ドムストの雑記帳

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屍の山の価値【アニメ進撃の巨人 第71話 導く者】感想レビュー

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さて、疑念渦巻くパラディ島はさらに疑念が疑念を呼ぶ負の連鎖に陥っていきます。

 

今回はアニメ『進撃の巨人』 第71話 導く者の感想・レビューをしていきたいと思います。

エレンの目的は。ジークの目的は。イェレナの行動は。何もかもが謎のまま、じっくりと話は進んでいきます。

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なお私は『進撃の巨人』もAmazon Primseで見逃し配信視聴勢です。

 

あらすじ

 

マーレ義勇兵としてエレンと密会し、ジークの意思を伝えていたというイェレナ。彼女の口から、エレンとの会話の内容の聞き取りが開始される。

 

一方、義勇兵の一人として、やはり監禁状態にあるオニャンコポンは、ハンジに協力してきた過去から、現在の処遇に不平を漏らす。しかし、イェレナがエレンと密会していたことを知ると、驚き、ハンジと共に行動を開始する。

 

一方、民衆は、「エレンこそ英雄である」として、兵団本部を取り囲み、義勇兵やエレンを捕縛している兵団を批判を続ける。

ミカサとアルミンは兵団長・ザックレーの部屋を訪れ、エレンとの会談を要請するが、却下される。その後、秘密裏に「始祖の巨人」がエレンから別人に譲渡されようとしているのではないかという疑惑を感じると、立ち聞きを敢行しようとするミカサであったが、ザックレーの部屋は爆弾で吹き飛ばされ、兵団長はあえなく死亡してしまう。

 

それは、兵団を取り囲む民衆の眼には「天罰」と映った。「心臓を捧げよ!」のキャッチフレーズを連呼し、エレンを戴く新生エルディア帝国にこそ正義があると叫ぶ。

 

調査兵団の新兵がザックレー爆破殺害の首謀者ではないかという中で、更に、エレンの脱獄が報告される。

 

エレンは、目元に巨人化の跡を残しながら、「新生エルディア帝国信奉者たち」「イェーガー派」の筆頭であるフロックからコートを受け取り、それを身にまとう。

それこそ、まさに、フロックが求める新生エルディア帝国を『導く者』の姿であっただろう。 

 

そんな中、調査兵団そのものがエレンと結託した「イェーガー派」ではないのか、という疑いすら向けられることになる。

誰が敵で誰が味方なのかもわからない。兵団組織の中ですら疑心暗鬼が広がっていく。

 

そこで、ザックレーに次いで重鎮であったピクシスは、あえてエレンと決着をつけないことを提案。

ザックレーの爆殺については不問とし、エレンの身柄を兵団で押さえつつも、エレンの目的であると考えられる「ジークとの会合」を実行する。その代わりに、すべての真実を明らかにしようと決断し、各所に指示を出す。

 

その際、ミカサはヒイズルの使者よりヒイズル亡命の打診にも聞こえる提案を受けるが、自らはエルディア人であるとして、それを断る。

 

そして、ハンジ達・調査兵団はイェレナが固執したマーレ人の就職制度にこそ、イェレナの布くんだ抜け穴があると見たレストランに向かう。

向かった先のレストランはブラウス家がサシャの弔いの際に招かれたレストランであり、そこには、ブラウス家に養われる子供たち、ファルコとガビの姿もあった。

 

そして、ハンジ達を見送っていたのは、いつの間に馬紛れ込んでいたマーレの戦士が一人、ピークであった。

 

 

暴走するエルヴィンの言葉

 

「心臓を捧げよ」

この言葉は、訓練兵団入団の際に兵士に叩き込まれる言葉です。エルヴィンだけが使っていた言葉ではありません。

 

エルヴィンは窮地に陥ると、この言葉で発破をかけ、突進させ、攻撃に向かわせ、時に人々を特攻させてきました。言い聞かされ続けてきた

 

エルヴィンの人間爆弾にも劣る特攻作戦とその惨状を見せつけられたフロックは、屍の山を目の当たりにしてしまった人物です。

だからこそ、その犠牲や、犠牲を目の当たりにした自分の心の痛みを、他者を破壊したり、自分が正義であることを示して埋め合わせたいと思っているのでしょう。

 

フロックの信念は「築いてきた屍の山に見合う成果を得ようとする」という人間としてひどくまっとうな物です。

そして、抑圧、弾圧されてきた、他民族に差別され、殺されてきたエルディアにはその権利があると主張しているようなものです。

 

過去の屍の山の高さで未来を決めようとするのは、ガビもフロックも同じ考えだと言えるでしょう。

 

ガビは過去にエルディアが築いた屍の山の高さを罪の深さと考え

フロックは過去にパラディ島が築いた屍の山の高さを正義と考えています。

 

そのためか、フロックはマーレ襲撃の際にも報復のような行動をとりますし、マーレに壊滅的な被害を与えたエレンを英雄視しています。

そして、それこそが、今まできずいてきた屍の山の高さに敬意を払う行為であり、同じだけの屍の山を築くべきだと考えているのでしょう。

 

この「屍の山」論争はまたいずれ、別のところでしたいと思います。

全ての過去を忘れ去ることはできません。ですが、過去の屍の山の高さで、未来や今を決めることは、結論だけ言うと、愚かしい行為に思えます。

 

思想は全く逆であるものの、結局根底にある者は同じガビとフロック。だからこそ、嫌われ者扱いされてしまうのかもしれません。

 

イェレナという名前

 

今まで彼女の名前が出てきたかどうか、よく覚えていませんでしたが、イェレナという名前は嫌らしいネーミングだなと思いました。

 

おそらく、エレン・イェーガーに近い名前を付けられたのだと思います。

 

訳によってはエレンもイェレンと呼ばれることもありますし、これは確信犯でしょう。

 

パラディ島に協力したマーレ義勇兵の中でも、彼女の動きは特に活発です。

作中での描写順で言えば、ピークたちを穴に落し時間を稼いだり、上官を撃ち殺してパラディ島勢力との交渉のテーブルについたりと大活躍です。

 

その彼女は、ジークに「心酔している」とまで言われるほど、熱狂的信者であり、巨人を「神」として信奉しているような描写まであります。

 

話題のオニャンコポンの人種論の際、彼は「俺たちを作った奴」のことを「神」といいますが、イェレンはそれを咎めるような目で見つめており、神を巨人の圧倒的な力と捉える彼女と、オニャンコポンのどちらかと言うと温和で融通の利きそうな神との対比の構図ができていました。

 

だからこそ、オニャンコポンがイェレンの内通に関して何も知らなかったという点は、きちんとそこで伏線が張られていたわけです。

 

その彼女の名前がイェレナであることは、とても嫌らしいネーミングだと思いました。

 

シーン転換の早さはアニメらしさ

事態は動いていくのに、真実は明らかにならない。

エレンやフロックといったイェーガー派の行動は断片的には伝えられるものの、結局何が目的なのかわからない。

 

目まぐるしく転換するシーンは、アニメの醍醐味と言っていいでしょう。

 

 

漫画でもシーンの切れ目が多すぎると、頭が追いつかない事が多々ありますが、文章に起こすとなおの事大変です。

 

なので、頻繁に場面の変更の起こる『進撃の巨人 Final Season』はあらすじを書くだけでも結構大変です。

 

最終場面でのレストランを中心とした、調査兵団組とファルコ・ガビ組の交差の予感の表現は、アニメだからこそできる場面転換を上手く取り扱って仕上がっていたと思います。

 

終わりに

 

「屍の山」や過去との因縁、そして、互いの些細な不信が積み上がり、組織体が機能しなくなっていく。そんな忌々しいほどのリアリティのある一回でした。

 

マーレ勢力の動きはピークが最後にチラッと出た程度で、少なめです。まだしばらく、マーレ勢の動向は大人しいままでしょうけれど、今後の動きに期待したいところですね。

 

話し全体としては緊迫感があり、見飽きないものの、少しテンポがゆっくりになってきたかな、とも感じるようになってきました。ただ、見飽きないように作られているのはさすが、進撃の巨人と言ったところでした。