先日、ふとした気付きを得て、そのことをツイッターでつぶやきました。
「この人と一緒に居たい」と思えるような人と「自分が一緒に居られると実感できる」ことをするのが人生にとって一番心地いいのかもしれないと思った
— ドムスト@マルチクリエイター (@domustoX) 2021年4月3日
その人は、本やゲーム、アニメの中の人かも知れないし、アイドルかも知れない
本人が「一緒に居る」と思えるならどんなことでも正解なんだと思った
自分では結構良い事言ったつもりでしたが、大して反応してもらえずショックでした。(いつものことではあるんですけどね)
ただ、この一緒に居たいと思える人と一緒に居ると実感できるようになると、人生が途端にばら色になるのではないかと思い、少し考えながら、記事にしてみました。
一緒に居たい人とはどんなひとか
一緒に居たい人というのは、誰でもありです。人によって誰かと言うのは全く異なるでしょう。
実在の人間かも知れませんし、ゲームや小説、漫画の登場人物かも知れません。
実在の人間と言っても、自分の身近に存在する場合もあれば、遠い存在かも知れません。
身近な存在と言えば、恋人、友人、職場の仲間、親や子、親戚、近所の人かも知れません。
遠い存在と言えば、アイドルやスポーツ選手かも知れません。
どういった人かによって、向けられる感情は違うでしょう。
恋心かもしれませんし、仲間意識、応援したい気持ち、憧れ、庇護欲求かも知れません。
相手と自分がどういう関係かは関係なく、ただ、その人と一緒に居たい
一緒に居ると実感すること
一緒に居ると実感できると事と言うのも人それぞれだと思います。
実際に一緒に居て、同じ空間に存在していたとしても、心が通い合っていないような気がしているときは一緒に居ると実感できないかもしれません。
言葉を交わしたり、触れ合うことで、一緒に居るという実感を得ることもあるかもしれません。
スポーツ選手やアイドルと言った、遠い存在であれば、テレビで見たり、ファンサービスイベントに参加することで、距離を縮めることで「一緒に居る」と実感できることがあるかもしれません。
アニメや漫画と言った創作のキャラクターの場合、一緒に居ると実感することはおかしなことのように感じられます。
ですが、ゲームの場合は、アニメやマンガより若干分かりやすいかも知れません。スリルのある「戦闘」と言う行為を一緒に続けてきたゲーム内の仲間たちに、次第に感情移入していくことで、「一緒に居る」と実感することがあるでしょう。
なので、「感情移入」できるのであれば、アニメや小説、漫画のキャラクターであっても、一緒に居ると実感することができると思います。
ただ読んでいるだけでも、一緒に居ると実感できる人が、一緒に居るという実感をさらに強く持ちたいと思って始めるのが、二次創作でしょう。二次創作と言う時間も技術も必要なものを行うことで、一緒に何かをしているような気分になり、より「一緒に居る」という実感を強く得るようになるのかもしれません。
自分にとっての「一緒に居たい人」はどんな人物か
私自身にとって一緒に居たいと思える人と言うのはどういう人物かと言うのを考えると、いくつかのキーワードが思いつきます。
- 応援
- 仲間
- 安心
- 技術
私は自信が無く、将来にも不安を持ちやすいタイプです。その一方で、大きな夢を持ち、やりたいこと、実現したいことがたくさんあります。
そう言った時、私の夢に共感し、私ならできると応援してくれる存在、そして、私が不安な時、安心させてくれる人を、私は求めているのかもしれないと思いました。
また、技術については、私が思い描いているもの、たどり着きたいところにたどり着く為の具体的な方法を、私自身が納得いく方法で、教え示してくれる存在としての技術の持ち主と、私は出会いたいと考えています。
そう言った技術を持っている存在が、身の回りに存在してくれないからこそ、私は常に「何をしたら正解なのかわからない」と思い、どうしたらいいのかわからず、立ち止まってしまうのかもしれません。
これだけ書くとなんだか「恋人にするならこんな人」と言うような感じですが、そう言う意図はありません。
実際に、ゲームをやっていると、思わず感情移入してしまい、ゲームキャラに仲間意識を持ってしまうことも良くあります。
私は自分の夢を応援してくれるような存在が身の回りにあまりいてくれないことから、つい、悲観的に物事を見てしまうことが多々あります。
サイトノベルと言う(自分で言うのもなんですが)結構偉大なビジョンを持ちつつ、それを実行できていないことにいら立ちを感じています。そして、そのビジョンを共有して、応援したり、一緒に手助けしてくれる仲間がいてくれたら、と何度も思います。
いつの時代も、仲間を探すというのはすごく難しい事だと思います。たとえ自分が誠意を持って接したとしても、相手に自分を信用してもらえるかどうかわかりません。
逆に、相手が信用に値する人物かどうかも分からないことが多くあります。
そう言う中で、ゲームや漫画の様に、他人を信じて、傷ついたとしても、致命的な傷にならないくらいのタフさが欲しいとおもったのでした。
あるいは、他人を見る目を養い、その人についていけば間違いないということを選べる神の様な人を見る目を持ちたいとも思いました。
ただ、実際のところ、そんなものは私では手に入らないでしょう。様々な人が、人を選ぶということに苦心し、悩んでいます。だから、面接と言うモノが存在し、人事部と言うモノが存在するのでしょう。
終わりに
なんとなく思いついたことを整理しながら書こうと思って書き始めたのですが、結局とりとめのない事になってしまって若干後悔しています。ただ、このこと自体はとてつもなく大事なことだと感じています。
今、私は様々なツールを使っています。ブログ、ツイッター、フェイスブックなどなど。こういったツールを使って、自分が求めるような人と接点を持てるようになれれば、最高だな、と思うようになりました。
そのためにも、自分はこんな人間で、こういったことをしようとしているのだということを発信し続け、誰かに見つけてもらおうとも、思いました。
こんなとりとめもないお話にお付き合いくださりありがとうございます。