この1週間は、コロナに支配されていた。2年前に新型コロナに感染したんだけど、もう一回なってしまったのだ。
ただ、今回は割とすぐ回復できたし、後遺症もあまり激しくなかった。(少し微熱が続いたり、記憶力が低下した気がしたけどもそこからは目を背ける)
とはいえ、とにかく布団をひっかぶって、汗をかきながら、早く治れと思い詰める瞬間は、一瞬の永遠と言うものを味わう機会になった。
病院に行って薬をもらったとはいえ、結局治るかどうかは本人次第なのだ。
そんなわけで、ただでさえ忙しかったところに、患いによる生産能力の低下で、何日かをふいにして、さらに忙しくなってしまった。
それを無理やりにでも「こんなもん楽勝ですわ」と己に言い聞かせて、何とか乗り切った。
すべてに決着をつけることはできなかったが、とりあえず、期限のついているものについては、蹴りを着けられた。
そんな折でも、他人からの頼みごとを聞いたり、頼まれてもいないことに首突っ込んで手助けしたりしてるんだから、立派なもんだと思う。
上司の方針も同じだけれど、基本、断らないでおせっかいを焼くというのが私の方針だ。
私の仕事は企画系だし、色々なところで、担当者不明の相談もある。そんな時、今までの頼みごとを聞いたり・聞いてもらったりの関係から、頼みごとを聞いてもらえる関係を築けているのだから、忙しくても無駄じゃないと思っている。
自分は決して、人付き合いが上手な方ではない。
会話術の極意の1つは「質問を連鎖させて相手の話を深堀っていく」のだと思うけど、私はまだまだ「すぐ自分の話をしてしまう」のだ。最近はあとからそのことを反省したりもするけれど、その場で適応できてなきゃ困ったもんだ。
それでも、仕事のきっかけで色々な相談をしたり、食事や飲み会に誘ったり、滑ったとしても、何か企画をしたり、そういうことは続けている。おかげで「知り合いが多い」とか「企画上手」とか言ってもらえている。
今まではこのことをお世辞だと思ってきている。でも、お世辞であっても、スルスルとそういう言葉を出してくれる人は、とても立派な人だと思うし、そういう人の言葉を素直に受け入れない方が悪行だよなと思うようにもなってきた。
そんなわけで、コロナにさいなまれながらも、人の頼みを断らぬ立派な仕事ぶりから、ついには他人からお世辞の言葉をもらい、それを受け入れながら、前向きに暮らしていけるようになった成人男性の1週間のお話でした。
また次の1週間もいいことあるんだろうなぁという期待に胸が膨らむぜ。