比較的恐れしらずで生きてきた私ですが、ここ最近は、恐怖に苦しめられることが多いです。
ですが、よく考えると、自分の挙動全てに自信があった時期などありません。なにしろ、学生時代のテストの時、見回りの先生が立ち止まって回答をじっと見ていると、解答を書き込めない人間でした。
今でも、上司から声をかけられるとビクッとして、緊張でガチガチします。
これは自分が失敗ばかりしていて、上司と話すときにはいつも怒られてきた、という原因もあるでしょう。
社会人になって初めて、私は恐怖に立ち向かえない人間なのだと思い知らされました。そのため、 今までの人生が、どれほど生ぬるい世界で生かされてきたのか、思い知ることになりました。
苦しいときはいつでも開き直ってきた
学生時代には、恐怖や緊張に対しては、開き直ってきました。
「別にこれで死ぬ訳じゃないし」といった単純なことも考えたこともあります。でも、それだけではありません。
発表することは楽しい、面接は楽しい、そんな風に考えていました。こう考える時にはきちんと理由付けもしていて、それで自分を納得させてきました。
どういう理由かというと、自分に注目してもらえるチャンスだからだ、と考えていました。
もう少し背景に踏み込んで話します。
私はどちらかというと地味であまり人から気にかけてもらえる方ではありません。その反動か、つい人の注目を集めたいと思ってしまう方なのです。
そのため、発表の時や面接の時の視線は、自分の求めている物だと思い込ませていたのです。
今の私は、過去にきちんと恐怖に立ち向かわなかったことが間違っていたのかもしれないと思っています。
今は発表の時でも「相手に意見が伝わらなかったらどうしよう」「自分が間違ったことを言ってしまったらどうしよう」というリスクのことばかり考えてしまいます。
そのため、しゃべりだすと、一気に早口で話を終わらせようとしてしまいます。昔の自分が見たら、今の自分の発表は酷い物だと思うでしょう。
学生時代は他人に「発表の時は、とにかくゆっくり喋ることだけ考えろ」と知人にどや顔で講釈を垂れていました。
今は自分がその講釈を受ける番になってしまいました。
ひょっとしたら、学生時代の様にポジティブに考えることが正しかったのかもしれません。ただ、方法として正しくとも、レベルが足りていませんでした。
もし、きちんとこの状況に対応できるほどのレベルがあれば、この状況を「自分が成長するとてつもなく良い機会」と受け入れられていたでしょう。
頭の中ではそのように受け止めるようにしています。自分の環境は非常に恵まれている環境だとは理解しています。
ですが、どうしてか、上手く行かないのです。「頭では分かっていても」という状況です。
これをどう打破するかについてもしっかり考えていかなければなりませんね。
恐怖が仕事における行動原理になってしまっている
今、私が何よりも困っていることは、恐怖によって何もかもを先送りにしようとする傾向があることです。
むしろ、恐怖が私の行動原理になってしまっています。
私の上司は恐怖政治を布くような人物ではなく、私が一方的に恐怖を抱き、自滅している状態です。
例えば、上司に書類のレビューをお願いしたり、提出をした後に考えることは
- 目先のことから解放されてほっとする
- いつ上司から指摘が飛んでくるかびくびくする
が順番にやってきます。最近は1番は数十秒で終わり、すぐに2番がやってきます。
そして、いつ来るかもわからない指摘を恐れ、時間を過ごし、その間に神経をすり減らしていくのです。
それが嫌なので、提出を先延ばししてしまうのです。何かをしているふりをしてしまいます。それによって、改善点を見つけることに成功したり、手直しがうまくいったことが無いわけではありません。
ですが、「改善してやろう」という前向きな理由ではなく「怖い」という後ろ向きな
恐怖と言うのは感情です。感情というのは目先の話です。理性や頭脳という物はもっと長期的に物事を捉えるることができます。
私は長期的な目標を見失い、 「怒られたくない」という恐怖によって、仕事をこなしています。
これじゃ、長期的な成長なんてものは望めません。恐怖から解放されたら、仕事に対する熱意を失いますし、恐怖があるから仕事をするという状態です。
成功者たちは「失敗しただけ成長できる」と言います。まさに、失敗=怒られる=恐怖を感じる、と思い込み、自分で自分を停滞させてしまっています。
恐怖で立ちすくんでしまった時、どうすればいいのか。
私がたどり着いた方法は、とりあえず「前進できる」と思うことをすることです。
どうすれば前進したと思えるかは、個人次第です。
例えば、「問題が解決に向かう」「自分が成長していると実感できる」ということが挙げられるでしょう。
どちらも難しい事なのは私自身よく理解しています。
何故難しいのかと言うと、どちらも未来のことだからです。
「これをやっていて大丈夫だろうか」という疑問は、人間だれしも抱いてしまいがちです。
その時、「こうすれば間違いなく成長できる」ということを信じるのは
- 他人の言うことを信じる
- 自分の経験に基づいている
のどちらかだと思います。
前者は自己啓発本から取り入れましょう。後者は、とても難しいでしょう。特に、恐怖を感じて成長出来ない、と思うような私のような人には圧倒的に「失敗→成長」の体験が欠けています。
なので、まずは自己啓発本を読み漁り、「こうすれば成長出来るんじゃないか」ということをとにかく自分に信じさせます。
私も自己啓発本を読んでも、なかなか取り入れられずに困惑したりもします。書いてあることを疑ったりもしています。ただ、それはそれで、当たり前のことです。
まずは、成功するかどうかとかを気にせず、ひたすらやって行くということにしています。
この恐怖の渦中ですることについては、作業か運動がおススメです。
恐怖を感じると、そのことで頭がいっぱいになってしまいがちです。ともするとパニック状態にもなっています。
そんな状態で何かを考えても、良い考えは浮かびません。
ならばどうするか。とりあえず、考えなくても出来るような作業をしましょう。
運動というのはとりあえずやっていれば多少なにかは得られます。とりあえず、疲れて限界だけど走り込み続ける、とかをやっていると、ちょっとずつ自分が成長していくのを感じられるはずです。
特に、運動はかなり思考停止しながら出来るので、おススメです。
実際には思考停止ではなく、「辛い」「疲れた」「止めたい」ということが脳内にいっぱいになってきて、他のことを考えられなくなるというのが正しいかも知れません。
私はこういう考えに対してはひたすら「出来る」「まだ行ける」「成長の大チャンス来た!」とかポジティブなことを脳内で響かせています。
そうなってくると、他のことを考えられなくなって、ちょうどいいです。
実際には、職場や仕事中に運動できる訳でもないので、勤務時間中には、作業のことしかできませんけれど。
その分、勤務終了後に感じる恐怖には、運動をぶち当てております。
終わりに
恐怖を御するというのは大変なことです。
これについては、古代からさかのぼって、様々な人の言葉を紐解くのもいいかもしれません。
なにしろ「恐怖」というのは人間の歴史から一度たりとも消えたことのない感情です。
様々な賢人たちがどんな方法で恐怖に立ち向かってきたか、少し調べてみようと思います。
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