不器用人間の思考勉強お楽しみ

全然器用に生きられない私の真面目な事、勉強の事、お楽しみの事を書くために開設したブログです。

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価値観の違う旧友とお話して思ったこと

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昨日、久しぶりに旧友とオンラインで話をしました。

やはり価値観の違う人と話すというのは、色々と驚きがあります。特に、旧友という対等な関係で、価値観が違うというのは結構レアな存在だと思います。

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長い付き合いのある友人というのは大抵、価値観が似てきますし、むしろ、価値観が似ているからこそ、長い付き合いの友人となることがおおいでしょう。なので、そこそこ長い付き合いがあるけど、価値観が結構違うと感じる人と一緒に居られることは珍しい事だと思います。

 

友人ではなく、完全にビジネスライクな関係であれば、相手の価値観に対して割り切った考えを持つはずです。

ただ、その旧友との関係は、若干ビジネスライクな関係であると自分で認識しているからこそ、価値観がずれていても、ある程度付き合いを持てるのだと感じています。

 

そんな中で、気づかされたことを3つ程度、上げていきたいと思います。

 

 

仲間なんて欲しくはないと言うが

 

私は仲間が欲しい、というのに対して、その旧友は仲間は別に要らないかな、ということを言っていました。

 

 

ただ、その旧友にも彼氏がいて、その彼氏に文章の校正を頼んでいるということでした。さらに、彼女は仕事を請け負ったり、誰かから受注したり、人とのつながりを持って仕事をしています。

 

私が言う「仲間」を「損得抜きでずっと何かを一緒にやってくれる人」と捉えるなら、彼女にそこまで多くの仲間は彼氏位なのかもしれません。

ですが、人と関わりを持って仕事をしていくという観点では、私から見ると、それはもう仲間が居る状態です。

 

彼女はそこに対して無自覚でした。フリーランスであり、他人と関わりを持って仕事をしているという立場にもかかわらず、自分は他人とのかかわりはあまり必要ではない、というようなのは、フリーランスとしては、いかがなものなのか、と内心少し疑問を持ちました。

 

これは、何もかも一人でやらざるを得ない、一人でやるしかない自分の嫉妬心から来る感情かも知れません。

嫉妬が無いとは言えません。正直、サイトノベルは、手が回らなかったばかりに、更新を止めるに至ってしまいました。だからといって、具体的にどうすれば仲間が集まるか、私は分からないまま、ここにきてしまいました。

 

誰一人として協力してくれないという環境の中で、一人で何もかもをやらざるを得なかった自分と、周りに人がいて、曲がりなりにも何らかの形で誰かが協力してくれて、仕事を貰えている彼女。その差が、自分にとっては、非常に大きくて辛いものに感じられたからこそ、そういう感情を抱いたのかもしれません。

 

人を雇う金も具体的なノウハウもありませんから、どうしたらいいのかは、真剣に考えなければいけない事ですが、一人であることに対するくやしさ・劣等感は確かに自分の中にあるのだと思いました。

 

サイトノベルも、それなりの品質で作っていますし、人に見てもらえば、皆、口をそろえて褒めてくださいます。ですが、そこから、広告してくださったり、広めてくださったりということをしてくれないということは、自分の作って居る者がまだまだ未熟だからだろうと思いました。

 

自分のスケールは小さい

 

彼女はすでにYoutubeチャンネルの登録者数が1,000人を越えたとのことでした。収益化のためには再生時間に関する制約が突破できていならしいのですが、それでもすごい事です。

 

今の私はTwitterでフォロワーが500人程度。それだって、フォロー返しをしていただいたようなもので、私自身の実力・価値を認めてくださっているわけではないと思っています。

ブログに関しても同様で、あくまでお返し読者、お返しスターを着けていただいている状態です。しかも、それだって数は50人程度。まるでもってまだまだな状態です。

 

自分でコツコツやっていくことは楽しいですし、悪い気はしていません。ですが、そうして、現実的な数字を見ている間に、自分は自分で夢を小さくしてしまっていたのかもしれない、と思いました。

 

大きな夢(小説家になる、アーリーリタイアするなどなど)はぶれていないつもりです。ですが、もう少し小さな目標や夢という観点では、現実に大分引っ張られてしまっていたと思いました。

 

未来とは現実と自分で思い描く夢の綱引きで出来ていると思っています。自分で思い描く夢が強く具体的であれば、それが原動力になって、どんどん夢は実現に近づいていくと思っています。

いわゆる引き寄せの法則という奴ですね。

 

現実から遠い夢を抱けば抱くほど、現実から「無理だ」といわれることになります。それは、現実を見て、自分自身が無理だと認識してしまうというのもあります。

 

なので、Youtubeチャンネル登録者数1,000人というのを聞いたとき、自分の目標のスケールが、現実に強く引っ張られて小さくなってしまっていたのだと思いました。そして、強く大きな夢をしっかり持たなくてはいけないな、と感じました。

 

ひとまず、ブログで月30万円を年内に達成すること。これを一つの目標にしてみたいと思います。

それだけ稼ぐためには、必要とされる情報を提供していくこと。誰に見せても恥ずかしくないブログを運営していくことが必要なのかな、と思いました。

 

自分の価値はまだまだ低い

 

彼女には幾度となくオンライン会議をすっぽかされてきました。さらに、2つほどプロジェクトに協力しようとしたことがあります。1つ目は、私のタスクを全て終えた段階で、彼女の方でどうなっているかわからない。もう1つは会議をすっぽかされている間に、別の人に乗り換えられてしまいました。

 

そう言った時、私が感じることは「自分には価値が無い」ということです。もちろん、私は生きているだけで価値がありますし、色々な意味で頑張っています。そう言った意味で、欠点はあっても最低限の自己肯定はできるようになってきています。それだけでも私は少し前と比べて成長できていると思います。

 

ですが、彼女のビジネスという視点から見ると、私は無価値で、きちんとした価値を提供できていないのだと思います。だからこそ、軽んじられて、約束を破られ、オンライン会議をすっぽかされてきたのだと思います。

 

もし、私が超有能で、彼女の要求に即座に答えられるような人物であれば、こうはならなかったでしょう。あるいは、人間的な魅力にあふれていれば、こうはならなかったかもしれません。

 

ただ単純に、彼女の人格に難があったということは簡単です。ですが、そうではなく、私はむしろ自分を責める向きに考えています。

特に、今は成果が出ていない時です。ブログでも小説でも、とにかく成果が出ていない。そのことに対する焦りは自分の実力の無さを痛感させるものになっています。

 

むしろ、タイミングや状況が悪いと、私自身の存在に対する価値への疑いにも向いてきてしまいます。

 

サイトノベルやブログ、ツイッター、どれもそれなりに頑張っているはずですが、どうしてももう一歩、爆発する点を越えられない。超えられないでいるから、いつまでも、悶々とくすぶっていて、自分には価値が無いと思ってしまう。それの繰り返しです。

 

ただ、それでも、思うようになったことは、ただ、自分の中にある物を吐き出していくだけでは価値にならない、ということです。

 

言い方を変えれば、需要のあるものを提供しなければ、人は受け取ってくれないということです。

このブログは特に、100記事を越えたとはいえ、内容は他人より自分を優先した物になっています。そのため、アクセス数はパッとせず、収益もイマイチです。

サイトノベルは、新しいことをやっていこうという意気込みで始め、「需要なんて関係ない」「需要は作り出していくもの」というような気分で始めました。それでも、何らかの形で、入り込みやすい何かを用意してやらない事には、なかなか皆さん、入ってこれないのかな、と思いました。

 

 

そう言ったことを考えると、自己否定が止まらなくなってしまいます。

 

ですが、私は少なくとも彼女に誠意をもって接してきたつもりですし、色々なタイミングで寛容にしてきたつもりです。でも、本当は散々振り回されてきたのを我慢するのにも精いっぱいで、そんな我慢をするくらいならば、自分を責めていた方が楽だから、と自己否定をしてしまっているのだと思います。

 

なので、出来れば彼女には、今後、すっぽかしまくったことと、プロジェクトに巻き込んでおいて放置していたことについては何か、償ってほしいと、思ってしまう私でした。

 

終わりに

 

色々な価値観の人がいますが、その中でも彼女は、私の苦手とするタイプだと思っています。

ただ、ビジネスチャンスがあるかもしれないと思い、彼女とのつながりを保とうとしているのが、実態です。また、もっと言うと、償いや見返りがいつかあるのではないかという期待もあります。

 

そんな下心があるからこそ、旧友からぞんざいな扱いを受けているのだとしたら、それはそれで正当な評価なのかもしれません。

 

ただ、いずれにしても、自分にはない考えを入れることで、こうして自分の考えを見直す良い機会を得ているので、それはそれでいいことなのかもしれないと思っています。