本日、下記のようなつぶやきをしました。
人にアドバイスされると一瞬ムッとしたり、ドキッとしてしまう癖がある
— ドムスト@何でもクリエイター (@domustoX) December 26, 2020
直そうなんて言うと心が折れるのでまずはそういう癖があるよなと思うだけにした
きっと
アドバイスされるようなことをした=してはいけないほど低レベルなことをした
という風に思い込んでるんだろうな
そう言うこともあるよな
このツイートで述べている通り、私はアドバイスや指摘を受けるのが苦手です。アドバイスをその内容をきちんと自分のものにするのが苦手です。
良し悪しを問うならどちらなのかは明白ではあります。ただ、この際、善悪は考えず、ただ、「自分にはこういう特徴があるなぁ」ということをじっくりゆっくり観察し、それをまとめるだけにします。
これは、自己受容という考え方に基づいて、行われております。
自己受容については、別の記事で解説する予定です。
指摘を受けると凹む
まず、どういう状況であっても、指摘やアドバイスを受けると、ドキッとしたりムッとしてしまったりします。9割がたドキッとして緊張したり不安になったりすることが多いのですが、1割くらいムッとすることもあります。
不安になってしまうと、その内容を自分のものにするどころの気分ではなく、何も手に着かず、何も頭に入らなくなってきてしまいます。そして、立ち直るのがそんなに早くはない私は、しばらくそのまま呆然としてしまいます。
怒られて、怒鳴られて凹むというのならまだしも、少し指摘を受けるだけ、ひいてはアドバイスを受けるだけでも結構凹んでしまうのです。
指摘もアドバイスも善意から発されているのは分かっています。それでも、ドキッとして、不安になってしまうことが多いのです。
ここ最近は、ずっと、上司に指摘やアドバイスを受けることが多かったです。そのため、あくまで上司の指摘やアドバイスに対して不快感を抱いているのかと思っていたのですが、そうではないようです。
それは、今日、別の方からアドバイスをいただいたときにも、ドキッとしたことから、分かったことでした。
アドバイスっぽいことがチャットで送られてきた瞬間、ドキッとしてしまうのです。アドバイスの口調や内容の正誤は関係ありません。ただ、アドバイスと見た瞬間にドキッとして、緊張したり不安になってしまったりしてしまうのです。
それを口頭で面得られた場合でも同様で、ドキッとしただけならまだしも、気落ちして、虚脱感に苛まれるということもあります。
他人が自分のことを思ってアドバイスしてくれているのに、と思うほど帰って辛くなります。おそらく、それは自責の念によって自分を追いつめてしまっているからでしょう。
なぜ指摘やアドバイスを恐れるか
指摘やアドバイスは嫌いなのですが、指示は余り嫌ではありません。
むしろ、それさえやっていればいい、という安心感から、(特に仕事においては)指示を受けると安心できます。
ここ最近、仕事では、長期的なビジョンが描けず、「とりあえずこれをやっていればいい」という安心を欲するようになってきてしまっています。そのため、指示されたことをやっていればとりあえず安心できるので、気が楽という側面もあります。
これはこれでよくない状態ではあるのですが、今回の本筋からはは外れるので、別の記事にて振り返ってみようと思います。
さて、指示はいいけど、指摘やアドバイスは嫌、というのは、私が、どれだけ内面に立ち入られているかと感じているかに関わってきていると思います。
つまり、指示は私の行動に関することなので、あまり精神的に動揺しない。一方で、アドバイスというのは、私の考え方に関わってくること、より私の深いところに関することなので、動揺するということなのだと思います。
人間だれしも、入ってきてほしくないスペースというものはあります。それは、当然空間的にもですが、精神的な領域でもあります。
そこは触れられたくないものです。プライベート、プライバシー、プライド、色々な名前がついていますが、信じたいのにそれを否定してくる証拠を突きつけられると人間はどうしたらいいのかわからなくなって、悲しんだり、怒ったりしてしまうのです。
私の場合は、アドバイスを受けるということ全般がプライドに関わる問題になってしまっているのでしょう。
別に私は完璧な人間だとは思っていません。出来ないこともたくさんあると分かっています。
それでも内心では「これくらいはできているだろう」という思いがあります。
内心では、これくらいできて当たり前、と思っていることが、自分自身で自覚しているよりも多いのです。
だから、アドバイスという形で、それができてないことを認知させられることで、ひどく落ち込んだりしてしまうのです。
また、私は自分が思っているよりもプライドが高いようです。
なので、他人からアドバイスをされるということは、即ち、自らの弱さを露呈してしまったという風に感じてしまうところがあります。
他人に弱みを見せることに対する不安が、内心どこかにあるのでしょう。最近はできるだけ他人に弱みを見せるようにしていますし、カウンセラーにも正直に話すようにしています。
ですが、自分でも気づいていないような弱点を、他人に先に知られるというのは非常に大きな不安を感じます。
自己理解が甘く、私自身の弱点の大半を把握していないという弱点を突かれるからこそ、指摘やアドバイスが恐ろしいのでしょう。
なぜそこまでプライドが高くなったのかはよくわかりませんが、今までにあまり他人に頼るということができず、上手に他人を頼ることができないのかもしれません。これもまた、私の弱点なのかもしれません。
アドバイスにどう対処していくか
さて、一通りアドバイスを受けることによる
自分の出来ないことを隅から隅まで正確に把握することはできないと思います。ただ、「自分は自分が思っている以上にできないことがある」と身構えておくことはできると思っています。
また、指摘やアドバイスをされるようなこと=失敗、というのもちょっと極端な考えですし、失敗=いけないこと、というのもこれまたちょっと極端です。
たしかに、会社で失敗するというのは良くないかもしれませんが、私の場合、知人からのアドバイスにまでビビッてしまうこともあります。
これだと、作家として、色々な人から様々なアドバイスや感想をいただいたとき、心が持ちません。これは困ったものです。
生きていれば、失敗することもあるでしょうし、アドバイスをいただくことはもっとあるでしょう。そう考えると、今の私はビビってしまいます。常に身構えて、どこかから飛んでくるアドバイスに備えているような気分になります。
なので、アドバイスを受けることが当たり前だ、という風に考えるのはあまり良くない考えでしょう。
そもそも、そんな風に構えなければアドバイスを受け取れないというのがちょっとおかし話で、どちらかというと、アドバイスは歓迎すべき友と思えるようになる方が良いです。
終わりに
結局、さんざん考えたあげくにこれ説いた結論は出ませんでした。
ただ、ここで結論が出なかったからと言って自分を責めるのではなく、自分は、ともとすべきアドバイスに恐怖心を抱いている、という事実をこれだけ直視しただけでも、十分立派なもんだと思います。
なんにしても、まずは直視し、「確かにそう言う側面あるわ」と思うところが第一歩です。
急いで焦って駆け上がろうとすると、転んで大けがをします。
なので、今回の自省はここまでにしたいと思います。
以上、ありがとうございました