう(少なくとも速記はできないでしょう)。そうなってくると、どうしても、字を書くことに時間を取られてしまい、勉強の効率が下がってきてしまうのです。

私は筆圧が濃い人間ですから、丁寧に書こうとするとあっという間に手がつかれます。しかし、ある程度手早く書くことを意識すると、筆圧も下がり、手も疲れやすくなりました。(気がするだけかもしれませんが)

こうした経験で、わざわざ字を綺麗に書こうと意識するだけ、時間の無駄だということに気付いてきました。


きれいなノートを作る意味

では逆にきれいなノートを作る意味はないのだろうかと考えてみます。

綺麗なノートを書くということは確かに大事ではあります。文字でびっしり埋め尽くされているノートを見たら、もう一度読み直そうという気にならない人が多いのも事実です。
だから最近の書籍は図や漫画を用いて説明をするのです

今までの話から展開して考えれば、「時間がかかってもいいという人は綺麗に作れば良い」のではないかと考えます。

私は、勉強が得意ではないので、出来るだけぱっぱと進めて、どんどん周回した方が気が楽です。夜はしっかり寝たいので、11時になれば、勉強が途中だろうがさっさと寝てしまいます。最近はちょっとずつ遅くなってきていますがそれでも、やること<睡眠であることが多いです。


しかし、一つのことを徹底的に、いくらでも時間をかけて、睡眠時間を削って夜遅くまで実行できる強靭なメンタルの持ち主も居ます。

あなた自身が、そのような人であるならば、良いかも知れません。しかし、そうは言っても、(資格などであれば)試験と言うタイムリミットが存在します。

仮に技を極める場合でも、人生というタイムリミットもありますから注意が必要です。人生の終わりの前に、力や頭脳の衰えと言うリミットもあるでしょう。


タイムリミットが存在する以上、無限に時間をかけていられるわけではありません。ですから、時間をどう使うか、自分の体力をどう使うか、ということに対して工夫は必要です。そのために、字を綺麗に書くということに投入するリソースを諦めるというのが、字が汚くてもいい、という話です。

なので、表を書くときに、定規を使ってきちんと書くよりも、ちゃちゃっと直線を引いてしまう方が、「勉強」という意味では、価値のある行動です。

ただ、本当に自分でも読めないほどに汚い字を書くと、そこで得た「気づき」を後から確認できなくなります。「気づき」は非常に大事なことです。

 

手段の目的化を防ぐ

最終的な目的はノートを綺麗に作ることや字を綺麗に書くこと、ノートの消費量を増やすことではないです。

書くと言うことを通じてその内容を頭で反芻したり、あやふやな部分を認識・調べる意識を高めることにあります。

文字を書き写すだけでは、頭の中に入ってきません。書き写した結果、その内容が頭に入っては来るかもしれません。しかし、その意味が分かっていないと、実際の問題の時には取り出せないことがほとんどだと思います。


宿題が終わっていなくて、答えを書き写した経験があるでしょうか。その時は、本当にタダ写すことだけに集中しているので、式の内容などの、その他の大事なことは、ほとんど頭に入ってこないものです。


綺麗に文字を書くことも、ほとんど同じようなことが起きていると思います。


極端な例

『Soul Eater』という漫画に『デス・ザ・キッド(通称キッド)』というキャラクターが登場します。
彼は、偏執的な「左右対称好き」で、何事もキッチリしているのが好きな少年です。そのせいで、テストの時、自分の名前をキッチリとレタリング(鉛筆でフォントを書く)していました。結果的に彼は、そのレタリングが上手く行かず、精神的なショックで倒れ、試験は一問も解けなかったということになります。(さすが漫画なのでぶっ飛んだ話です

 

このように、字を綺麗に書こうと思いだしたら切なんかないです。なので、多少は諦めて、自分が読めるくらいの字であればいいと割り切り、字が歪んでても、読んでください。

もし、それが許せないというのなら、ペン習字でも習って、きれいな字を素早く書けるようにしましょう。もちろん、それによって、勉強時間が減ることは、覚悟してもらいますがね。

以上、字が汚いのと勉強の相関についてでした。