今週も振り返ってみると、総じていい1週間だったなと思う。
最近、毎週「今週は良い1週間だった」と言っている。よほどのことがあってもなくても、いい1週間だと思うような脳になってしまっている。
意図的にそうなるようにしたというところはある。認知行動療法で、悪い方向に思い込みを発展させそうなときには、それを無理やりそうじゃない方向に捻じ曲げるようなことを続けてきた。
例えば、打ち合わせで上司のコメントが少なかった時、「もう少しうまく打ち合わせしなきゃ」と思っていたのを「至高の打ち合わせのおかげで、コメント少なかったんだな」くらいに思うようにしたのだ。
一事が万事そんな風に考えるようにしていると、30代男性の脳内としては結構キツイ思考もしたりしてるが、それを垂れ流しにしているわけでもなし、「俺自身の気分が良ければヨシ!」理論でガンガン思考や推測を自分に都合のよいように捻じ曲げ続けている。
捻じ曲げ続けてたら、そっちの方がなじんできてしまい、結果、「なんだかいい1週間だった気がする」という感覚だけが残ることになったのだ。
とはいえ、いい気分でいると実際にいいことも起きるなんて都市伝説もあるが、本当にそんなこともあって、最近は、知り合いに偶然ばったり出会って話が盛り上がったりなんてことも多々ある。
何があっても、それはそれでヨシ!と思えるようになったのは、何か一つしくじってもいいことが他にたくさんあるということもあるし、それとは別に、単純に何が起きてもその事実を受け入れられるようにもなっている。
結局、人間の幸せなんて、気の持ちよう次第なので、今の自分にとってはこれが正解だと思っている。
昔は感謝ノートとかやってたけど、あれはあれで、こじつけた幸せを見つけていかなきゃいけないことへの苦痛とかがあって、自分には合わなかった。
ついでに、寝る前に5分の瞑想とビジュアライゼーションを組み合わせれば、無敵の思考の完成だ。
瞑想はただボーっと呼吸に集中するようにするだけだ。するようにする、というのがみそで、別に集中できなくてもいい。思考から数歩距離を取るだけでいい。
運がよければ、完全に距離を取れるけど、それはその日の体調とかに左右されるから、そこまでこだわりすぎない。練習してると、段々思考を中断することが上手になってくる。
そうなると、普段の思考も中断するのが上手になってきて、嫌な考えで堂々巡りすることが少なくなる。
そんな感じで、とりあえずは何もなくても幸せという環境を作り出してしまったというわけだ。
あとは、もう次々と幸福の爆弾が爆発するような、勢いに乗っていきたいところだ。