今回は、はてなブログより与えられたお題で書いて行こうと思います。
しかし、記事のところで見た時には以下のようなお題の書き方になっていました。
これを見て、今週のお題が「大人になったなと感じるとき」だと正確に想定できた人はいたのでしょうか。少なくとも、読解力の低い私には無理でした。
なんかちょっと裏切られた感じはしましたが、久々に乗ってみるのもアリかな、と思い、「大人になったなと感じるとき」について考えてみようと思います。
大人になったなと感じるとき
成人こそしていますが、酒も飲まず、タバコも吸わず、公営ギャンブルにもいかない。選挙権を持ち、毎回投票に行っているとはいえ、この国や街を任せるに足る人物を真剣に選んで投票しているわけでもないです。そんな投票は大人を実感する機会にはなりません。
クレジットカードは持っていますが、それは別に未成年の時から持っていたりします。
成人であることを実感することが大人になることではないとは、十分理解しています。翻って、成人であるかどうかで自身が大人かどうか判断するならば、私は自身が大人であるということは全く持ってできません。
ただただ、弱くて、会社の仕事すら全うできない私に、大人を感じる瞬間というのはありません。
何があっても受け止めきれるだけの精神が欲しいと願いながら、それを手に入れられません。己の無力さを噛みしめながら、恐怖やプレッシャーに圧倒される。そんなときには、他人に頼るばかりしかできません。
嫌なことからは目を背けようとして、自分が好きなことをやりたいと思う。そんな人間は大人じゃありません。
周りを見ると、辛くても、どこかで折り合いをつけて前に進んだり、自分のことを諦めたりしています。なのに、自分はいつまでも折り合いをつけられず、自分の願望を捨てず、願望が実現するだろうという根拠のない希望を抱き続けています。
会社の仕事すら満足にできないにもかかわらずです。
いかにも子供っぽい状態だと感じます。
大人として、庇護するべき対象を持つこともなく、むしろ、そこから目を背け、一勝逃げ続けようとしている。
それでも唯一大人になったなと感じるとき
ただ、それでも、大人になったんだな、と思う瞬間は1つだけありました。
それは、20歳以下では取得できなかった有効期間10年の赤いパスポートを取得したときでした。
私が初めてパスポートを取得したのは、2015年で、当時はまだ19歳でした。あと2カ月で20歳だったのですが、ビザ申請の関係ですぐにでも取得する必要がありました。そのため、その時には有効期間が5年の黒いパスポートしか取得できませんでした。
そこから5年後、24歳で私は赤いパスポートを取得することができました。当たり前かもしれませんが、大人と子供で大きく違ったと思えることがなければ、自分が大人になったと実感することはありません。
私にとっては20歳になったことによって、今までと違うんだと実感できたのはパスポートの色でしかなかったということです。
なんともしょーもない話で、ある意味、良いオチがついてしまったかもしれません。
子供じみた私
あなたにとっての「大人」って?というお題を見た時、私は真っ先に自分の上司のことを思い浮かべました。
- 身だしなみにも気を配り
- 怒りをコントロールし
- 大勢の人間の思惑を把握しながら言葉遣い一つにも気を遣い
- 思い通りにいかなければ手を替え品を変えながら目的の達成を目指し
- 全ての情報の裏側に潜む意図を探り当てようと思考を張り巡らし
そう言う上司は私にとって目指すべき大人の理想像の一つです。
上司に世話を焼かれる度、私は己の子供っぽさを恥じました。
ですが、本当のお題「大人になったなと感じるとき」は私にとって、今の私の未熟さを見つめ直すことを突きつけて来るお題でした。
今の私は、無力を噛みしめながら、周りから軽んじられながら、うつむいてコソコソと歩いていくしかできないほど無力です。
これなら絶対他人に負けないという強力な技術や自信もなく、恐怖とやりたいことだけに行動を支配される。なんとも子供じみた人間です。
今までの人生を振り返ると、どこかで一度でも踏ん張っていれば、今の私は大人になれていたのかな、と思う瞬間は度々あります。
なんとなく過ごし続けてきた学校生活の全てを苦々しく思い、後悔する瞬間もあります。もっと早くに気付いていればと思うことは数回ではありません。
大人とは何かという問いに対する知識すらない
子供と大人の差については、様々な知識人たちがそれぞれの解釈を提唱しています。それは年齢であったり、分別であったり、精神性であったりするでしょう。
ですが、勉強不足な私には数々の思想家の大人の定義について論ずることもできないほど、知識不足でした。
おそらく、このお題で投稿されている方々は、自分の得心の行った思想家の大人の定義を引用し、己の経験に照らし合わせ、それを以って「大人になったなと感じるとき」について論じるのでしょう。
ああ、何と悲しい事か。私にはそれすらもできない。無知を恥、ただ嘆くことしかできない者を誰が大人と呼ぼうか
そんな気分です。
終わりに
自分でも引くほどの暗い記事になりました。ですが、あえて他人から与えられた物事について考えて、記事を書くというのはそれはそれでよい経験になったと思います。
自分では目を向けたくもない、考えるだけで暗い気持ちになる題材について考えてみるというのは、1つ試練を乗り越えるという意味ではよかったのかもしれません。(試練としては軽すぎる気はしますが)
昨日、書いた記事では私が真にほしいのは「自信とそこから来る安心だ」と述べました。
きっと、私が自分を大人だと思えるのはその願望が満たされ、自分自身を認めることができた瞬間でしょう。
その瞬間が来るまで、何とか頑張っていこうと思います。