本日もまた、仕事上での感じたことの愚痴っぽいネタになってしまいます。
特に大きな出来事があったわけではないのですが、何もなかったがゆえに、またも苦悩させられました。
こんなことで悩める程度には暇があるというのはある意味良い事ではあるのですが、やはり将来のことが重くのしかかってくるというのはあまりいい気分ではありませんでした。
仕事上での落ち込み
何で悩んだかと言うと、自分の実力不足をまたも痛感したからです。
さりげない日常会話や、打ち合わせでも、自分の能力が足りていないことを痛感してしまうことが度重なったのです。
打ち合わせに出たとして、一人が説明したことに対して、周囲は色々な意見を出します。自分は何も意見を出せず、「どうしてそんなことを思いつくのだろうか?」と思ってしまうほどです。
単純に経験不足だから、そう言う考えに至らないと思うことはできます。ただ、先輩や上司が自分と同じ年だった時、自分程度の考えしかできなかったとは思えません。
単純に学歴で比べられる物ではありませんし、周りの方々の学歴なんてよく知りませんが、高校の頃の学歴の時点で相当に差をつけられてしまっているのではないかとも思っています。
そこまで自分を追いつめる必要はないのかもしれませんが、ついついそう考えてしまうほど、ドツボにハマっています。
居なくなってもいいんじゃないかと言う破滅的思考
「このまま居なくなっても何の影響もないよなぁ」とも思い始めました。これは結構危ない状態でしょう。
自分が自分の身の回りの世界に影響を与えられていないと思うことは、自己肯定感に著しい悪影響を及ぼします。逆に、自己肯定感が低いからそう思うのかもしれません。ただ、どっちが先にしても、お互いに影響を及ぼし合っているため、そこの議論は置いておきます。
こうした考えを持つに至った背景には、仕事をあまり任せてもらえず宙ぶらりんになってしまう時間が多いことも影響しているのだと思います。
先日から、仕事の早さよりも質を追求していいよ、と言われ、むしろ仕事の量を今まで以上に調節してもらっている感があります。
とはいえ、無い知恵を絞って1つのことに取り組んでもあまり良い考えは浮かびません。そのせいで、同じところをグルグルと回って、思考が堂々巡りに陥ってしまって、仕事の質を思うように高められずにいます。
「なぜ思うように高められないのか?」「どうやったら高められるようになるのか?」と言った思考を駆使して、自分で仕事の質を高めていくように努力することを仕事中に考えることを怠っていました。むしろ、そんな風に考えることすらできないでいました。気づいてしまえば簡単なことではあるのですが、そんなことにも気づかない状態でした。もっぱら脳を自分を責める方に使っていたのかもしれません。あるいは、集中できずに、思考放棄していたような状態に陥っていたのかもしれません。
努力の薄さ
こうも自分を追いつめてしまうのは、自分が「積み上げてこなかった」人間だからだと思います。
努力することから目を背けて、嫌なことがあるとすぐに投げ出してしまう、止めてしまう。そういう生き方をずっとしてきたために、能力が劣っていると感じてしまいます。さらに、努力をすればその能力の差を埋められるという希望も薄いので、将来にわたっても不安になります。
思い返せば、一浪して大学受験に再トライしたにもかかわらず、大した大学に合格できなかった時、親から「もう一浪してはどうか」と言われたことがあります。それは、当時から「努力すること」「耐えること」その結果として「何かを達成すること」への意識が薄かった私を戒め、大学入試という試練を通じて努力して成し遂げる経験を手に入れてほしいという親心から来るものでした。
その当時も、そう言った背景は理解してはいたのですが、私は安易な道に逃げ、合格していた大学にそのまま拾ってもらうことになりました。
あの時、もう一浪させてもらっていれば、とは思いますが、今の私ですら、そこまで自分を追い込むことはしり込みしてしまいます。
なので、ここまで追いつめられても、結局、自分は自分が可愛いのだと思います。
終わりに
今回の悩みは手痛い物で、ブログを書くことで気持ちが多少落ち着くこともあるのですが、今回はからっきしでした。
思えば、今の部署に居る事への不安は何度も感じてきたことがありました。ただ、それでも、目の前のタスクをコツコツこなすことで精神を維持してきました。今、その目の前のタスクをコツコツとこなすことができなくなり、最大の精神的支柱を失ってしまいました。
ひとまず、どうするかは明日以降に落ち着いて考えるとして、今日はもう早い所寝てしまおうと思います。