忙しさと不安にさいなまれた先週から一転して、今週は穏やかな心地だった。
1つは仕事に蹴りが着いた、ということもあるんだけれど、それ以上にいったい何があたんだと思うくらい、穏やかだった。
あんまりに穏やか過ぎて、これぞ私の望んだ世界だ、と思うくらいには穏やかだった。
やりたいこと・やるべきことはあるんだけども、それをすべて投げ出して、ゆったりと安寧に身を浸していた。
精神的に参った経験がある人は、チャレンジ精神を失い安寧を求めるというけれど、まさにそれにどっぷりと漬かっちゃったのかもしれない。
でも、それだって、悪いことじゃあない。お金だとか、小説家になりたいとか、思って吐いたものの、その実、心の奥底で求めていたものが安寧なのだとしたら、その願望を、若干かりそめの形ではあるけど、達成したということになる。それは、誇っていいし、満足していいと思う。
願いをかなえるという点では、去年ニューヨークに行ったことも、今年ハワイに行ったことも、どちらも、割とずっと抱いていた願望の達成といえよう。
今は、少し海外旅行は控えて、新婚旅行などで婦人とともに、ハワイに行く構想を立てている。
そんなわけで、穏やかな心だから、願いをかなえてきてるじゃないか、ということも今までよりも深い実感を伴っている。
だから、今はきっと何でもできると思う。
先週と比べて精神が安定しすぎてて、あまりにも外の状況に振り回されているその様が、自分でも滑稽に思える。
ただ、今の自分の力は、環境に屈さず環境を捻じ曲げられるほど屈強な力だとは思っていない。
今週を穏やかに過ごせたのは、仕事だけじゃなくて、三連休だとか、気温が良い感じだったとか、そういう理由も大いにあると思う。そこまですべてを捻じ曲げられたら神だ。
せめて、悪い時はその悪影響をやわらげ、いい時はその良さを増幅する、その程度のもんだ。
もっと力を得れば、ある程度、環境ごと捻じ曲げてしまえると思うが、そこについては現状、修行中だ。
正直、自分の中に眠っている力を発揮しさえすれば、世界のすべてに影響をもたらすことくらいできると信じている。
これは信念というより信仰のようなものだと思っている。
死後の世界がどうなっているかわからないけれど、きっと天国と地獄があって、悪人は罰され、善人は救われる世界があり、せめて悪行は慎もうとする。実際にそうであるかが大事ではなく、そのように考え、行動するという意味での新興だ。
そういう意味じゃ、自分の環境をすべて改変するほどの力はあって当然なのだ。
そんなことを言えるのも、ある程度落ち着いたからで、そうじゃなかったらそれどころじゃなくて、恨みつらみになっていただろう。
だから、自分の信条をひけらかせるくらい、余裕があったこの穏やかな1週間の幸せをかみしめて、また次の週を楽しもうと思うのだ。
そして、また1週間が終わった後、こういうのだ。「いい1週間だったぜ」と。