激動:激しく揺れ動くこと
この単語を私が使う時は大体、仕事が忙しいという時だ。
まぁ実際忙しかったのはそうなんだけれど、そういう時って、すぐ対応しなきゃいけないものがたくさん、という場合が多い。
じゃあ、今週の仕事の状況はどうだったかというと
期限は遠いが、作業量や検討量が多くて持て余す仕事がたくさんある
という状態だった。
ちょっとずつやってはいくものの、完遂の見込みがまだまだ見えてこない。
しかし、ここ最近のマイブーム・ポジティブシンキングをこの状況に当てはめると、別に未着手の状態からでも、俺ならすぐに終わらせられる仕事しかないな、と思うべきなんだろう。
これ、1週間気づかなかったので、振り返ってよかったと思う。
で、忙しかったというのはそうなんだけど、それ以上に自分が激動だなと思ったのは、感情の方だ。
最近は、自分の感情を上手に制御できるようになってきている。ちょっと前まで、職場で人が楽しそうにしゃべっているのを見ると、妬ましく思うほど鬱屈していた。
今では、その人が感じている楽しさが、仕事の効率化につながり、それが、まわりまわって俺の仕事が楽になることにつながっていると思えるようになっている。
私の勤め先は、かなり善良な人が多く、かつて関係がこじれた上司も、まっとうで誠実な人間だったと思う。その誠実さがその部署の置かれている環境と化学変化した結果、苦しめられてしまったのだが。
あくまで、上司の人間性を疑ったことはない。今でも、そこだけはかわからない。
もともとそういう環境にあっただけに、巡り巡っていいことある、という考えを現実に適用しやすかったと思う。
逆に言うと、それだけの環境に居ながら、不足の方に目を向け、己の人間性を認めてくれない、みたいなことを考えていたのは、ちょっと恥ずかしいね。
それだけ、苦しんでいたんだ、と思うけど。
そんな感じで、過去の出来事とも向き合って、湧き上がってきた感情は一時的なものだから、それを味わったらすぐ手放していいという感じで、上手に感情と向き合えている。
話が長くなったけども、本当に話したいのは、感情制御が上手になった自分でも、感情制御が大変だった、という1週間だった。
人に約束を反故にされたり、なんかとある人に避けられているような気がするということに気づいたりしてしまったのだ。
どちらも結構、自分にとってはキツイ感情を呼び起こす事象で、これに対して整理がつかない。
昔に比べれば、かなりキッチリ向き合えていると思う。昔なら数日吐き気にさいなまれたと思う。
今は、なんとな~く嫌だなぁ見たいな感じの感情を抱えている。これをスッキリ手放しできない。
いいこともあって、ランチやオフ会みたいなのに行ったりして、人と楽しくしゃべったりできた。喋り上手ではないけど、喋るのは好きだ。
そんなわけで、結構感情を揺り動かすことになった。そのせいで、なかなか勉強や創作活動に手がつかなかった。
感情→疲労という流れで、すべておじゃんにしてしまったのだ。
もともとそんなに体力がある方ではないので、疲労はあらゆる行為に対する言い訳として有効に機能する。そのように自分を訓練し続けたから仕方ないのだ。
だから、まずは少し感情を手放しする訓練を続けること、あとは、疲労を言い訳にすることを、もう少しやめること、この2つが当面の目標かな。
良い未来を信じること、これはすごく意識している。なぜ明日がより良いものとなることを信じられないのか?というなんかのアニメで見たんだったかのセリフを思い出すようにしている。
だから、きっと明日も、来週も今よりもっと良いものを手に入れられる。
ただ、それが自分の求めているところより振れ幅が小さいような気はしている。
去年の自分と今の自分を比べれば、大きく成長しているところもあるが、おおむね、環境は変化していない。
私が求めているのは、環境が激変するほどの大きな変化だ。それも良い方の。
笑っちゃうのは、激動の一週間とか言って、不平を言っていた人間が、実は、激動を求めているんだということ。
それじゃ、もっと激動しちゃうね。