何事も平穏が一番だと思う人は多いでしょう。ですが、多くの場合、変化が少なすぎることに人は耐えられません。
アメリカの実験でベッドに寝ているだけという物があります。ひたすら昼も夜も寝っ転がってるだけです(お金ももらえます)。うらやましい話ですが、多くの人はこの退屈の苦痛に耐えかねて(3日くらいで)諦めるそうです。
人は変化を求める生き物
あまりにも同じ、あまりにも退屈なとき、人の心は変化を求めます。と言うよりも、元から変化を求める心が本能的に備わっているのでしょう。
詳しい理由は分かりませんが、皆が同じ場所でジッとしていたら、絶滅する危機があるので、変化を求め、どこかに行ったり、違うことをしてみたりとするのではないのではないかと勝手に考えています。
人間の日常生活の中で、変化を手っ取り早く与えてくれるのはテレビです。テレビでは勝手に人が動き回り、しばらくすると番組が変わって、別な人が別な風に動き回ります。
自分は何の努力もしなくていいのに、変化を感じられるので、非常に心地よい存在です。
ここ最近は、テレビ以上に、SNSがその役目を果たしているでしょう。SNSでは自分の心情を垂れ流しつつ、あこがれの人や面白いことを言う人が与えてくれる変化に身をゆだねられます。
ついでに、承認欲求を満たす機能「いいね」もあるため、ますますのめり込んでいくことでしょう。
世の中の99%以上の人は「何とかなってくれないかな」と他人任せの感情をどこかしらで持っています。なぜなら、自分で動くのは面倒くさいから。私だって、国際情勢がもっと良くなってほしいですし、世界平和を望んでいます。ですが、具体的な行動は特にありません。自分の行動の範疇を超えているでしょうし、どうすればいいのかわからないからです。
これが(世に言う)「デキる人」ならばどうなのか。自ら変化を作り出すことをします。例えば、今までにやったことのないことに挑戦するということが挙げられるでしょう。
多くの人は大きな変化を拒みます。「忙しいから」「時間がないから」と言って新しいことに挑戦しない人がほとんどです。たった1日だけの1時間だけをひねり出さないのに、飲み会で2時間3時間潰してしまうのにもかかわらず、です。
その割に、心は変化だけを求め、安直な変化、他人から与えられる変化に身をゆだねてしまいます。恐ろしい世界で、変化と言うのは割と簡単に他人から与えられてしまいます。
ですが、成功者などと言われる人は、未知の体験にチャレンジしています。未知と言うのは、人類にとって未知の経験ではありません。未知の経験をすることによって、世界的に英雄になる人もいることにはいます。
しかし、そのレベルの未知ではなく、「自分にとって」未知の経験をすることが大事です。それが、コンフォートゾーンというアイディアです。
コンフォートゾーンという考え方
コンフォートゾーンはいつも通りで、安心できて、でも、ともすると退屈になる場所です。ゾーンと言っても明確に物理的に存在する空間ではありません。基本的にはあなたの中に存在する、精神的な境目と言えるでしょう。
例えば、今あなたがよく会う人の中でも、大親友、気の許せる人、緊張してしまう相手、苦手な相手、など色々な人がいると思います。この例で言うと、コンフォートゾーンは「大親友、気の許せる人」に当たるでしょう。コンフォートゾーンは精神的に安心できる「状況」と言った方がいいかも知れませんね。
コンフォートゾーンからあまりにも離れすぎると人間はパニックになります。いきなりアフリカのど真ん中に独りぼっちでおいていかれれば、変化が激しすぎて戸惑うでしょう。
コンフォートゾーンとパニックゾーンの中間のちょっとチャレンジングなところは、人間がもっともワクワクするエリアです。このエリアにチャレンジするワクワク感。これが人生の退屈から脱却する最も簡単な方法です。
ゲームで考えると簡単かもしれません。簡単すぎればクソゲー、攻略不可能でもクソゲーです。よいゲームというのは何度も挑戦して、あと少し頑張れば出来るんじゃないかと思え、何度もチャレンジしてやっと勝てるような難易度です。
人によって、許容できるゲームの難易度に差があるように、コンフォートゾーンやその外のエリアに対する感覚も個人差があります。
コンフォートゾーンを出ると言っても、別にやったこともないのにいきなりヒマラヤ登山をし出すとか言うことは不要だと思っています。(多くの人はパニックゾーンに突入でしょう)
毎日が会社と家の往復。毎日が同じことの繰り返しだと思うなら、一駅分歩いてみるとかでもいいでしょう。もっと楽をしたければ、普段絶対に入らないようなお店で昼食を取るというのもいいでしょう。思い切り安い店でも、思い切り高い店でも構いません。自分が行き慣れていないところなら何でもOKです。
慣れないところに入るには勇気がいるでしょう。ですが、それを繰り返していくと、だんだんと未知の物に対する恐怖が(ほんの少しずつ)減ってきます。
(入学や就職で)新しい環境に放り込まれた瞬間は不安も多いでしょうが、その中で暮らしていれば、だんだんそこもコンフォートゾーンになってきたりと言うことも多いでしょう。(本当に馬が合わないときは逃げるべきでしょうけど)
今までの多くの経験から、なんとなく何が起こるかを推測できるようになってくるという側面もあります(経験値がたまっている感じですね)。それ以上に、その勇気を出すことに慣れていくと、全く見ず知らずのことをするにしても、勇気を出しやすくなります。
コンフォートゾーンを出る時に、大きく一歩を踏み出せば、それだけハイリスク・ハイリターンになります。先ほども言ったように、いきなりヒマラヤに登ろうとすれば、仮にパニックにならなくとも、リスクが巨大すぎて、遭難して死ぬことになるでしょう(現実ではそうなる前に誰かに止められることになるでしょうけど)。
立ち向かうことのできないほど強大すぎる力の前では、人間は絶望して、諦めてしまうものです。そこまで激しくどこかに飛び出すことは退屈どうこうのレベルではありません。
逆に、究極的に変化を失うと、人間はボケます。家で引きこもっていると、何の変化もありませんから、変化に対応する能力や気力が衰えます。
社会的な成功を収めるためには、大きくコンフォートゾーンを出るようなチャレンジが必要でしょう。チマチマと出て、コンフォートゾーンをちょっとずつ広げていては、成功するまでの時間がかかり過ぎて、諦めることになるでしょう。
ですが、「退屈からおさらばする」のが趣旨なので、成功する・しないはどうでもいい話です。ちょっと変わったことをすれば、退屈から脱却できる。ですから、いきなりハイリスクなことに手を出す必要は一切ありません。本当に、ちょっと今までと違うようなこと(ランチの店の新規開拓・普段と違う場所に出かけてみるなど)でいいわけです。
退屈しのぎならば、別に凄いことをする必要はないのです。
より大きな視点で、「成功するために」コンフォートゾーンを出る時にはどうすればいいのか、という話はまた別のところでします。
おわりに
ちょっとしたチャレンジが退屈からあなたを遠ざけてくれます。(直訳調)
ですが、私でも、見知らぬ店にランチに入るのには結構ビビってしまいます。何でも食べられる方なのに、です。
それほど、小さな挑戦でも結構大変ではあります。なので、もっと大きな挑戦はさらに精神力が必要になってきます。
ですから、まずは、退屈な日常のほんのちょっぴりのスパイスとしてのチャレンジに挑戦してみてください。
進まないよりは、ほんの少しでも進んだ方がいいのですから。
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