私は今まで気ままに生きてきました。
ほどほどに頑張って、それなりに恵まれた環境で生きてきました。そのせいで、現在の仕事では力量が追いつかず、苦しい思いをしていますが、それはそれで、当然の結果だと受け入れるしかないでしょう。
一方で、今までに「幸せ」や「楽しさ」を人生において感じてきたかと振り返ると、少し怪しくなります。
ここ最近は、特にその傾向が顕著で、ゲームをするのも動画を視聴するのも、楽しみを求めてというよりは、精神的な疲労を回復させるため、という感じです。
逆に、何かしようと思っても、まずは動画で精神を回復させないと行動できないという状態です。(レジギガスみたいなデメリット持ちですね)
幸せや喜びが薄いのは私が徹底的に努力したことが無いから、とも考えられます。ただ、逆に、ほんの些細なことに対して、喜んだり楽しんだりということがあるからこそ、努力する活力が沸いてくるという考え方があってもおかしくないでしょう。
今回は、「現状のままでも人生をより楽しむためにはどうするか」ということを考えてまいりたいと思います。
人生を楽しめない私は常に自分を追い込んでいる
私は2000万円を30歳で貯金するという目標を掲げています。
それは、資産を保有し、そのリターンでベーシックインカム的な収入システムを構築し、その上で好きなことをやるという目標があるからです。
早期リタイアを目指しているということもあります。ただ、本当は、早期リタイアよりも、資産的な安定を得たうえで、色々な仕事に挑戦してみたい、というのが本音です。
1億円を貯めて早期リタイア出来れば、それに越したことはありません。ですが、たぶん、そうなると暇で暇で死にそうになるので、あくまで資産は「やりたいことをやる」ためのセーフティーネットであり、完全なリタイアを目指すものではないと考えています。
なので、1億円あっても、とくにやりたいことが無ければ、アルバイトでお金を稼ぎながら、何かやりたいことを探すという生活を送ると思います。
さて、少し話がわき道にそれてしまった感はありますが、以上が私のお金に対する考えです。
ですが、これをして、「お金に執着している」と言われることもあります。
私としては、あくまでお金は「安心」を得るためのものであり、一つの手段でしかないと考えています。ただ、30歳(あと5年)で2000万円を貯めるのは並大抵ではありません。その目標が、現在の人生の大きな目的となっていることは否めません。いかんせん、「安心」という目的のスケールが大きすぎるので、その手段も非常に大きなものになり、日常暮らしているうえでの目的のスケールに匹敵してしまっているからです。
ただ、そのせいで、出費をする際には、常に自己投資的な観点で物事を考えてしまいがちです。
旅行やレジャー、行楽に行くことに対して消極的なのは、私が自己投資的なリターンを思い描けないから、という理由です。
仕事をしていない時でも、なんだかんだで常にお金のことを気にして生きているのですね。
仕事ができなくてヤケになったりしていても、その根底では、常に自分を追いつめているというわけです。
それを続けていれば、やがて、それが当たり前になって、自然とそう言う行動になると思っていました。しかし、そうなる前に、自分を蝕む一因になっていたのかもしれません。
確かに仕事ができないこの現状を鑑みれば、自分を追い込むべきというのは正論です。ただ、常に悶々として、気が休まらない思いをするならば、何もかも投げ出して、思い切り楽しむタイミングがあってもいいとは思います。
別にレジャーや旅行のような大金を出費するようなことでなくとも、ソシャゲをゆるゆるやったり、動画をもっと楽しい気持ちで見られるように、他のことをシャットアウトしてしまったりと、そう言うことが必要なのかもしれません。
目の前の事にもっと集中するだけでいいのかもしれない
何かを始めても、すぐに結果が気になってしまう、成果が気になってしまうのは、私の悪い癖です。
3日坊主を乗り越えて、2週間目ぐらいに突入すると、「本当にこれでいいのか?」「意味あるのか?」という疑問が湧いてきます。
これは、私の中途半端に分析的な性格が災いしてしまった状況です。
「成果が出ないのは何か間違った方法をしているからかもしれない」と思い、その状況を分析し、より良い結果が出るようにする、間違っている部分は修正しようとする。
それが私の行動パターンです。(数回この分析を回して上手く行かないと投げ出してしまうのも悪い癖なのですが)
それでいて、誘惑に対する耐性が弱く、誘惑に対しては抵抗することなく、即座に応じてしまいがちです。普通の人間であれば、一瞬立ち止まって考えるような場合でも、私は立ち止まらずに、誘惑に従ってしまうこと多数です。
さらに、先に述べたような貯金のことや、失敗続きで「やったって無駄」と言った根性が染みついてしまっています。
もっと言うと、空想癖によって脳内のメモリーが圧迫されているのではないかとも、最近になって思い始めました。(ヒソカのいうところの『メモリーの無駄遣い』にあたること)
それらによって、脳内が圧迫されてしまっているような状況です。
なので、「目の前にある何か」を大切にできず、あっちこっちを向いてしまっているような状況なのかもしれません。
ソシャゲのアタリに一喜一憂するのは成功者たちから見ればくだらないのかもしれません。
ただ、私から見れば、ソシャゲといえど、真剣にのめりこめることがあるのは良い事だと思います。
私にとってのめりこめることは、小説やイラストを描くと言った創作活動でした。それが、自分の実力に疑問符がつき、他人のだれからも評価されていないような状況に不安を感じるようになってしまいました。
でも、他人の眼なんか気にせず、ひたすら没頭して、自分の中で良い物だと思えるようなものを作れれば、それだけでも、きっと人生は素晴らしい物になると、私は信じています。
ひとまず、今は目の前のことを1つ1つ取り組んでまいりたいと思います。でも、長い人生の中の1ピースに過ぎないとも思うようにして、1つの失敗で生死を悩むほどにはならない様にもしたいと思います。
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