ドムストの雑記帳

全然器用に生きられない私の真面目な事、勉強の事、お楽しみの事を書くために開設したブログです。

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【ぼくたちのリメイク 第2話 10年前に戻ってきて】感想

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あらすじ

志野のラーメンを勝手に食べたということで、貫之は志野の怒りを買う。どこかそのことを青春の一ページの事として楽しんでいる恭也だった。そこに奈々子が乱入して、貫之を咎める。しかし、奈々子は下着姿のまま飛び出してきており、それを見られた奈々子は恭也に一撃喰らわせて去ってしまうのだった。

 

そんな青春の日々をエンジョイしている恭也たちに下った課題は3分の映像作品の作成だった。テーマは時間。抽象的なテーマで、貫之も愚痴を漏らすも、どこか楽しそうだった。

 

そして、恭也はバイト先のコンビニで、奈々子と同じ仕事をする。偶然にも仕事は奈々子と同じだったのだ。そこで、恭也は奈々子になぜ美大に来たのかを尋ねる。

奈々子にとっては自分探しであり、自分の住んでいた町で人生が終わってしまうことの恐怖から、飛び出してきたのだと語った。恭也もそれに同意し、自分も似たような物だと語る。

そうしていると、恭也は密着した奈々子に手伝われ、少し役得感にひたっているのだった。

 

とりあえず、恭也はシェアハウスの仲間たちと課題の製作に取り組むことにしたものの、コンセプトが定まらない状態だった。それに対して、教官からは、最近会った嬉しかったことから着想を得てみるという提案を受けるも、奈々子のラッキースケベを思い出すばかりで、まるであてにならなかった。

 

恭也が帰宅すると、志野がリビングで居眠りしていた。彼女を起こすと、恭也は志野にも、なぜ美大に来たのかと尋ねる。

彼女は勉強も大してできず、おっとりしていたからと言うことを語り、その流れで、おっとりさゆえに電車を乗り過ごしていたことも度々あり、そのおかげで駅員と知り合いになったこともあったと語るのだった。

 

そんな話を聞いていて、恭也は自らも仕事に疲れたまま駅でボーっとしていたことを思い返す。

そうしているうちに、奈々子や志野、自分の思い出が駅で結びつき、今度の課題を駅をテーマにすることを思いつくのだった。

 

恭也はすぐに仲間に、変わらぬ駅と変わりゆく人の一生を対比させて時間の経過を表現する案を出す。その案に賛同する奈々子と志野。さらに貫之もすぐにプロットを書いてくれるのだった。

そのプロットを見てますます興奮する恭也だったが、貫之は恭也を呼び出す。

 

貫之は自分も同じ駅と人の一生を対比させる構想を持っていたと語る。そして、恭也はかつて同じ短編を読んだことがあり、それに影響を受けたのだと気づく。一瞬は恭也の真意を探るかのような態度を見せる貫之だったが、その件については不問としてくれた。むしろ、貫之としては自分と同じ目線の高さで創作に取り組んでくれる仲間を得られたことを嬉しく思っており、「良い物を作ろう」と約束するのだった。

 

それから各々の準備を進めていくのだったが、3分と言う時間的制約が厳しかった。恭也は台本を削るという選択を示すが、自身の台本に自信を持つ貫之はそれを不服とする。あくまで課題だからと言う恭也だったが、妥協なき完成品を目指す貫之にとっては、「良い物を作る」という約束を反故にされたように感じ、そのまま打ち合わせを立ち去ってしまうのだった。

 

貫之と別れた恭也、奈々子、志野の3人は校内で謎の罠にかかり、とあるサークルに強引に勧誘される。断ろうとする恭也とは異なり、志野も奈々子も乗り気だった。

 

駅で恭也が下見を行っていると、そこに河瀬川が現れる。彼女も同じ駅を題材に今回の課題の制作に取り組もうとしているのだった。そんな河瀬川は制作担当である恭也に矢継ぎ早に質問を仕掛け、マウントをとってくるのだった。

 

そんなこんなで落ち込みつつあった恭也は書類申請の際、教官からとある台本を渡される。教官はその台本の出来はすばらしいが、映画の出来は悪かったということを引き合いに、制作はすべてをまとめていいものを作る仕事だと語る。

その言葉に突き動かされた恭也は家まですっ飛んで帰り、貫之に詫び、改めていい物を作るための努力をすると宣言するのだった。その態度に貫之も突き動かされ、改めて約束を交わすのだった。

 

そんなこんなで撮影当日。良い天気の駅で撮影を開始しようとしたとき、志野がカメラが動画用ではなく、写真撮影用だということに気付く。手配した貫之が書類をよく見ると、記入欄にミスがあり、写真用の一眼レフを借りてしまっていた。

「仕方ない」と妥協しようとする皆の言葉に、恭也は同じく10年後の世界で妥協し続けた結果、なにもかもだめになってしまったことを思い出し、また同じ轍を踏むことだけはしたくないと思うのだった。

 

 

 

 

 

サービスシーンは要るのだろうか

 

このアニメは毎回サービスシーンが挟まってきます。ストーリーの流れだけで見れば、サービスシーンは不要です。さらに言えば、各人の個性を強めるような働きをしているかと言うと、それも微妙です。だから、ぶっちゃけサービスシーンなんて要らんと思ってしまいます。

 

ただ、それはあくまで「シナリオ全体に対する各シーンの働き」というものに注目しているからであって、別の視点でみると、キャラクターの魅力を高めたりする働きがあるのかもしれません。

 

ただ、今の私にはその意義を見出せませんでした。とりわけ、やけに突っかかってくる河瀬川の存在が、「誰もがフレンドリーなわけではない」ということを突きつけてきます。

これで、河瀬川もラッキースケベの餌食になれば「そう言う世界なのだ」という風に受け止めることもできるのですが、彼女の上から目線な態度が、そう言った認識を阻害してきます。

 

話の本筋で言えば、サービスシーンを抜いて河瀬川のつっけんどんな態度に重きをおくべきなのでしょうが、逆にサービスシーンを重視するのであれば、河瀬川のつっけんどんな態度が邪魔になってきます。

 

ただ、やっぱりなんだかんだ言っても、サービスシーンは不自然に挿入されているように感じますし、これはライトノベルでの経験をかなり積んでいないと対応しきれないのかなと思いました。

 

そもそも、私はラノベはあんまり読みませんでしたし、ラブコメと言うジャンルを忌避してきました。本作は別にラブコメではないものの、女性陣との関わり方はラブコメめいています。

 

なので、本作と私の対峙は、ありとあらゆるラノベやラブコメめいた描写を受け入れられるかと言うところにかかっていて、今の私にはまだそれを乗り越えられるに足る経験はないと言ったところです。

 

だからと言って30分に一回不自然なサービスシーンが入るような創作をしたいとはおもいませんが。

 

心象風景を覗ける主人公

志野と奈々子と恭也の三人が駅のベンチに並び、そこから着想を得て、駅で課題を撮ろうと思いついたシーンは良いシーンのように感じました。

 

ただ、落ち着いて考えると、そもそも奈々子は駅について一言も語っていません。町や琵琶湖については言及していますが、駅については一言も語っていません。なので、奈々子が駅のベンチに腰を下ろしていたのは、奈々子の頭の中だけの出来事で、恭也はそのことを知らないはずです。

 

にもかかわらず、恭也はそのことから着想を得て、3人をオーバーラップさせました。ということは、恭也は奈々子の思考でも読み取ったのでしょうか。いくら演出とはいえ、なんだかあり得ない演出になっていたような気がします。

 

さらに、結局、駅と人生というのは貫之のアイディアであり、恭也が読んだ短編集もプラチナ世代の一人としての貫之の作品だったのでしょう。なので、結果的に言えば、駅について考えたことは自分が読んだ作品を想起させるための前置きになってしまい、恭也のオリジナルのアイディアではなくなってしまいました。

 

タイムスリップしたアイディアの権利と言うのは難しい問題です。ただ、この作品ではその難しい問題に真正面から取り組むでもなく、友情でなんとなく流してしまいました。

一世を風靡した問題作『タイムパラドックスゴーストライター』なんてものもありましたが、難しい問題に真っ向から取り組む気が意と言う点では、明らかに『タイムパラドックスゴーストライター』の方が上のように感じました。

 

シーン転換がやたら多い

 

なんだかシーンの転換が多くて、それがひっかかってしまいました。しかも、シーンの転換が多いわりに、必要なシーンなのかもはっきりしないシーンも多くアリ、ちょっとひっかかりました。

 

特に、サークル勧誘のシーンは現状では価値が一切分かりませんでした。今後、何らかの形であのサークルの人々との関わりが重要になってくる機会もあるのかもしれませんが、現段階では不明です。(このシーンについては後々回収してくれると信じています

 

 

 

更に、気になったのは第1話の段階では、時間経過が結構丹念に描かれていました。タイムスリップする前の恭也の生活は月単位ではあるものの、何度か時期の描写がありました。大学生になってからも「2週間後」などの時間経過を示すカットが入ったりしました。

 

にもかかわらず、結局、2話からはそう言った時間経過が一切描写されなくなりました。シーン転換が多く、時間経過も早いため、それなりに時間経過をしっかり描写してくれたらうれしいなと思いました。

 

そもそも、そんな風に期待するのも、1話の段階で時間描写があったためで、2話以降なくすのなら、最初から入れない方がよかったんじゃないかとも思ってしまいました。

 

終わりに

 

正直、色々なところに粗があり、見ていても細かいところの粗が気になってあまり純粋に楽しめないというところではあるのですが、一方で、創作に対する知識や気概についてはなんとなく尊敬できるところもあり、それゆえに、視聴を続けていこうと思っている次第です。