タイトルを見て、何を言ってるんだと思われた方も多いでしょう。
これは、私が自分で考えた比喩です。
何のことを言っているかと言うと、幹が人間そのもので、広がった枝はその人間の個性を表しています。
何が言いたいのか、少し遠回りをしながら、ゆっくり解説していきます。
失敗続きで、何もかもが嫌になっている人に、届くことを願っています。
人間そのものは否定される者ではない
さて、少し比喩から離れて、人間の個性について話していこうと思います。
失敗が続いていると、人間はどういう風に考えるでしょうか。
「自分は無価値」「私は無意味」「僕は何をやってもダメだ」と思うでしょう。
ですが、実際には、「何をやってもダメ」ということはありません。人間、何かしら、出来ることがあるはずです。
かくいう私も、仕事が出来ずに苦しんでいます。会社や部署のお荷物であることは、理解しています。
だからと言って、私の存在が全て否定されるわけではありません。
私には「悪い部分が存在する」「良くない側面がある」と言うだけの話です。逆に、「良い面」もあるはずです。
人間の個性や性格は、人それぞれです。
同じような個性でも、良い方に活かせる人がいたり、逆に、失敗の種にしてしまっている人もいます。それも、人それぞれです。
自分が何度も何度も失敗すると、もう、自分はすべてのことにおいて失敗する人間だと思い込んでしまいます。
何についても無価値で、無意味で、迷惑だけをまき散らす人間だと思い込んでしまいがちです。
ですが、実際にはそんなことありません。あなたには確かに「良くない部分がある」だけの話です。でも、それは、ごくごく一部だけです。
自分と悪い側面を完全に同一視してしまうこともあるでしょう。ですが、自分はその失敗を、本当に常に続けているのでしょうか。
私は「記憶力が良くない」ですが、だからと言って出掛ける時、鍵と財布とケータイを忘れるわけではありません。むしろ、忘れる時の方がレアです(年に数回)。
約束をすっぽかすことなんて人生で1回ぐらいしかありません。
そう考えると、全く持って記憶力0というわけでもないようです。平均より記憶力はないかも知れませんが、まったくないわけでもないので、そこまで捨てた物でもないはずです。
失敗が続いていると「記憶力0だ。何も覚えられない」と思ってしまい、物を覚えようとすることに対して苦手意識が芽生えます。そうなってくると、プレッシャーで押しつぶされて、本当に何かを記憶することができなくなってきます。
ですが、人間は記憶力だけが全てではありません。それ以外にも、色々なところで評価されます。
なので、何かができないからと言って、生きていることすべてができないと思い込む必要は全くありません。
失敗してしまったのは「ちょっと考えが足りなかった」とか「頑張りが不足していた」のであって、「才能が全くない」というわけではないはずです。
あなたがもし、陸上競技選手で9秒台で走ろうとしているのならば、才能が関係してくるかもしれません。
ですが、社会というのはNo.1になれるような才能が無くとも、とりあえず生きていけるように作られています。
というか、社会の目的は「とりあえず生きていける」様にあるべきです。
なので「俺の抱えている問題は誰にも絶対に解決できない」なんて問題は、少ないです。むしろ、同じような悩みや課題を抱えている人なんて、この長い歴史の中で何人もいます。
今を生きている人たちの中でも、おそらく結構たくさんいるはずです。中には、それを乗り越えた人もいれば、乗り越えきれなくても上手く生きている人もいます。
なので、何か失敗したり、不出来であったり、何事も上手く行かなかったとしても、あなたと言う存在そのものが「ダメ」だとか「無意味」だとか「無価値」ということはありません。
タイトルの言葉の意味
ここまで一切タイトルについては、解説をしてきませんでした。
お待たせしました。これから解説いたします。
人間は、四方八方に枝を伸ばす、奔放な樹に例えます。このとき、枝は個性です。枝からさらに派生した小さな枝は、その個性の結果です。
もし、あなたが失敗をしたとしても、あなたと言う樹の全てが悪いわけではありません。
どこか、枝の一本か二本が、組み合わさってマズいようになってしまっただけのことです。いきなり、樹をまるごと切り倒す必要はありません。
幹から変な方向に伸びた枝が出て来ても、枝だけ落とせばよくて、幹を切り倒す必要はない。木の枝の一部を剪定してやればいいのです。しかも、枝は枝でも、末端の方の小さな枝で済むこともあります。
むしろ、「個性」という太い枝を切り落として、あなたと言う樹が枯れてしまうこともあるかもしれません。
失敗をして、「思い切り自分を変えたい」と思うこともあるかもしれません。
しかし、大掛かりにやろうとすると、巨大な痛みが伴います。痛みを伴う決断は、勇気ある決断ですが、やり抜くことが難しくなります。
自分を変える痛みは一瞬で終わらず、自分で自分にかけ続けなければならないからです。
なので、まずは、木の枝の末端の方だけで何とかならないか、その方法を探してみてください。
少なくとも、私は、そうしています。
終わりに
自己否定に突入すると、辛い物です。
逆に失敗続きなのに、自己肯定感だけが高まると、なんだか罪悪感も出てきます。
しかし、自己否定は確実に自分の体を蝕みます。なので、その時は無理せず、「自分の心と命を守る」スタイルに入っていいと私は思います。
辛くとも生きてください。
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