なぜか爪を切るのが好きです。なんでだかよくわからないのですが、好きなんです。
というわけで、今回は爪を切りたがる理由について、考えてみたいと思います。
もし同志がいらっしゃいましたら、そのことについても教えてください。
ただ、切り過ぎて、深爪になったことだけはないので、最低限の(爪に対する)良心はあるのでしょう。
爪を切るのが趣味だということについて
爪を切るのが楽しいというと、なにそれ変態とか言われそうです。
まぁ変態かもしれないとは思います。その原因が吉良吉影という人物の存在です。
『ジョジョの奇妙な冒険』登場人物であり、特殊性癖のもし主である吉良吉影は切った爪をためて、その成長をつぶさに観察する趣味がありました。
そう言う話を聞くと、私もその手の変態かもしれないと思ってしまいます。
自宅でぼーっとしているとき、ちょっとでも爪が伸びていると切りたくなる。人によっては私の手は常時深爪状態に見えているかもしれません。困るほど深爪にはしない様にとは心がけています。しかし、人と比べると、爪が短いことは圧倒的に多いです。
ちなみに先ほど、爪を切る人物の話をしたが、似たような話で耳をほじる人ことが好きな人もいらっしゃいます。
既に故人ですが、漫画家『さくらももこ』先生は、耳ほじるのが趣味だそうです。(中空を見つめて、ボケ~っと耳をほじるのが好きらしい)
初期の何かゲスなこと考えてそうなちびまる子画風の頃に、単行本で描いています。(ひょっとしたら岡田あーみん先生に描かれていたかもしれませんが)
ちなみに、耳をほじりすぎると聞こえが悪くなるそうです。耳掻き道具ならまだしも、綿棒や指を使うと危険だそうです。
とりきれない耳垢が奥の方に圧縮され、耳垢の固まりが音を妨害するらしいです。
(病院に行って笑われた人から、直接聞いた話)
ただ、塵一つ残さず徹底して耳かきをしていても、頻繁に耳掃除をするのはよくないことだそうです。あまりに頻繁に耳掃除をしていると、耳の内側の弱い肌が荒らされて、外耳炎になってしまうことがあるそうです。
話が爪から耳垢にそれたが、そろそろ戻ろう。
何で爪切るのが好きなのか。自分なりに考えたところなんとか2つほどひねり出すことに成功しました。
そんなバカバカしいことを考えるのに、時間を費やしてしまって恥ずかしくないのかと言われれば、恥ずかしくはないです。もっと変な事考えてることもあるので。
お手軽な達成感
爪がはがれて痛い目を見たから、爪が長いとどこかに引っ掛けてしまうのではないかという恐怖を感じている・・・とかではなく、単純に自己の願望の問題だと考えられます。
達成感は味わいたいが、苦しいのは嫌だという思考が底辺人間な私にとってこのお手軽な達成感は貴重な体験です。
一流のアスリートは、大きな大会での優勝や世界記録の樹立を成し遂げて達成感を得る。そのために壮絶な努力をしていることは、言うまでもありません。
一方で、努力は嫌だというのが私だ。しかし、達成感はほしい。達成感は人間の心の養分なのでしょう。(ここでは難しい脳科学の話は無しです)
そのため、達成感を得るために、お手軽達成感を追求し、爪を切るのかもしれません。
没頭感
ほかのことを考えずに、目の前の爪切るだけ。昔から、そういうことは好きでした。
例えば、ドライヤーの後方の網目に着いた埃を爪楊枝でとったりするのが楽しかったです。全部とるのは至難の業だが、適当に作業している時間が楽しいのであって、別に成果は求めていない。
爪きりの場合は、前述したようなお手軽な達成感のお陰で、ドライヤーの埃とりより楽しいというわけだ。
悲しいかな、私のように自信のない人間は、どこか言い訳を探しているようなときがある。生きていることに対する言い訳だ。
勉強というのは多くの場合、明らかな善行だ。勉強していて悪く言われることは少ない。
勉強してるから生きてる意味あります、みたいな弱々しい本音があるのだ。
爪なんか切っているより、木彫りの仏像でも作ってた方がよっぽど功徳もたまって、練習にもなるしいいのでしょう。
しかし、怠惰な私はそんなことをせずに爪を切っていました。これを書いている間に、仏像ではなくとも、その辺の手工芸か何かに手を出してみようと思いました。
多分、今言った様な理由を筋トレに感じている健康な人々はそれなりにいるでしょう。私は、生憎俗人なので、筋トレをしていてもそこまでの快感を得られたことはありません。
おわりに
ブログには何をかいたって自由だとは常々言っていますが、よもやここまで無駄な記事を書いてしまうとは思ってもみませんでした。
皆さんも、何か、無駄だけど没頭してしまうことが、あるかもしれませんから、あまり私のことを悪く言わないでくださいね。
最後に、爪の切り過ぎと耳の掃除のし過ぎには気を付けてください。