ここ
小説を書く気がちょっとずつ戻って来た
ここ最近、創作に対する熱気がめっきり失せていました。書いたところで何の意味もないし、仮に自分が傑作を作ったところで、すぐにそれにとってかわる作品が現れるのならわざわざ自分が頑張る必要なんかないというような無気力に陥っていました。
さらに、無気力に拍車をかけていたのは、Web漫画をコメント付きで読んでいることも大きく影響しているようにも感じました。応援のコメントもある一方で、読み切り作品などは率直な不評のコメントもあったりして、そう言った言葉が自分の捜索への熱意にブレーキをかけていたのだと思います。
また、Web漫画と言う、恒常的に情報を与え続けるものによって、自分が受動的になっているようにも感じました。
人間と言うのは常にある程度の変化を好むというのが持論です。全くもって変化がないと飽きます。だから、動き回ったりして自らに変化をもたらそうとします。
ところが、SNSやYoutubeなどのネットサービスは恒常的に何らかの変化をもたらし続けてくれます。新しい投稿によって、常に一瞬前とは異なるものを届けてくれます。
その結果、人は寝っ転がって口を開けているだけで今まで違う新鮮な情報を得られます。
その結果、人は能動性を失い、インターネットから提供される情報の奴隷となります。私がそうなっていました。Googleから提供される「お勧め記事」を眺め、それから得られる情報に身を任せていました。
それに嫌気がさした理由の一つにコロナ下でのオリンピックがあります。
オリンピックではアスリートたちが己の限界に挑戦し、世界に挑み記録を打ち立てる戦いが繰り広げられています。
一方で、コロナの感染状況は酷いもので、日々最大感染者数を更新しています。
そんな喜んでいいのか、悲しんでいいのかよくわからないダブルスタンダードの情報が流れ込んでくる中で、私が得た結論は「どっちの情報も見ない」というものでした。
おかげで、口を開けて情報を待つだけの暮らしからは解放されました。これによって、受動的だった生活も少しは改善されてきました。
そうなると、今まで大量に読んでいたWeb漫画も読む量が減り、ついでにコメントまで見てやろうという気が失せてきました。情報を与えられることに嫌気がさしてくる状態になったわけです。
ついでに言うと、アニメの視聴についても次第に止めようかなと言う気になってきました。現在、いくつかのアニメを「趣味には合わないけどあえて新しい世界を自分に取り入れる為に」視聴し続けていました。
常に新しい世界を切り開いていくという意味では、非常に有益なことだったと思います。インプットなくしてアウトプットなしとも言いますし、そう言った意味での勝ちもあったと思います。
ただ、やっぱり、好きな物、自分が猛烈に入れ込める物こそがインプットとして価値があるのであって、とにかくやたらめったらに、情報の質も考えずに情報を入れていっても何の意味もないのかもしれないと感じるようになりました。
質の良いインプット
結局は「自分の趣味」に近い分野のインプットを行うことが、最も手っ取り早く創作意欲を高めることになるのかなと思いました。
今まで、いくつもの作品を見てきて、その度に、その物語の気に入った部分を取り入れながら、新しい作品の構想を練ってきました。
なので、結局は、そう言った自分にとってツボになるような作品に接することが大事なのかもしれないとも思いました。
広い世界を知るために、様々な映像作品を見ようと思い、最新のアニメを追いかけるようにしましたが、それではあまり身にならないのかもしれません。
また、最新のアニメも先ほど述べたような「寝っ転がって口を開けていれば更新される情報」ともいえます。物語的な区切りよりも、演出や時間的制約による区切りによって左右されてしまうアニメを1話1話追っていくのは、情報を与えられる側になってしまうことになり、よくなかったのかもしれません。
自己決定の機会が多いほど、人間は人生に対する満足度が上がるなんて話もあった気がします。なので、既に全話公開されているアニメを自分のペースで少し温存しながら視聴するくらいがちょうどいいのかもしれません。(それだとブログの検索流入が全く望めなくなりますが)
とにかく継続
とにかく書くことを続けていこうと思っています。その過程で、何かが変わってくるということもあるかもしれませんし、
どんなやり方でも継続している人にはモチベーションと結果がついてくるという話を、とある人生の先達から聞きました。
なので、もう一度改めて執筆に取り組んでみようと思いました。
終わりに
今回もかなり短い記事になってしまいました。
小説とブログの執筆を両立するというのは現在の私にはまだまだ難題です。なんとかうまく合わせていければと思っています。