私は正直に言って、ストレス耐性がものすごく低いです。ストレスという精神的苦痛がすぐに肉体的苦痛に出てしまうタイプなのです。
その経験を書くことで、誰かに希望を与えられれば、と思ってはいます。
しかし、いずれの場合も、私は、結局は時間が流れていくことで、心の傷を埋めて行きました。
正直、この話をしたところで、今、ストレスで苦しんでいる人の役には立てないと思います。本当に苦しんでいる人は、こんな記事を読んだ程度で希望を見いだせないとは思います。
ですが、それが、何かの助けになってくれれば、と思って過去のことをお話しします。
高校時代
仲の良かった同級生の女性に一方的に、拒絶されたことで、非常に大きなストレスを抱えたことがありました。我が一生数少ない色恋沙汰です。(恋にまで発展してないけど)
その後、しばらくは、彼女を見ると、気分が悪くなりました。夜中には吐き気で苦しんで、トイレを抱いていました。
吐き気でオエッとなるけど実際には吐き出せない、というあの感覚が医学的にどういうモノなのかはよくわかりません。
ですが、車酔いの場合は吐くと(本当にごくわずかに)すっきりするのですが、ストレスの場合は、全然効果がありません。
喉も痛くなりますし、辛さのあまり涙も鼻水も出てきて、漫画にでも出てきそうなグシャグシャの顔をしていました。
(失恋でもないのに)こういう経験をしているので、私は、失恋した人にはかなり優しくするようにしています。「死ななかっただけでもエライ!」と本気で褒めちぎってあげます。
浪人時代~大学前半
私の父親は比較的厳しい方だったので、浪人したときも、結構辛い物がありました。
このときは、特に激しい発作に襲われることはありませんでした。しかし、今思えば、眼に光がなかったと思われます。
結局、大学入試はほぼ失敗し、滑り止めて受けていた大学に入学しました。父はあまりいい顔をしませんでしたが、疲れても居たので、無理を言って、私大に通わせてもらいました。
父は勉強に対する圧力をかけてきており、あまり会いたくない人物になっていました。高校時代から、どこか高圧的な父の雰囲気に嫌気がさして、地方の大学に逃げようとも思っていました。しかし、受験に失敗したことで、それも上手く行かず、結構ふさぎ込んでいたと思われます。
結局、この重圧から逃れられたのは、大学の規格で4か月間ほど留学して、親から離れられたからでした。
大学時代
大学時代の後半はかなり呑気な生活でしたが、どうしても辛かったのが、就活でした。
ここでその後の人生が決まってしまうという重圧を感じていました。
大学3年生の時、友人の多くはインターンシップに参加したりしていましたが、私は、その重圧からくるストレスで、履歴書を書くことにもしり込みしていました。
この頃の私のストレスによる症状は、腹痛でした。
キリキリと胃が痛むのです。応急処置としては、布団をかぶって腹を温めるなどしていました。
とはいえ、根本的な原因の解決に挑もうとすればするほど、胃が痛みますし、そのままスゴスゴと尻尾を巻いて逃げていました。
そうも言っていられないのが4年生の4月ごろです。
その時に、偶然、発見したのが、東京都のやっている就活応援施設でした。
大学似も就活相談コーナーはあったのですが、どうしても気が引けてしまい、行けませんでした。(この辺りがダメ人間らしさを醸しています)
社会人
社会人になってから、ほぼ最初の業務で、成果報告書を書くことになった時も辛い思い出があります。
この頃は、ダメ出しをしてくる上司に完全にビビってしまっていました。電車に乗っていて、会社の最寄り駅が近づいてくると、体がこわばり、息苦しくなってくる感じさえありました。
このときも、新しいストレス反応だな、と弱弱しく自分を嘲笑っていたことを覚えています。
課長は私のことを辛抱強く育てようとしてくれていましたし、別に怒鳴ったりもしないとてつもなく良い人でした。ですが、それでもダメ出しによって、自分の努力を否定してくる存在として、恐怖が高まって行ってしまいました。
結局、この報告書は、自分で何度も直したり、ほかの人に見てもらったりということを通して、(そこそこ)いいものができたおかげで、悪くない評価はいただけました。(ただ、その後も折に触れてダメ出しを喰らってがっかりしたのですが)
さえない学歴の男でしたが、就職したのは専門企業の中では大企業。周りは結構高学歴という状況で、周りの人に追いついていくのが大変で、何かと苦労の絶えない会社人生を送ることにはなりそうです。