とてつもなく無気力になってしまいました。昨日、一昨日と、自分でもびっくりするほど、何もしていませんでした。
これ以上自分を嫌いになりたくないって言うセリフあるけど、こういう時に言うんだろうなぁ
— ドムスト@マルチクリエイター (@domustoX) 2021年2月9日
とてつもなくやる気が出ない
滅茶苦茶参る
ということをつぶやきだしたり、完全に病気の人みたいになってます。
普段と比べると、非常に差がくっきりしています。
仕事は普段よりも悩んでいるよりもボーっとしたり、ぐったりしている時間が増えました。
終業後は、ブログもWebデザインの勉強も手につかないといった感じでした。気晴らしに、小説を書こうとでも思ったのですが、これまたなんだかうまくいきませんでした。
毎日のタスクとして課していたWebデザインの勉強を放棄してまで、気晴らしにのめりこもうと思ったところ、結局、それがうまくいかなかったというのはややショックでした。
こうなっているとき、私が考えるのは「うまくいかなかったことが重なった」と考えます。こうやって気分が落ち込むときは、たいてい他人から、指摘を受けたり怒られたりして、自信を喪失したときです。
ただ、今回は、他人がらみのことはありませんでした。ですが、自信を失うような出来事、「今までやってきたことは無駄だったのかもしれない」は確かにあって、それを認めてあげないことには前に進めないのかな、と思いました。
なので、ここでもひとまず色々さっぱりと考えて、次へ移れるように気分をリセットしていきたいと思います。
ブログが思ったほど伸びなかった
先日、100記事を超えたという記事を書いた通り、弊ブログは100記事を超える記事を有しております。しかし、だからと言ってアクセス数が増えたわけでも、収益が増加したわけでもありません。特に変化なしです。
100記事を超えたからと言って何かが変わるわけではないとわかってはいました。特に、書いた記事のほとんどが自分の悩み、いうなれば愚痴でした。
このブログできちんと稼いでいくならば、こういった記事を削除することも辞さない覚悟が必要ということはすでに、先輩ブロガーからお聞きしておりました。
なのですが、やはり現実として突き付けられると、思っていた以上に、「自分の努力は虚しかった」と思うようになってしまいました。
アクセスは記事の更新に依存しています。さらに、訪問してくださるのは、心優しい読者かツイッターのフォロワーの方がのぞきに来てくれる程度です。検索流入は0という状態です。これはさすがに冷や汗をかきました。
なにしろ、更新しなければ誰も見ない上、見てくれているのはいつも同じ人、というのでは、ブログに集客能力が一切ないということです。
このブログは、このブログ単体でも収益をあげたいです。ですが、それ以上に、私の行っている創作活動について、知っていただくきっかけにもしたいです。
その場合、やはり大事になってくるのは検索流入です。新規のブログの閲覧者が現れてくれないことには、創作活動について知っていただくもくそもありません。
これについては、100記事を超えたという記事の中でも少し触れているのですが、やはり多少はSEOのことも考えた方がいいのかもしれないと思っています。
ジャンル選定からSEOを気にして、専門性の高い収益特価ブログでガンガンやってやる、というのは私はやっていませんん。
出来るだけ好きなことを書いて、その時に、ちょっと工夫することによって、検索エンジンに引っ掛かりやすくなったり、もう少し他人の役に立つ情報を入れるという視点を含めて見たり、そういうことをしたいのです。
「意識低いSEO 書きたいことは書いていく」みたいなことをやりたいのです。
今のところ考えていることは、レビュー記事を書いていくということなどであり、まだまだ、何となくしか戦略は立っていません(というかほぼ戦略はない)。
その戦略や目標が明確になってくれば、またブログをコツコツやっていこうという気になるかもしれません。
その時には他人の情報をしっかりとインプットすることが、大事だと思っています。インプットのレベルから再開して、情報を整理し、やることを明確化しながら、次の目標を考えていこうと思います。
状況の変化が起こせていないから無気力になった
会社の仕事は相変わらずうまくいかず、緊張状態を薬で無理やり和らげているような状態が続いています。それでもなお、緊張を抑えきれないときがあり、結局、薬の力で100%大丈夫になるというのは無理なのだろうとわかってきました。
会社の方では、気を使ってくれ、こんな役立たずの社員でも見守ってくださり、この状況が改善するのを待ってくれている人がいることは、いくら感謝してもし足りないと思っています。
その時に、最優先で私が考えるべきことは「私自身の安全と健康」とまで言ってくださっています。その、会社からは、改善のための判断材料として、通院している病院から診断書を受け取ることを指示されました。
しかし、メンタルクリニックで何度言っても、診断書はもらえず、そのたびに落ち込みました。自分のコミュニケーション能力が悪いのか、これでまた対策が伸びれば他人にますます迷惑をかけることになる、早くこの状況を何とかしたい、会社からの要望に早く応えたい、そういった思いで、胸がいっぱいになりました。かえってクリニックに行った後の方が、つらさを感じる様にまでなってきました。
本来であればそこまで面倒を見る義務のないはずの上司の方が親身になってくれ、メンタルクリニックの先生の方が、不親切にすら思えてしまいます。そんな板挟みの状態で、何も改善できないまま、時間だけが空費されていってしまい、そのことが、ますます、自分の気持ちを追い詰めているように感じます。
どうやったって、この状況を自分で何とかすることができないんだ、と思うと、やはり、気持ちは落ち込んできます。もともと、7月からずっと半ば休職・業務には参加していない状態の中で、悶々と暮らしてきました。
そんな中で、改善へ向けたより大きな一歩を踏み出せるかもしれないチャンスを貰えたのに、自分はそれを活用することができていないことに対する罪悪感はとても大きいです。
いたずらに時間ばかり引き延ばされて、時間を稼いで、問題を先送りしているように見えていることは自分自身でもよくわかっています。でも、自分でどうにもできない状況に対していら立ちを感じているのは、自分自身も同じで、だからこそ、無気力になってしまったのかもしれないと思いました。
自分は何とかしたいと思っているのに、他人に振り回されて、自分ではどうしようもできないことばかりで、どうしようもない。
そんな風に思ってしまうようになると、現実を変えようという気持ちも萎えてきて、無気力になってしまうのも仕方ないよな、と思います。
確かに、自分を甘やかしている側面は否めません。でも、もともとどうしようもなかったのに、さらにどうしようもないことが重なって、自分でも心底嫌になってしまったのが、正直なところだと思います。
普通は診断書を出してくれと言えば出してくれると言われるそうです。でも、なぜか出ない。それは、そんなことすら自分はできないという自責の念に跳ね返ってきており、また、周りに迷惑をかけているというさらに強くて大きな自責の念になっています。
そうやって、負の連鎖に陥ってしまっているというのが実情だと思います。
Webデザインの勉強で転んでしまった
Webデザインはもともと独学でもそれなりに学んでいたので、勉強自体も自信をもって取り組めていました。
その分、細かいところまで真剣に見て、完璧なものを作ることにこだわっていました。
しかし、実際には目測で見たものを再現することの方が大事であり、サイトのHTMLを細かいところまで読み込む必要はない、と講師の方に言われてしまいました。
それ自体は、そこまで大した意味はなく、むしろ、やることが簡単になった、と喜んでもいいくらいだったと思います。ただ、私はこの細かいところの調整にこだわりすぎていて、そこを完璧にできないなら、勉強する意味がない、くらいにおもってしまっていました。
でも、いちいちHTMLを細かく読み込んでサイトを作るよりも、目測でパパっと作れた方が効率がいいに決まっています。効率よくサイトを作れれば、それだけ効率よくお金を稼ぐことができます。
なので、本来の目的を見失っていたのは私の方でした。それでも、細かいところにこだわっていたのは、自分の目測で何かを作ることに対して自信がなく、どうしても他人の完璧なコピーを作ることにこだわってしまったのだと思います。
よく考えれば、自分はすでにサイトノベルという世界に公開されているオリジナルのWebサイトを作っています。
しかも、webデザインはオリジナルのサイトを作ることです。他人のコピーをすることじゃありません。そのためには、もっと自分の感覚を信じていいですし、むしろ、信じてやっていかなくてはいけません。
なので、いつの間にやら細かいところに気を配りすぎた結果、目標をはき違えたこと、それに気づいて目標を修正するまでの間に無気力というタイムラグがあったことを反省する次第です。
終わりに
無気力になってしまった理由をいくつかピックアップして考えてみました。これが全てではなくとも、これらは原因としては間違っていないと考えられます。
こういったことを一つ一つ丁寧にやっていくことが、自己理解・自己受容・自省のプロセスであると感じました。また、このプロセスをしっかりと定着させていくことで、何かがあって落ち込んだ時の復帰力(レジリエンス)を身に着けていくことができるのではないか、とも感じました。
今回は、自分の中では割と整理をきちんとつけることができ、割とすっきりと終わらせることができました。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。