ここ最近は仕事がそれなりに上手くいくようになってきて、私自身の人生もかなり充実してきていると感じています。
と言っても、まだまだ全然未熟者であることは事実で、本日の業務も首尾よく行っているか不安な気持ちはあります。その上、本日の業務では、やっぱりまだまだ自分に走らないことも多いと痛感させられることも多かったです。
それでも、そんな自分でもひとまず会社員として勤めることができて居る事、生きていてもいいんだということを少しだけ肯定してみようと記事に起こしてみました。
まだまだ無力な3年生
私は会社に入社してからすでに2年が経ち、3年目です。
2年目は色々あってほとんど仕事ができない状態で苦悩する日々でしたが、会社の恩情もあって異動し、現部署では色々な人のお世話になりながら、何とか満足に業務をこなせている状況です。
おかげで、ここ最近はちょっぴり有頂天気味で、仕事について得意げなことを書いていることが増えてきました。
とはいうものの、今までの2年間を実務に携わることなく過ごし、今も実務に携わっていない身としては、他の同期と比べて差がついてしまっているという感覚が否めません。
今までずっと間接部門で社内の業務に携わってきており、成果品も自力で仕上げて提出した物はなく、誰か先輩の要請を受けて、その支援と言う形で成果品に携わる事ばかりです。
そう言った意味では、まだまだ自立した社会人とは言えず、キャリアについても若干の不安があります。
社会人3年目といえば、まだまだ出来ない事が多くて当たり前と言う考え方もありますが、生き急ぎ気味な私にとっては、焦りが強く出てしまいます。
他人の期待を裏切るなんて今の私には当たり前のことです。プロならば相手の要求に120%応えられるのでしょうけれど、私は生憎プロになれるほどの実力はありません。
その実力をどうやったら身に着けられるのかもよくわからないまま、ただ目の前にあることを少しずつやっていくしかないという状態です。
人間それだけでスキルアップできれば苦労はしません。ただ、そうだとしたら、この世からキャリアやスキルで悩む人はいなくなります。そう言った悩みを抱える人がいる以上、自然と実力が身についていくという幻想を抱くべきではないでしょう。
目の前の感情に振り回されているだけ
ただ、自分の現実は今までと変わらないのに、受け止め方が今までとちょっと違うのは、今日の業務自体に不安があったからだと思います。
今日の業務の出来に不安がったから、将来も不安になる。もし仮に、今日の業務が上手く行っていれば、それだけで、将来も安心できるということになるでしょう。特に、ここ最近はだんだんと安心できるようになってきました。
ただ、逆に言うと、それは単純に目の前の感情に振り回されているだけです。
嬉しい事があるからポジティブに未来を捉え、悪い事があったからネガティブに未来を捉えてしまうことは、ごく当たり前のことと言えます。
ただ、それが行き過ぎると、目の前の感情に振り回されて、それだけに従って行動してしまうことになります。
過去に仕事が手につかなくなった状態はその最たる例で、目の前の仕事ができないから会社を辞めるしかない、と言うようなことを考えて暮らしていました。その時のことを思い出すと、今でも胸が締め付けられるような思いがします。
なので、未来のことをポジティブに捉えられる最近の傾向も単純に感情問題だともいえます。根本のところでは、何もかもが上手くいかなかったあの頃と何も変わっていないと言えるでしょう。
なので、ここ最近は、何事もなく済んでいたから、物事を楽観的に捉えられるようになっていただけで、何かが1つでも上手くいかない時が来ると、こうして少し足を止めたくなるということになるのでしょう。
業務の中であった不安なことと言っても、本当に大したことではありません。昔、一度失敗してしまったことに、もう一回チャレンジしただけのことです。
前に失敗したときの、先輩の何ともいえなさそうな、落胆したような表情や口調に怖気づいてしまっているだけです。
そんな自分も受け入れてみる
ただ、それで自分を追いつめすぎてしまうのも考えものです。感情に振り回されるのも当たり前のことで、別に普通のことだと思います。
振り回され過ぎると問題ですが、「じゃあその境界線はどこにあるんだ」と思い始めると、自分をどんどん追い詰めていく感覚があるので、止めます。
結局「自分にもそう言う側面があるんだ」とか「そう言う風に考えてしまう時もあるんだ」と思うしかないんだと思います。
何もかもが上手くいっている時には、たとえ自分に欠点があったとしても、それに気づきませんし、思い悩むこともありません。
なので、今日、業務がちょっとうまくいかなかったことで少し立ち止まれたのは、帰って良い事なのかもしれないぐらいに思っています。
ちょっと立ち止まり過ぎるくらいの方が、私の性に合っています。
こういう悩みや実感を蓄積していくことが、小説における人間の心理描写に厚みを増せると信じています。
人生には嫌になることもたくさんあります。自分を好きじゃないがデフォルトな人生なので、自然と自分を肯定できる人とはそこの段階からハンディキャップがついてしまっています。
それでも、自分は自分が可愛いので、自分の身を守ったり、自分の欲に忠実に行動したりしてしまいます。それでも自分が嫌いだと思っているのだから、自分自身でも矛盾を感じてしまいます。
本当に自分が嫌いならば、何もかもを捨てて自分の全てを他人に与えられるはずです。それをしないのは、自分をここまで育ててくれた親へ顔向けできないと思っているからかもしれません。しかし、自分の親を肯定することは、回りまわって自分自身を肯定することにもなってくると思われます。(明確にそのロジックは積められませんし、そうならないという人もたくさんいるかとは思いますが)
なので、自分は自分で思っているほど自分を嫌いではなく、自分のことを他人よりも大事に思っているのだと思います。その本能的な欲望を肯定してやるだけでも、感情に振り回されることはグッと減ってくる気がします。
なにしろ、最後は感情よりも本能の方が勝ると思いますので。
終わりに
今日の業務に心残りがあったから、将来に不安を抱いたけど、それは目の前の感情に振り回されているだけで、落ち着いて考えれば、感情に振り回され過ぎるのも良くないから、自分を肯定して感情に振り回され過ぎない様にしようと思った。
一文でまとめると(ちょっと長くなってしまいましたが)こんな感じになると思います。
何をどうすれば何が良くなるのかなんてよくわからないままずっとここまで来てしまいましたが、一つ一つ何かを改善しながら進んでいければと思っております。
本日もありがとうございました。