ドムストの雑記帳

全然器用に生きられない私の真面目な事、勉強の事、お楽しみの事を書くために開設したブログです。

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自己否定ここに極まれり

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とんでもない思い込み

 

本日も雨の中、出社いたしました。休んでやろうかとも思ったのですが、どうしても行かなければならない用事があり、頑張って出社しました。その時は自分のことを偉いと思っていました。

 

ただ、先輩の同僚が、別の同僚に仕事を振っているのを見て、私は思わず「避けられているんじゃないか」と思ってしまいました。

 

私は主にその先輩から仕事を振られながら仕事をしているのですが、ここ最近、仕事の量が減ってきているように感じました。それが「私に仕事を任せても、出来が悪いから嫌気がさした」のではないかと感じてしまったのです。

 

そう思うと、私は会社での唯一と言っても言い支えを失ったような気持になりました。上司は別にいますが、あまり一緒に仕事をすることはありません。ほぼ、先輩を経由して仕事が回ってくる事が多いです。

 

そうなると、私の命運は事実上先輩に握られています。なので、「見放された」と思うと、それだけでもう会社ではやっていけないような気がしてしまうのです。

 

今までは「気を遣って貰っているのかも」と思えていたのですが、本日、天気が悪く、気持ちもやや下振れしていたことから、思わずこんな突拍子もない事を思いついてしまったのでした。

 

 

ついに行くところまでいった感

 

仕事の量が少ないことを呑気に喜んでいたこともありました。一方で、このまま仕事を続けていても、いつか能力が追い付かなくなって仕事をやっていけなくなる日が来るんじゃないかと言う不安にも苛まれてきました。

その不安を打開する策も思いつかず、悶々とした日々を送っていました。

 

そのせいもあってか、なかなか物事をいい方向に考えられなくなってしまい、こういう考えに至ってしまったのだと思います。

 

仮にこの思い込みが本当だとしても、真正面から質問なんかできません。「私のことを役立たずだと思っているから仕事を回さないようにしていますか?」なんて社内で尋ねたらそれだけで大問題になります。

 

先輩はそんなパワハラする人ではありません。そもそも、その先輩は私が新入社員だったころの教育担当だったので、見放すんだったらその頃に見放されているでしょう。巡り巡って色々あって、元とは違う部署で一緒になって働いていますが、受け入れてくれたのもその先輩の判断あってのことだと思います。

 

恩はあれども、仇はなし。そんな人を勝手な思い込みで恨んだりしてはいけません。とはいっても、恨んではいません。私は自己肯定感が低いので、何かマイナスなことが起きた時、他人を怒ったり、憎しみを持ったりすることよりも、自分を責めることが多いです。

昔から温厚だと言われ、対人関係であまり怒らないのだけが取り柄なところもありますが、自身が無いから自分のせいにしがちです。

 

ただ、今回の思い込みはさすがに自分で思いついた割りにショック過ぎたのか、血の気が失せました。思い込みが生まれたのは夕方でしたが、それからずっと、会社を出るまで、血の気が失せた状態でいました。なんとかその思い込みを振り払おうと必死だったため、とても体力を使いました。

 

ここまでメンタルが激変して追い詰められたのは本当に久しぶりでした。

 

それでも今日も生きてます

 

仮に仕事を回されないという仕打ちを受けているのだとしても、今日も私は行き意地汚く生きています。

 

「それってパワハラじゃないか」と思うことで逆にすっきりできた側面もあります。世間には追い出し部屋といって、役に立たない社員を組織ぐるみでいじめる会社もありますが、幸いにして弊社はそこまでではないと考えています。

なので、普通にこれがパワハラだったのなら、会社に訴えれば、何とかなるとは思います。とはいっても、そこまでするつもりはありませんし、そんなことしたいとも思いません。

 

ストレートに質問することはできなくとも、現状の仕事量が不足しぎみであること、やる気があることを伝えることはできます。そうすれば、最低限の善処はしてくれるはずです。

 

そう思えば、少しは前向きにとらえることもできます。確かに、能力が低く、仕事の出来が悪い時が多いのは事実なのですが、だからと言って、ここでくすぶってしまっていては、永遠にそこから脱することはできません。

実力が低い事を認めつつ、改めて一緒にやっていくことをお願いすれば、仮に嫌気がさしていても、チャンスをくれるはずです。

 

終わりに

 

本日の記事もかなり短いです。精神的に疲弊していて、体力もかなりない状態だからです。

ただ、思い込みが発動した瞬間よりも、この記事を書いたことでグッと楽になれたので、やはり書いた意味はあったと思います。

 

本日も生きております。ありがとうございました。